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6 その除霊師はナルシスト


「うーん。平和だなあ。昨日までが嘘みたいだ」


「だよなー。ゴーストを聖書使って追っ払って、喉がらがら。ビールで癒さないと」


「僧侶ならヒールで癒せ」


「ふはっ、僧侶の傷は回復魔法なんかじゃ癒せないんだよ」


 俺の隣で聖書を持った除霊師がビールの栓を抜く。ほとんど仕事が終わっているとはいえ、気の抜けようがひどい。それに一応は聖職者。酒なんてガブガブと飲んでいいだろうか?


 気が抜けるような小さな気泡が割れる音に食欲をそそられながらも、俺は町の周囲の開けた草原に揺れる若葉を眺めて唾を飲み込む。隣につまみでもあったら俺も我慢なんてできないだろう。


「飲もう。あんたも」


「……はー。まあ、いいか。酔ってても除霊ぐらいできるだろ」


「おっ、いいねぇ」


 断るつもりだったが、あまりにも暇で意義も感じられなかったので、つい手が伸びていた。

 差し出されたビールの瓶を受け取って栓を親指で弾く。酒の弾けるような臭気が鼻いっぱいに広がった。


 すでに顔が赤くなり始めている隣の奴と乾杯をしてから、俺はビールを喉へと送り込む。ほんの少し暑い外気と体内を流れていく冷えたビール。見ず知らずの男同士で飲むのも悪くない。


「ふー。喉に滲みる~」


「だろうよ。痛めた喉に塩を塗りつけてるようなもんだ」


 笑いながら酒を傾けると体が高揚して熱くなる。頭もぼんやりとしながら、仕事を思い出しながら草原を見る。

 昨日あれだけ大々的に追い払ったのだ。当然何も異常なんて存在しない。


 緑の草原に所々転がる大きな岩。吹き抜ける風が草花を揺らし、岩に当たって砕けて消える。しかし一つ。一つだけ風に影響されない影があった。


「んー? これは俺が酔ってるだけじゃないよな? あそこ」


「んー。どうしたんだい?」


 俺は目を擦ってから草原へとまた目を向けた。すると、そこに一人立ち尽くす女がいた。見た目からは普通の人間にしか見えないが、俺たち除霊師には勘のようなものがある。


 また風が吹く。女の髪や衣服は一切揺れていない。


「ゴースト……だよな。でも、足がしっかりしてる。透けてない」


「やっぱりそう見えるよな」


 ゴーストだと勘が言っている。けれど、足が透けていない。なら答えは一つになる。


「あいつ、ただのゴーストじゃないな」


 瓶を平べったい岩の上に立ててから、俺は腰の銀の剣を抜いた。


 ゴーストにはいくつか区分がある。無害なゴースト。害をなすゴースト。危険なゴースト。そのうち、昨日祓ったのは大半が無害なゴーストだろう。けれど、今、目の前にいるゴーストは、間違いなく害をなすゴーストだ。


「何年もののゴーストだろうな」


「どうだろうな。体が透けないってことはかなりの霊力を持ってるだろうが」


 ゴーストはゴーストとなってからの年月で強さが決まる。年月を経る毎に霊力が増していくからだ。そしてあの女。足があそこまではっきりしているとなると、霊力を圧縮させることで可能となるゴーストの技『実体化』が可能なのは間違いない。百歳ぐらいのゴーストだろうか。かなりの強敵だ。


「――あれぐらいならまだ祓える。酔っぱらってないで、援護を頼むぞ」


「ああ。わかってる」


 浮わつきを捨てて真剣な声音で相棒が聖書を開く。中の文字を盗み見したが、文字として認識できないような模様が紙の上に並んでいるだけだった。

 そんな聖書を扱う男の器量を信じながら、俺はゴースト目掛けて駆け出した。


 温い風をかき分けて進んでいく。一歩一歩と踏み込むたびに気温が下がったかのように鳥肌が立つ。


 おかしい。このゴースト。いったい何歳なんだ。


 汗が滲んだ手のひらを剣の柄に押し付けるように握る。それもゴーストに近付くにつれてより強くなっていく。

 恐怖と疑念を置き去りにして剣を振り上げ斬りかかる。まずは一撃。そこから判断する。


 剣を……。


「なっ、まさか。これは……」


 振り上げた剣がその状態のまま動かない。剣だけが空気中に釘で打ち付けられたように動かない。


「ゴーストハンドかっ」


 ゴーストハンド。ゴーストの持つ特殊な技能。自分の腕とは違う第三の腕を発現させる技。三百歳を超えるゴーストにしか使えない秘技。霊視ができなければ太刀打ちのできないような圧倒的力。


 やばい。これは俺たちの手には負えない。


「清く美しい女神よ。従順なる子羊に慈悲と恩寵を与えたまえ。ホワイトランス」


 天から五本の光の槍が降り注ぐ。神聖属性の強力な魔法だ。相棒がやってくれたんだ。あいつ、ただの飲んだくれじゃなかった。


「これならまだ祓える」


「あっぁぁー」


「おまえ、何を……」


 女のゴーストが上を見上げた。その瞬間、降り注いでいた槍が止まる。ゴーストを祓うための神聖属性をあろうことか真正面から素手で掴んだのだ。さらに、次の瞬間には白い槍は半ばから砕かれ投げ捨てられている。到底信じられることではない。


