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叱るという事

作者: 狩衣旅兎

『叱る』という行為について。

 

 長時間に渡ってネチネチと叱る事に、効果はあるのだろうか?

 年齢性別問わず、失敗を繰り返す人に対して長時間叱るのは、叱責者が感情を発散するだけであり指導にはならないのではないか?

 私が思うに「叱る=指導」である。指導するからには要点を言い聞かせる事が第一であり、叱責者は極力感情を排除すべきであろう。


 当時の職場で巻き込まれて、叱責の場に1時間同席した体験がある。叱責を受けた同僚は、失敗を繰り返すタチであった。

 冒頭は要点を伝える叱責者であったが、徐々に感情を混ぜ込み始め、徐々に比率を高めていく。

 同僚の横に立って聞いている私は、正直なところ「何を言いたいのか、判らな」くなっていた。

 感情的であるという事は、話がアチコチに飛ぶ。

 聞いている側に解らせようという気が、感情に押し流されて何処かに飛んでいくのだ。

 叱責を受ける側も、適当に相鎚なり返事なりをしてしまうだけで、内容も状況も理解できないだろう。

 それが証拠に叱責終了後、同僚が軽口を叩いてしまい、更に叱責が追加されてしまった。


 繰り返しの失敗であれ一回の失敗であれ、

・不必要な感情は排除又は抑制する。

・要点をはっきりさせる。

 この二点は、叱責者が「叱る」時に明確にすべき事であると私は考える。

  

 これを目にされた方は、「叱る」行為をどうお考えだろうか?

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