2 そのゴーストは旅に出る
バルムテスの大霊墓。どうやら、僕の家は周囲からそんな風に呼ばれていたらしい。なんでも、入った人が出てこないだの、ゴーストが集まって主の復活のために身を捧げているなどとあらぬ噂があるんだとか。ちなみにそのバルムテス、ゴーストと関わり深い悪魔だったそうで、余計にこの場所がバルムテス大霊墓と勘違いされていったそうだ。やれやれ。
アレアからそんな話を聞きながら、僕は手を動かして作業を進めていた。
「それ。何をやっているのかしら?」
ん? 不思議なことを訊くものだ。
僕はお手製の宝箱ことゴミ箱の鍵を閉めた。
「ゴミが出たらどうする?」
「さあ? どうするのかしら?」
「焼くか、引き取ってもらうか。これは引き取ってもらうほう」
二つのデザインの異なる宝箱。その中には似たようなものが詰まっている。夢と希望と死体だ。
「ここの前の街道を月に一回ぐらいで馬車に乗った人が通りすぎるんだ。だから、豪華な宝箱にゴミを詰めて、通りすぎる場所に置いておくんだよ。そうしたら、いつの間にか持っていってくれる」
「……最悪な趣味ね」
「通りすがりの人たちに一攫千金の夢と死体を与える。善行だよ。それと趣味じゃない。死体が自分の家の近くに埋まってるのは嫌だから」
幽霊を弔うのは別にいい。彼らは形が残らない。でも、外敵とも呼べるような墓荒しをわざわざ埋葬するのは遠慮したい。骨が残る。
まったく理解ができないと言いたげなアレアは、肩にかかる紫色の髪の房を上品に揺らす。
「どうでもいいあなたの趣味はさておき、交渉をしましょう」
そうだった。そういえばその話だった。
このアレアという女性は、なにやら僕に用事があるらしい。顔も知らない相手で、なんなら勘違いの延長線ではあったが、どこか興味が惹かれる人物ではある。もちろん外見がとかではない。
「単刀直入に言うわ。あなたの力を借りたいのよ」
「うん。それはさっき聞いたよ。でも、そもそも人間違えだよね? バルムテスさんだっけ? 誤解は解けたと思ってたけど」
アレアはバルムテスの大霊墓にいるバルムテスを探している様子だった。その理由はわからないが、大悪魔の力を求めてここに来て、まったく関係のない僕なんかをその代わりにするのはおかしな話だ。
「まあ、そうね。悪魔のほうがやりやすかったでしょうね。けれど、私はここにいる除霊師の力を借りたかっただけ。その素性は正直どうでもいいわ」
「除霊師の力ね。それならなおのこと僕じゃなくていい。人でもできる」
二千年前と今このときも除霊士は多くいる。専門として仕事にしている人がいるくらいだ。しかし、このアレアはわざわざ僕に頼もうとしている。
アレアがゆったりと部屋を歩き回る。
「私もここに来るまではその線も捨ててはいなかったわ。けれど、ロウル。あなたを見て確信したわ」
アレアが立ち止まって僕を指差した。いや、違うのか。僕の足元のほうを指差していた。
「その中の人。あなたがやったんでしょう?」
「僕じゃなかったら彼らが自主的に入ってることになるよ」
「どうにも悪ふざけが抜けきらないわね……。いいかしら? 普通、ゴーストは物理的な干渉を及ぼせないのよ。触れるだけならまだしも、動かしたりするのは稀。それを殺害して宝箱に詰めるなんて、まともなゴーストであれば不可能よ。人やゴーストを食らう悪霊であれば話は違うけれど、あなたはそうじゃないでしょ」
「悪霊じゃないよ。人とか幽霊とか美味しくないだろうし、そもそもの食欲もゼロだからね」
一応ゴーストの体でも、今の僕なら実体化すれば食事はとれる。けれど、お腹も空かないのに食べ物を入れようとは思わないし、食べたいなんて欲求もない。ないならないで問題なし。むしろ、食べないほうがやりたいことをやる時間が増える。
だから、アレアの言った通り、僕は自我を失った悪霊なんかではない。そして、そんな悪霊ではなく、除霊の力を持つ僕だからアレアは手を貸りたいようだ。
「あなたは普通に戦うこともできて、徐霊もできる。それなら、私には契約するしかないのよ」
「ふーん。その契約の理由は?」
「除霊してほしい人がいる。……それだけよ」
黄色い瞳を僕から逸らす。嘘をついているような感じではない。ただ、それ以上は踏み込んでくるなと、こちらからの質問を拒絶しているような反応だった。
除霊をしてほしい。けれど、その相手を連れてきてもいない。怪我でもしているのかな。
「訊いておくけど、そのゴーストをここに連れてきたりはできる?」
「いいえ。絶対に不可能よ」
「じゃあ、僕には力になれない」
僕は動けない地縛霊。向こうのゴーストも動けない。となると結果は手が出せない。僕にはどうしようもない話だ。それに、僕は除霊なんてしているわけじゃない。ゴーストが勝手にやってくるから、未練をなくす手伝いをしているだけ。除霊は霊を強制的にあの世に向かわせるもの。僕のは自主的に天に帰ろうとするのを手伝っているだけ。ゴーストにその意思がないのなら、僕は無理に成仏させようなんて思わない。
「だいいち僕に利点がない。契約というなら、互いの利があって成立するものだよ。少なくとも、なにもなしでアレアを手伝う気は起きない」
「手伝ってくれたら、私が与えられる全てのものを差し出す覚悟よ。自分も含めて」
「いらない。アレアを貰っても、百年後のゴミ出しの回数が増えるだけ。むしろ邪魔」
「そんな斬新な拒否の仕方は初めてね。女として自信はあったのだけど」
確かにアレアの見た目は整っているとは思う。けれど、美しい建造物や小物ならまだしも、美しい人間は飾れない。飾っても腐るし、老化もする。それなら必要ない。
「じゃあ、あなたは何を求めているの?」
「何を? 何もないよ」
「それは嘘ね」
嘘? そうだろうか?