 くそっ。わかっちまった。こいつ……ただのゴーストじゃねえ。


 そう気づいたときには全てが遅かった。可視化できるゴーストハンドが振り下ろされて次の瞬間には体の前面が裂ける。血が飛び散り、酒とは違った体の熱を抱き締めながら、俺は草原へと倒れていた。


「……ひゅ。ひゅー。だ、めだ。ゴーストを喰らって成長した悪霊だ……。俺たちじゃあ……」


「そう。その通りだよ。これは君たちの仕事ではないようだ」


 止めを加えようとしていたはずのゴーストの姿が俺の頭上から遠ざかる。そして、代わりに別の影が草原を踏みつける。


夜というのにやけに存在が輝いていたのは、救世主だからだけではない。その人が持つ風格と、周囲を逆巻く水の柱のせい。


 俺はその姿を目の端で捉えながら軽く表情を崩す。


 そうだ。俺たちにはこの人がいる。


「よく頑張ってくれた。あとはこの僕が華麗に悪霊を祓ってみせよう」


 水が周囲で逆巻く。背負った銀の十字架が彼の存在を物語る。この町の最高戦力の聖銀七座ベラスケット。今宵その力を余すことなく見せようと、彼は金髪の垂れた前髪を指先で払った。



 さて。困った。困った。


「あー、困った。当然だ。当然なんだ」


 足元に血まみれで転がっていた男性に聖水をかける。すると、胸から出ていた黒い瘴気が消えて、腐るように悪化していた傷口が閉じ始める。


「ここに僕、ベラスケットがいる。となれば当然女性が集まってくる。運命。必然。自明の理。そう! 仕方がない。たとえそれがゴーストであろうとも」


 やって来た女性のゴーストが悪いのではない。僕が悪かった。こんな場所に僕のような容姿の整った男性がいたら、彼女が足を運んでしまうのは仕方がない。まったく、僕という人間は。


 やれやれと罪作りな自分に呆れながら首を振る。


 話をしてあげよう。祓うけれど、せめて未練を果たさせてあげよう。僕と話すという未練をね。


 僕はベラスケットウォーターに乗って女性のゴーストの元へ。すると、いきなりゴーストハンドでハグ。情熱的な女性だ。


「けれど、僕はみんなのもの。君だけ特別扱いはできないんだ」


 パチンと指を鳴らすと、僕と彼女とを遮るように水の壁が生まれる。その表面をゴーストハンドが撫でるが、攻撃しているゴーストハンドのほうがもたない。対ゴースト専用聖水ベラスケットウォーター。これは対ゴーストにおいては、最強の水属性魔法だ。


 彼女は知性を失ったように水の壁を叩いて、霊力で作り出した腕を磨耗する。自分を傷付けるような行動は男として見ているのが辛い。


「うん。そんな焦ったお嬢さんよりも、穏やかな表情のお嬢さんのほうが僕は好きだよ」


 生前は美人だったのだろう。黒い髪も美しさが残っている。肌荒れの跡もほとんどない白い頬。少し低い背も抱き締めたときに僕の胸に頭が当たって抱きしめやすそうだ。


 ただ、今は目を剥いて、歯を砕きながら空気を噛み、言葉さえも失っている。


「これ以上君という女性の価値を貶めるのは、男として承認できない」


 宙に浮かぶのは三ツ又の槍。渦を巻く三つの先端が、ゴーストに狙いを定めて動きを止めた。


「おやすみ。せめて安らかに」


「ぎゅっああ!!」


 僕は指先弾く。すると、その動きがトリガーとなって槍がゴーストを貫き、腹から下が空気に溶けるよう消えた。


「流石に僕にはその魅力的な胸部を撃ち抜くのはね。けれど、これだけで問題なく除霊が……うん?」


「あぁっ! あぁ!!」


 霊格からは外れているけれど、普通の悪霊程度なら体が半分も失われればこれで終わり。それなのにこの悪霊はまだ動いている。それどころか僕から距離を取り始めている。

 

 この悪霊、予想よりも成長しているのか。少しまずいかもしれないね。


「がぁっ。がうっ」


「僕を前に逃げるとはね。僕の魅力では引き留めるには足りないのかな!」


 急いで足を動かす。自分の甘さと失態を取り返すために。けれど追い付かない。その理由は一つ。


 僕にはゴーストが見えない。ある程度霊力のあるゴーストであれば目視はできる。けれどそれは、あくまで一般人がふとしたときにゴーストが見えるのと変わらない程度。霊視なんて呼ばれる全てのゴーストが見えるほうの目は持ち合わせていない。


 いつの間にか悪霊の体が薄れて夜の景色の中に溶け込むように消えていた。消滅じゃない。姿を消したんだ。


 僅かな後悔と共に僕は自分の目の上を押さえる。僕は顔のパーツに文句は言わない。だから、霊の見えないこの目のことを劣っているとは思わない。けれど……


「しまったね。あのレベルの悪霊に逃げられるとは」


 油断と非情になりきれない心で、聖銀七座としての仕事に相応しくない働きをしたことが、僕にとってひどく許しがたかった。


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