第9話 「帰郷」
月が灯る夜の闇、北へ向かう街道を歩く。
馬を引き連れた商人とすれ違い、フードで顔を隠した。
歩きながら、二人のことを思い出していた。
初めて出会ったときから、今まで。
短い間ではあったが、俺からしたら、ここまで密な関係はなかった。
そして、こんなに辛い別れも。
拒絶されたのか?
そうかもしれない。
誰かといるよりは一人でいる方が良かったのだろう。
だから俺たちは別れた。
それぞれが一人になった。
本当に、それで良かったのだろうか。
一人は慣れている。
幼い頃から、常に誰かが隣にいたが、ほとんど孤独と変わらなかった。
体の距離は近くても、心の距離は遠く離れていたからだ。
そういうものだと思っていた。
この世界に心は一つしかなく、他人のものは遠い空の彼方にあって、たった一つも認識することはできないのだと。
だが、二人は違った。
見えた気がした。
同じ世界に、手を伸ばせば届く距離に。
指先でかすかに触れると、焚き火のような温度を感じた。
次第に体に伝わっていき、自分の心と繋がった。
同じ温度になった。
冷気を運ぶ風が吹き、震えるように木々が揺れた。
ごぉ、と音が鳴った。
冷たいものが手に触れた。
空を見上げると、さらに一つ、二つと落ちてきて、やがて降りしきる。
雪だ。
月明かりに反射して、頬を伝う涙のように輝いた。
とめどなく俺を覆った。
孤独の冷たさだった。
咎めるような冷たさだった。
顔を刺し、浸透する。
体が冷えていく。
体温が奪われないように、ぎゅっとローブを抱きしめた。
前が見えなくなるほど、フードを被った。
冷たさから逃げようと、熱を、守ろうと。
‐‐‐
いくつかの夜を越え、山を越え、大きな森に入った。
魔王城とその周辺の街を囲む森。
魔物が多発し、普通なら夜に出歩くことはない。
呻き声が聞こえる。
こちらを覗く光が瞬いている。
枝を踏むと音が鳴った。
頭上の木が揺れた。
一対の赤い光がこちらを見ている。
すぐに消えたかと思うと、飛びかかってきた。
剣を抜く。
真っ直ぐと縦に両断する。
『ギャア』という声が聞こえ、地面から鈍い音がする。
周囲の木々が声を出す。
強風に煽られているかのように揺れ、四方八方に赤い光が現れた。
不快な声がいくつも上がる。
魔物の群れか。
猿に似た形をしているが、背中には小さな翼が生えている。
鳥のように飛行するためではなく、木から木へと滑空するためのものだ。
目の端で光が揺れた。
真横にいた個体が襲いかかってきた。
とんでもない脚力で跳躍し、鋭い爪を持った腕を振りかぶる。
剣を振った。
赤子の声のような断末魔を発し、そいつは両断された。
後ろのやつも巻き添えを食らう。
赤い光が増えた。
「キャアア!!!」
数十、いや数百の声が同時に響く。
虫が光に集まるように襲いかかってきた。
俺は剣を振った。
いや、振り回した。
もはや剣技と呼べるものではなく、ただ力任せに剣を動かしているだけだった。
気持ちよかった。
細やかな断末魔のリズム、魔物の体を切り裂くときの剣の重み、減っていく赤い光。
自分の気が済むまで斬っていられる心地よさ。
無限に相手は湧いてくる。
命を持たない暗闇を、相手取っているようだった。
軽く感じた。
何をやっても良いような気がした。
十頭、三十頭、五十頭と斬り捨てる。
しかし、あと数頭と減ったところで更に湧いてきた。
振り出しに戻る、いや、そのさらに倍。
赤い壁に囲まれているようだった。
突然、倦怠感が襲った。
虚無感も襲った。
それらは体に充満し、腕や足に纏わりついた。
⋯⋯もう良いか。
何度斬っても、何度斬っても、終わらない。
増殖する。
剣を収めた。
魔物たちは静かになった。
こちらを伺っている。
風が吹いた。
そして、ほのかに光が揺れると、
「キャアアアアアアアアアア!!!!!!!」
森を根こそぎ刈り取るような大声が響き、赤い壁がこちらに迫った。
|『業火』
螺旋状の火炎を放った。
破滅の光を轟かせ、一帯を全て焼き払う。
高熱が空気を伝い、破裂するような音が鳴った。
肉が焼け焦げる匂いが鼻をつく。
不快な声は全て止んだ。
ため息をつく。
虚しい。
炎々と燃える森が悲鳴を上げているように感じ、それに対して何とも思わない自分を認め、どうしようもなく空っぽの気分になった。
無感情に立ち尽くす。
やがて火の手がこちらに迫った。
じりじりと、ローブを焼くような熱さを感じる。
汗が体を浸す。
視界がぼやける。
もう、ここで死ぬのだろうか。
焼け焦げて、灰になって。
あの魔物たちのように、
父のように。
それでも良い気がした。
自分だけ城を抜け出して、偶然助かったなんて、虫が良すぎるだろう。
俺は、人族の子を攫って貪る魔族だ。
こうして死ぬのがお似合いか。
どうせやることもなくなった。
誰も、いなくなった。
急に、炎が暖かく感じるようになった。
心の温もりのように、ぼんやりと体を伝う。
腕を通り、肩を通り、体中に広がっていく。
手を伸ばした。
炎々と燃える温もりへ。
冷気から体を守る、赤い衣の中へ。
そして、消えた。
何かが弾けるような音がして、温もりが薄れていった。
目の前の炎も小さくなっていく。
熱は空気に溶け、冷気が落ちてくる。
雪が舞い降りる。
気づけば暗くなっていた。
辺りは夜。
焼け焦げた匂いが立ち込める。
いくつかの炎が灯った。
静かに燃えている。
足音。
一対の赤い光。
懐かしい光。
そいつはこちらに歩いてくる。
ゆっくりと、探るように。
俺の目の前に立った。
手に持っている松明を地面に置く。
体を屈め、跪く。
「お帰りなさいませ」
「魔王様」