僕が欲しいもの……。ご飯はいらないし、寝ることもないから寝床もいらない。話し相手はやって来る幽霊たちで満足している。遊びはいっぱいあるし。
「満足しているよ?」
「そう。だとしたら、あなたはなぜ地縛霊として、この世界に縛られ続けているの?」
なぜ……。
二千年。僕の体の中に沈んでいた感情が浮かび上がる。
みんな、みんな……。僕と出会ったゴーストたちは未練を断ち切って光の泡になった。当然だ。未練があるからゴーストになる。やりたいことがあったから。心配だったから。だから、ゴーストとしてこの地に残り続ける。
じゃあ、僕は何を求めて、何が満たされていなくてこの地に残っているのだろう。
「わからない……」
わからない。ただその場その場で楽しむためにゴーストとしてやってきた。けれど、生前の僕が何をしたかったのか。死ぬときに何を後悔したのか。それだけはわからなかった。古すぎる記憶だからなのか、それともそのときでさえ気付けなかったのか。
『探しにいくといいよ。送り続けた君が、次は送られる側になるべきだ』
昨日のケインの言葉が甦る。ケインは知っていたんだ。僕が未練を見つけられていないことを。だから、あんな風に僕に伝えてくれた。
「――私にその答えはないわ。なんでもといっても、あなたの未練を教えることはできない。けれど……」
アレアが僕の手を取った。その手は僕が地縛霊となって忘れていたものでもあった。
「私ならあなたの未練を探すために力を貸せるわ。自由という力をね」
「僕は地縛霊だよ? 不可能だと思う」
「私は特殊な勉強をしているのよ。その中で地縛霊の楔を付け替える魔法も学んでいるわ。楔をこの地から私に付け替える。意味がわかるでしょ」
付け替える……。つまり、この地に縛られるのではなく、アレアに縛られることになるのか。アレアが歩みを続ける限り、僕は自由を手に入れられると。
魅力的な話だ。
ここ数百年で失われつつあった感情が、外に出せと体の中で暴れまわっている。今しかないと、地縛霊として諦め続けていた壁を叩き続ける。
「――興味はある。だから、可能かどうかの話をしたい」
僕が地縛霊じゃなくなる。その方法は二千年かけてもわからなかった。未練があったのか、それとももっと物理的な何かがあったのか。墓石から離れようと限界まで駆けたこともあった。けれど、いずれは墓石の引力に負けて元通り。
これがどれだけ厄介か知っている。だからアレアの提案を鵜呑みにはできない。
「可能ね。六割の勝算で」
「やる気が感じられない割合だね。こんなところに来てるんだから、何か確実な手があるのかと思ってた」
「あなたがバルムテスなら十割だったのよ。それがゴーストだなんて思わなかったわ」
「ごめん。実は隠していたんだけど……、僕が『演奏の強硬』バルスタスだ」
「あら、よく似てもいない他人ね。……偽るつもりがあるのなら最後までやりきりなさい」
あら残念。
ゴミ箱に腰をかける。実体化した分の重さがゴミ箱にかかるが、壊れるような様子はない。
「ちなみに、やって失敗したらどうなるの?」
「いくつか考えられるものを挙げると、あなたが消滅するか、私が消滅するか。あまり気にするようなものはないわ」
「おぉ!! 消滅って、もしかして成仏のこと? それが僕の求めていた成仏だったり……」
「そんな生易しいものではないわ。内側から破裂。それだけよ」
「あー。それは違う。求めていたのと違う」
「……気難しいわね。で、どうするのかしら? 互いの利害は話したわ。リスクもね。あとはあなたに任せるわ」
失敗して爆発は僕の力で防げそうだし問題なし。それなら答えは一つ。
「いいよ。やってみよう。でも、もしアレアが爆発しそうになったら、部屋が汚れるの嫌だから、先にゴミ箱に詰めるからね」
「……そんな笑顔で脅す相手は初めてよ」
僕はゴミ箱をアレアの足元まで蹴飛ばしてからその上に立つ。
