第6話 「堕天」
二本の巨大な角を生やしたそいつは、猛然と突進してきた。
体は細身だが脚力はすさまじい。
俺は剣を抜き、横に振り払った。
周囲の木々が横断され、倒れた衝撃で地面の葉っぱが舞い散った。
同時にそいつの脚が飛ぶ。
近づいた。
首を切り落とす。
胴体を担ぎ、小屋の方へと歩き出した。
二人の元を訪れてから数週間が経ち、俺は狩りをしたり、ブラブラとしたり、何かを求めてぼんやりと暮らしていた。
だが、当然何かが見つかるわけでもなく、降ってくるわけでもなく、変わらない日常が続くだけだった。
故郷にいたころはひたすらに訓練、ここに来てからは魔王討伐、ここまでやることがないのは人生で初めてかもしれない。
これはこれで、幸せなのだろうか。
などと考えながら歩いていると、小屋が見えてきた。
木で出来た、案外綺麗な小屋。
少し小さいが、一人で住む分には問題ない。
もはや俺の家だ。
カインたちも、もう使うことはないだろう。
そして、俺は立ち止まった。
誰かいる。
青と白の服に黒い髪、手には杖を持っている。
ドアをガンガンと叩いている。
こちらを向いた。
「ロベル!!」
アリアだ。
俺に気づくなり猛然とこちらに走ってきた。
息を切らしている。
「どうした?」
「カインが⋯⋯」
「ん?」
「カインが危ないの!!」
アリアは言った。
「少し前に、仕事を辞めて⋯⋯いや⋯⋯違うわ。
あまりにも失敗するもんだから、お父さんが『もう来なくていい』って。
それで⋯⋯」
冷静な彼女らしくなく、何度も口を詰まらせながら話していた。
カインは仕事を辞めさせられた。
それから数日は会っていたようだが、次第にその頻度も減っていったと。
「それで?」
「久しぶりに会ったと思ったら、裏街に行くって」
「裏街? この前カインに連れられて行った『奥』というところか?」
「違う、そのさらに向こう。巨大な盗賊団が仕切っている街で、かなり危険な場所。
言っても聞かなくて⋯⋯」
「分かった」
俺は、担いでいた獲物の胴体を地面に放った。
低い音を立てて転がり、血が少しだけ周りに散った。
フードを深く被る。
「行くぞ」
俺が言うと、アリアは頷いた。
‐‐‐
着いたときには日が落ちていて、鮮血のような空が辺りを覆っていた。
そこは正しく、『裏』と言って差し支えない場所だった。
ボロボロの服を着た男たちが今にも崩れそうな家の前に立ち、狭い路地でしきりに何かを売っている。
その周りには骨のような老人が集まり、呻き声にしか聞こえない音を喉の底から鳴らしている。
地面に座り込んでいる人間も数多くいて、俺たちの方をじっと見つめていた。
何も詰まってない空っぽな目だった。
「どうよ、兄ちゃんたち」
男が笑顔で話しかけてくる。
一切歯がなかった。
無視して通り過ぎると、ケタケタと笑う声が周囲に響いた。
アリアは気味悪そうに眉を潜めている。
所々欠けている石畳を進み、道のど真ん中に転がっている犬や猫なんかの死骸を避けるように歩いた。
小さな魔物も混じっていたが、なるべく直視しないようにした。
路地を抜けると、少し広い道にたどり着いた。
さきほどよりはマシな店が立ち並び、その明かりが闇を照らしている。
顔に傷が入った男たちが入口で睨み合っている。
「どこかしら⋯⋯」
「分からん」
とりあえず手がかりを探すため、近くにいた男たちに話しかけた。
腕中に入れ墨が入っている。
「ちょっといいか」
「あ?」
一際大きい男がこちらを向いた。
と言っても、俺の肩ぐらいだ。
「金髪の青年を見なかったか」
「知らねえな」
男は言った。
そしてアリアの方を向いた。
「それよりよぉ、その姉ちゃんこっちにくれよ」
ニタニタと笑う。
「金髪の青年を見なかったか」
「あ? だから知らねえって言ってんだろ。
気持ちわりいフード被りやがって。
見てみろよ、お前ら」
そいつが俺の頭を指さすと、周囲にいた人間もゲラゲラと笑った。
「ロベ⋯⋯」
アリアが何か言おうとしたとき、俺はすでに、その男の襟元を掴んでいた。
お互いの息遣いが分かるほど、顔面を近づける。
「金髪の青年を見なかったか」
男は何が起こったのか分からないようで、パチパチと目を見開いていた。
手はだらりと下がっている。
「最後だ。金髪の⋯⋯」
「分かった! 分かったって!」
俺は手を離した。
「知ってるさ!! 勇者だろう!?
そいつならこの道の一番奥にある店だ。
俺が言ったって言うなよ?
