この世界に絶望した君と私の恋の物語
誤字があったので直させていただきました。
よろしくお願いします。
浜辺に美しい少女が立っている。
少女の名はユリーネ。
海からのそよ風が優しく少女の髪を揺らす。
彼女はうっとうしそうに髪を手で払った。
幼いころから一度も染めたことのない黒髪の一本一本がふわりと宙に浮き、元の場所へと戻っていく。
海が浜辺に波を寄せている。
楽しそうにぶつかり合う波の前で、ユリーネは憂鬱な表情だった。
それもそのはず。ユリーネはいじめられっ子だ。
今朝もいじめっ子たちに散々こき使われ、彼女の体は疲れ切っている。
アメジストを閉じ込めた、本来は美しいはずの紫瞳は暗く濁っている。
「なんで私だけ‥‥‥」
小さく呟かれた言葉は、すぐに波の音にかき消された。
誰も助けてくれない。
―――もう、誰かの助けなんか求めない。
ユリーネは優しく押し寄せる波に足を沈み込ませ、歩き出す。
彼女は決意したのだ。
この世界から消えることを。
海の生き物たちを踏まないよう気を付けながらゆっくりと進んでいくと、いつの間にか海水は彼女の腰の高さまできていた。
足元で小さな魚たちがユリーネに優しく体当たりをしてくる。
小さく微笑み、ユリーネは首元まで海水がきたところで足を止める。
もはや躊躇はなかった。
全身を海に沈みこませる。
その時、彼女の目に信じられないものが映った。
人がいる!
手足をジタバタと動かし―――彼は何をやっているのだろう?
訝し気に眉根を寄せたところで、ユリーネは気づいた。
溺れているのだ!
目を閉じて暴れる彼の口から泡が漏れ、少年の体が沈んでいく。
ユリーネは慌てて側に近寄り、彼の体を引っ張り上げる。
しかしうまくいかず、ユリーネも少年と一緒に沈み始めた。
自分が死ぬのはまだいい。
だが、少年を死なせてはいけない!
この子はまだ、生きたがっているのだから。
ユリーネは一旦自分だけ海から顔を出し、何度か呼吸をしてからもう一度もぐった。
少年の手首をつかみ、力を込めて必死に引っ張る。
その瞬間、彼の目が開いた。
少年は急いで海面へあがり、顔を出した。
その様子を見届け、ユリーネはほっと息をついた。
そして、静かにその場を離れた。
少しばかりアクシデントはあったが、彼女の決意が変わることはなかった。
海に体をゆだね、目を閉じる。
全身の力が抜けていく。
口から泡が漏れる。肺が酸素を欲しがっている。
苦しい。苦しい。
ユリーネの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
視界が暗く飲み込まれていく。
意識を失う直前。
―――何かが見えたような気がした。
◇ ◇ ◇
‥‥‥眩しい。
ユリーネがそう感じた次の瞬間、胸の奥から何かがせりあがってきた。
「ゲホッ」
衝動のままに水を吐き出す。
ゲホゲホとせき込むユリーネの背中を誰かが優しくさすり始めた。
「大丈夫?」
ちょっとかすれた低い声が、ユリーネの耳に優しく響いた。
ユリーネは咳をしながら声のほうに顔を向け、驚いた。
溺れていた少年がユリーネの顔を覗き込んでいる!