奴らには関わりたくないんだ」
男は道を指差しながら、早口で言った。
顔色を伺うようにこちらを見つめている。
「そうか」
一言だけ呟き、俺は歩き出した。
「奴らとは誰だ?」
隣を歩くアリアに聞いた。
「恐らく、『千の剣』でしょうね」
「さっき言ってた盗賊団か?」
「ええ、噂では国との繋がりもあるみたいで、相当な影響力を持っているみたい」
「そうか」
男の言う通り道の奥まで進んでいった。
魔術で施された明かりが四方八方に灯り、夜明けが訪れるみたいに明るくなっていく。
人通りも増え、露出の多い格好をした女性の姿も多く見られるようになった。
鼻をつくような匂いが立ち込める。
「ここか」
しばらく歩くと、一際大きな建物が見えてきた。
看板の文字は消えかかっており、なんと書いてあるのか分からないが、その周りを囲う装飾はきらびやかで、明らかに異質な雰囲気を纏っていた。
中に入る。
酒の匂いが鼻に広がった。
かなり広く、テーブルの上には所狭しと酒が並んでいる。
一人の男の周りに大勢の女がいて、母乳を飲む獣のように群がっている。
辺りを見回すと、端に座っている人間が気になった。
綺麗な金髪に、がっしりとした体、空になった無数のグラス、何より周りに誰もおらず、一人で酒を飲んでいる。
「カイン!!」
俺が行くより先にアリアが走った。
テーブルに駆け寄る。
カインは何も言わず、アリアの方を向いていた。
酒を煽る。
「何をしている?」
俺は言った。
「おお、ロベルもいたのか」
カインは言った。
その顔は真っ赤に染まっており、目は虚ろで服はボロボロ、少しだけ濃くなった髭がより不潔さを強調していた。
以前の明るさはどこにもない。
「出るわよ、カイン。
こんなところにいたら⋯⋯」
「ハッ。じゃあどこにいろって言うんだ?」
アリアは固まった。
何も言えないという風に。
俺も同じだった。
初めて出来た友に、こうなってしまった友に、どのような言葉をかけたらいいのか分からなかった。
ただ、悲しかった。
「ここは天国だ。
酒は無限に飲めるし、勇者って言うだけで女も食べ放題さ。
そしたら後は裏路地にでも連れ込んで⋯⋯」
その瞬間、強烈な破裂音がした。
店内に響き藁リ、充満していた笑い声が息を押し殺したように止んだ。
カインの頬が赤く染まった。
何が起きたのか分からないという風に、そっと自分の手で撫でている。
アリアは泣いていた。
振り上げた手で顔を覆い、手のひらから涙がこぼれた。
「カイン⋯⋯それがお前の憧れた、伝説の勇者だったのか?」
気づけば、そんな言葉が口から漏れていた。
ガラスのような言葉で、床に落ちた途端に高い音を立てて割れた。
耳鳴りのような残響がした。
カインはこちらを見た。
真っ赤に染まった目は弱々しく、黒目を埋めるほど、赤い筋が走っていた。
俺はその目を見つめた。
この気持ちが伝わって欲しかった。
「何で来たんだよ」
カインは言った。
声が震える。
「僕だって」
「僕だって」
拳を机に打ちつける。
「こんなはずじゃなかったんだよ」
カインは無様に泣いた。
さっきの衝撃でこぼれた酒の上に、ドロドロとした涙が注がれた。
机はシミで埋め尽くされた。
もうどうしようもないと思った。
俺たちでは、もう。
堕ちていく彼に手を差し伸べることは、もう出来はしない。
初めて出来た友を、俺は救えない。
そのとき、ある違和感が襲った。
カインの姿、あの明るさはもうどこにもない。
だが、そうじゃない。
何か、何かが足りない。
「お前⋯⋯剣はどうした?」
俺がそう言うと、カインは固まった。
辺りを見回す。
「どこにやった?」
「⋯⋯なんか⋯⋯誰かに渡したような」
「渡した?」
「いや⋯⋯どうだったかな⋯⋯ハハ」
自嘲げに笑った。
嘘をついているようには見えなかった。
本気で覚えてないという風。
そして、それが一番最悪だった。
俺の心は、深く抉られたように傷ついた。
近くに立っている店員、いや、顔中に傷の入った明らかに盗賊団だと思われる奴に近づいた。
「聖剣をどこにやった?」
そいつはニヤニヤと笑っている。
周囲からも笑い声が聞こえる。
「そうか。分かった」
俺は言った。
そいつはぽかんとしている。
「お前らの住処はどこだ?」
「は? 何言ってんだ、てめえ」
「どこだ?」
「この店の奥だ」
店中から歓声が沸いた。
面白いものでも見るような、嘲るような歓声。
奥の扉に向かう。
「てめえ!! 何してんだ!!」
近くにいた二人の男が襲いかかってきた。
腕を掴まれる。
その手を軽く振った。
すると、男たちは壁に叩きつけられ、ぐしゃりという音が鳴った。
ビクビクと体を震わせ、次第に動かなくなった。
辺りは静まり返る。
店内にいる全員がこちらを向いた。
俺はその全てを無視し、扉を開けた。
盗賊の住処に入った。