「大丈夫?」
彼はユリーネの目をじっと見つめながら、もう一度言った。
「だ、大丈夫よ!」
少年に見とれていたユリーネはハッとして返事をした。
「それなら、いい」
そう言い、少年はユリーネから顔をそらした。
「‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥」
沈黙が続き、我慢の限界に達したユリーネが先ほどからずっと疑問に思っていたことを聞く。
「私を助けたのは、貴方?」
若干責めるような言い方をしてしまい、ユリーネは慌てて顔を俯ける。
「助けてほしくなかった?」
不思議そうな少年の言葉に、彼女はさらに顔を俯け、申し訳なさそうに言った。
「‥‥‥ほんのちょびっと」
「そう。じゃあ、俺がしたことは迷惑だった?」
ユリーネは言葉に詰まった。
迷惑と言われれば迷惑だったが、それを彼に向けて言う勇気はユリーネにはなかった。
「えっと‥‥‥」
それきり黙ってしまったユリーネを訝しそうに見つめ、少年はユリーネの顔を覗き込んだ。
「瞳の色、きれいだね」
どうやら気を使って話題を変えてくれたようだ。
ユリーネは申し訳なさで顔を赤くしながら、小さな声で「ありがとう」とお礼を言った。
本当はあまり嬉しい言葉ではなかった。
なぜなら、その言葉は、ユリーネの前から姿を消してしまった、大好きな親友のアリスから言われた言葉だったのだから。
そしてそのアリスをかばったことで、ユリーネのいじめは始まったのだ‥‥‥。
―――事の発端は一年ほど前。
高校に入学したての頃、ユリーネはその珍しい瞳の色から有名になっていた。
仲の良い友達もでき、それなりに充実した学校生活を送るユリーネは、外野のことは気にも留めず、ただただ楽しい毎日を過ごしていた。
そんな日常に、ある日突然変化が訪れた。
その頃にはクラス内での女王(女子のリーダー的存在)が決まっており、女王の言うことは絶対、女王に逆らったらいじめられる、というまるで昔の日本のような暗黙のルールがあった。
だが、あの日、女王がユリーネの親友に意地悪をしたあの日。
ユリーネは女王に逆らった。
ユリーネの親友・アリスはおっとりしていて優しい少女だ。
それ故に、いじめのターゲットとなりやすかったのだ。
「うっわ~。よくそんな気持ち悪いペンケースもてられるよね~」
「ほんとほんと。アリス菌がついてそ~」
アリスに向かってそう言う彼女たちに激怒したユリーネは、いじめっ子たちに怒号を浴びせた。
「あんたたちのペンケースなんかより、アリスのペンケースのほうがよっぽど可愛いんだから! それに、アリスは菌なんかじゃない!! アリスに謝ってよね!」
そう言って詰め寄るユリーネの勢いに押され、いじめっ子たちは呆けた顔をする。
まさか、大人しいユリーネが反抗してくるとは夢にも思わなかったのだろう。
「は、はあ!? あたしたちに立てつくなんていい度胸ね! みんな、いい!? コイツのことは無視だからね!!」
鼻息荒くそう言って去っていくいじめっ子たちの後ろ姿を眺め、ユリーネは地面にへたり込んでしまった。
ユリーネだって、怖かったのだ。
いじめっ子たちに歯向かえば、クラス全体に無視されることも、いじめのターゲットになることも、ユリーネはちゃんとわかっていた。
でも、困ったように笑うアリスの目の奥に涙がにじんでいるのを見て、怒りで頭がいっぱいになって、そこからは無我夢中だったのだ。
「ユ、ユリーネちゃん、大丈夫?」
「大丈夫よ」
小さく笑って、アリスがおろおろとしながら差し伸べてくれた手をとり、ユリーネは立ち上がった。
服についたほこりを払っていると、アリスがユリーネの名を呼んだ。
「ユリーネちゃん」
ユリーネは手を止め、不思議に思いながら顔を上げる。
「なぁに?」
「ありがとうっ!」
「!?」
勢いよく抱き着いてくるアリスの重さでよろけながらも、ユリーネはアリスの背に手を回した。
「私が、私が言わなきゃいけなかったのに。ありがとう、ありがとう‥‥‥!」
アリスの目から零れる涙がユリーネの服を濡らす。
涙でぐちゃぐちゃの顔ながらも満面の笑みで見つめてくる最高の親友を見て、ユリーネは『ああ、この子が友達でよかった』と、心から思ったのだった。
しかし、そんな幸せが長く続くはずもなく。
「‥‥‥お父さんの会社の都合で、急な転校が決まったの」
ホームルームの前、『大事な話がある』と廊下に連れ出されたユリーネは、衝撃的なその一言で凍り付いた。
続けて話すアリスの声は、半分以上耳にはいってこなかった。
アリスが転校。
転校。
転校。
『転校』という文字が頭をぐるぐると回り続ける。
結局、その日の授業は頭に全く入ってこなかった。
―――――そして、一週間後。
アリスは本当に、転校してしまった。
アリスがいたときは、特に目立ったことはしてこなかったいじめっ子たちは、アリスが転校すると好き放題にやり始めた。
恐らく、ユリーネはいつでもアリスと一緒にいたので、あまりいじめるチャンスがなかったのだろう。
そして、きっと。
いじめがこれほどまでに悪化してしまったのは――――――、‥‥‥ユリーネの美しい瞳のせいだろう。
入学初日から有名人になったユリーネを、いじめっ子たちは妬ましく思っていたのだ。
実際、ユリーネ自身が『あいつ、目の色が珍しいってだけで有名になってて、ほんとむかつく』といじめっ子たちが話しているのを聞いたことがある。
とにかく、こうしてユリーネのいじめは始まったのだ。
「大丈夫?」
過去の思い出に浸っていたユリーネは、少年の声で現実に引き戻された。
ハッとして、慌てて顔を上げる。
「だ、大丈夫!」
ユリーネは一旦そこで言葉を区切り、勢い良く立ち上がった。
「助けてくれてありがとう! それじゃあ、私はこれで!」
「えっ? ちょ、待っ」
走り去っていくユリーネの後ろ姿を呆然として眺め、少年は頭をかいた。
「何なんだよ‥‥‥?」
◇◇◇
これでよかったんだ、これで。
繰り返し自分に言い聞かせ、ユリーネは日が沈みかけ、暗くなり始めた砂浜を歩いていた。
砂を踏みしめながら歩いていくと、隣でユリーネの影も同じことをする。
しばらく影を見つめて立ち止まっていたユリーネは、背後からの足音を聞き、後ろを振り返った。
「また会ったね?」
ユリーネは目を見開く。
彼女の前にいたのは、あの時の少年だった。
「‥‥‥‥‥いや、私の事追いかけてきただけでしょ。偶然みたいな言い方しないで」
少年の顔を真っすぐに見つめられず、横を向きながら言ったユリーネの視界に、小さく笑った少年の口元が見えた。
「誰だって気になるだろ? あんな行動されたらさ」
「それは‥‥‥そうだけど」
少年の正論に、ユリーネはうまく言い返せない。
「なんで、俺の顔をちゃんと見ないの? もしかして、俺がイケメンすぎて見れないとか?」
「‥‥‥ッ! そんなわけないでしょっ!」
勢いよく顔を上げ、少年の顔を真正面から見る。
「ちゃんと見れるんじゃん」
少年のその言葉で、ユリーネは気づいた。
少年はユリーネを自分の顔を正面から真っすぐ見るよう、誘導したのだ!
簡単に少年の罠にはまってしまったため、ユリーネは軽くむくれて、ツンとして言った。
「ていうか、あなたはなんで私のことを追いかけてきたのよ?」
ユリーネの言葉に、少年は空を仰ぎ、地面を見つめ、最後に顎に手を当てて考え出した。
「まさか‥‥‥何も考えないで来たって言うの!?」
「あぁ、まあ、そうとも言えるかな」
ユリーネは『はぁ!?』と叫びたくなるのをこらえ、額に手を当てて、もう片方の手でシッシッと払う動作をして見せた。
「え~っと。これは、どういう意味?」
「わかるでしょ? 早く帰って、っていう意味よ!」
「え~‥‥‥。せっかくここまで来たのに‥‥‥」
ユリーネは少年に背を向け、歩き出した。
その背に向けて、少年は言葉を発した。
「君はさ‥‥‥なんで、死のうとしてたの?」
ユリーネの足がぴたりと止まる。
そんなユリーネの様子に気づいているのか気づいていないのか、少年は話し続ける。
「さっきさ‥‥‥。あれ、自殺しようとしてたんだよね?」
「どう、して‥‥‥‥‥」
「気づいてないとでも思ってた? あんな場所にたった一人で潜りに来る少女なんて、自殺以外に考えられないじゃん? まあ、俺も人のこと言えないんだけどねー」
けらけらと笑う少年を見て、ユリーネは目を丸くする。
「まさか、あなたも‥‥‥?」
「そ。俺も、自殺しようってあそこにいたんだけどね、思ったより溺死って苦しいんだね~」
おかげで暴れちゃったよと呟く少年に、いつしかユリーネは完全に心を許していた。
「そ、っかぁ‥‥‥。でも、あなたは、どうして自殺をしようと‥‥‥?」
少年は一瞬、躊躇するように視線をさまよわせ、やがて口を開いた。
「‥‥‥‥‥なんか、さ。うちの親父が、暴力を振るう人で。母さんも、それを止めないんだよな。毎日、殴られる日々を送ってて‥‥‥。で、もう疲れたから、だから、死のうと思って。こんな世界から俺一人が消えたって、誰も悲しみやしないからさ」
そう言って、悲しそうに微笑む少年は、同じ質問を彼女に返した。
「で、君は?」
「私は‥‥‥‥。大体、一年位前からかな、いじめにあってて‥‥‥。誰も、誰も助けてくれなくて。もう、嫌になったの。生きてる意味なんて、ないと思ったから。海なら、誰にも見られず静かに死ねそうだなと思って、それで海に‥‥‥」
ユリーネは話しながら、誰にも話したことのない話を、見ず知らずの少年にしているという今の状況に、思わず笑いそうになった。
しかも、話している相手というのが、先ほど自分と同じ場所で自殺をしようとしていた少年なのだ。
こんなことがあるだろうか?
ユリーネは抑えきれず、ふふっと笑ってしまった。
「初めて笑ってるとこ、見た」
ぽつりとつぶやかれた言葉に、慌てて口元を手で覆う。
「照れてんの?」
からかうように言う少年は優しい瞳でユリーネを見ており、彼女に心を許しているように思えた。
「て、照れてなんかいないわ!」
ユリーネは慌てながらも、少年に褒められたことをうれしく思っていた。
と、そこで、少年の名を知らないことに気づき、ユリーネは小さく声を上げた。
「どうしたの?」
不思議そうな少年にぐいっと詰め寄り、ユリーネは切羽詰まった声を上げた。
「私たち、まだお互いの名前を知らないわ!」
目を丸くする少年の口元に笑みが浮かぶ。
「そういえば、そうだね。じゃあ、まず俺から自己紹介。名前はケイル、歳は18だ」
「ケイル‥‥‥いい名前ね」
少年―――ケイルは照れたように頭をかき、ユリーネをせっついた。
「そうかな? ほら、次は君の番!」
「私の名前はユリーネ。年齢は17歳よ」
ケイルはひゅうっと口笛を軽くふき、楽しそうに言う。
「君のほうがよっぽどいい名前してるじゃないか! ユリーネって、最高に可愛い名だね」
ユリーネは照れて少し頬を赤くする。
くすくすと笑っていたケイルは、不意に真剣な表情になり、ユリーネを見据えた。
「なぁ、ユリーネ。‥‥‥俺と一緒に、逃げださないか?」
突然の突飛な提案に、ユリーネは困惑してかぶりを振った。
「どういうこと? 逃げ出すって、どこから?」
ケイルは自嘲的な笑みを浮かべ、低い声で言った。
「この薄汚れた世界からさ」
そこで一拍間を置き、ケイルは話をつづけた。
「ヒーローもヒロインも、この世界には本当にいるんだろうな。全ての人に愛され、可愛がられるやつが」
でも、とケイルは悔しそうな表情になる。
「ヒーローもヒロインも、俺たちを助けてはくれない。不幸な人々を助けようとしないんだ。それが何故だか分かるか?」
ユリーネが返事をしようとする前に、ケイルは素早く答えを言ってしまった。
「そんな幸せな奴らは、俺たちのような不幸な人が存在しているとも知らないからだ。自分の見る、幸せな世界に包まれ、それだけを信じて生きているんだ。不幸なものから目を反らし続け、楽しく生きていくんだ!」
ケイルの目は怒りに燃えていて、ユリーネはあっけにとられていた。
「ヒーローやヒロインが存在したってっ! 俺たちを救ってもくれない、見ようともしてくれない! 誰からも手を差し伸べてもらえない俺たちは、自分の力で " 世界 " から逃げるしかないんだ!」
だんだんと感情的になり、肩を震わせ叫ぶケイル。
ユリーネは慌ててケイルに抱き着き、背中を撫でる。
「ケイル‥‥‥。一旦、落ち着いて?」
「ああ‥‥‥ごめん、ユリーネ。つい感情的になってしまった」
「大丈夫よ。誰だってそういうときぐらいあるわ」
ケイルの気持ちが、ユリーネはわからないでもなかった。
ユリーネが不幸になったのはつい一年ほど前からのいじめが原因だが、ケイルの場合は生まれた時から一緒の両親が原因なのだ。
自分の不幸に対する怒りや悲しみの感情は、ユリーネよりもずっと大きいに違いない。
少し経ち、高ぶっていた気持ちが収まっていくのを感じると、ケイルは口を開いた。
「‥‥‥‥‥で、さ。ユリーネ、俺と一緒に来るか?」
自信なさそうにユリーネを見つめる瞳に、ユリーネの心はもう決まっていた。
「行くわ。逃げましょう、二人で」
ぱっと明るい顔になったケイルは一瞬で立ち上がると、ユリーネに手を差し伸べた。
「ユリーネ。一緒に、 " 世界 " から逃げよう。俺たちが幸せになるために」
「ええ、ケイル!」
嬉しそうに笑ったユリーネはケイルの手を取り、勢い良く立ち上がった。
いつしかケイルとユリーネの頭からは『自殺』という文字が消えていた。
二人は仲良く並んで手をつなぎ、すっかり日が沈み星々が輝いている空の下、自分たちの幸せの未来のために、歩き始めたのだった――――。
閲覧ありがとうございました。