準備万全。
「さあ、頼んだよ」
「任せなさい」
アレアが僕の胸に手を当てる。胸が日差しのように穏やかな熱に包まれる。マナの熱だ。気になって見てみると、いつの間にか胸から青い鎖が現れていてどこかに向かって伸びていた。
この先……そうか。墓石と繋がってたんだ……。
胸に付いた質量のない透き通る青い鎖。こんなものが付いていたのなら、当然身動きもとれないだろう。
その鎖がピンと張った。その瞬間、体が引き伸ばしたゴムに引っ張られるような感覚に襲われる。『ゴーストハンド』で壁を掴もうとも、足を回そうとも関係ない。理不尽な力で手繰り寄せられる。
「うわっと。お嬢様危ない」
「大丈夫よ。ほら。抜けた」
途端に引っ張る力がなくなって、僕は頭ごと後ろの壁に突っ込んだ。途中で実体化を解いておいてよかった。せっかく手入れしていた壁に穴が開くところだった。
ぽこっと、軽い効果音がしそうな動作で頭を引っこ抜くと、離れた場所に鎖と繋がった古びた釘を持ったアレアがいた。話しかけようと思ったが、その表情がこれまでのどのときよりも真剣で、かける言葉が珍しく浮かばなかった。
アレアの胸の前に浮かんでいた掌サイズの青い釘の先端が、触れられることなく回転してアレアへ向く。ちょうど心臓の辺り。
「アルタテレト」
単調な文字の並びにアレアが凹凸をつけて言葉に変えた。なんの魔法かは知らない。聞いたこともない。けれど、未知の魔法の難易度を、僕の勘が伝えている。
繊細な魔法だ。僕が知る魔法よりもはるか上。
釘がアレアの胸に差し込まれるのを見ていた。好奇心と感動を混ぜ合わせたような心情で、自分の瞳の中が澄み渡っていくように感じた。
胸の鎖が音もなく揺れる。それが垂れて地面に落ちそうになったが、ギリギリで踏みとどまって、徐々に元の張りを取り戻し始めた。
「終わった?」
わかりきったことを確認する。一応確認は必要だ。
すると、アレアはこんな風に答える。
「終わってないように見えるなら、この胸から繋がっている鎖はなにかしらね?」
そうだね。そうだよ。
僕は目の前に浮かんできた『自由』の文字を前にこう言う。
「運命の青い糸かな?」
僕の顔は笑っている。アレアは顔をしかめている。正反対な二人だ。けれど、不思議なことに絆なんて実体のないものより強固に繋がっていた。
*
「行きましょうか」
「そうだね。でもその前に一ついい?」
「何をするつもりなの?」
「何ってそりゃあ」
建物から出た僕は背後に佇む時計塔を見上げた。そして、そのままの姿勢で片腕を持ち上げる。
『ゴーストハンド』
背中から飛び出した青く透き通る腕が、時計塔の壁を破壊する。一振り、二振りで半壊。そして、三振りで時計塔が傾き始めた。
「よし。終わり」
轟音を立てて時計塔が倒れる。細かな岩や砂が飛び散り、僕の作った家の窓を粉砕していった。けれど、あまり気にはならない。
「何を考えているのかしら。私が怪我をしたらどうするつもり?」
「僕がいたから怪我はしない。砂も石も全部弾いたよ」
身を守るようにローブで顔を隠していたアレア。強気な性格でも恐がりなようだ。
でも、これはやっておかないといけないこと。
この時計塔を見て、幽霊たちは僕の元に集まってきていた。僕が未練をなくす手伝いをしてくれると希望を持って来てくれていた。でも、僕は旅に出る。未練を探すための旅に。それなら、僕がいなくなることを伝えておかなくちゃいけない。
この場所の象徴だった時計台。僕の死んだ場所に立てていた時計台。その破壊がこの場所に戻らないという決意の現れのようだった。
「まっ、そんなわけじゃないけど。中漁られたら嫌だし。入り口塞いだだけ」
「くだらないことを言っている暇があるのなら足を動かしなさい」
「あー。そう。思ってたんだけど、僕アレアに憑依してるってことなんだよね。じゃあ、体に入れるのかな」
「勝手に入ればいいでしょ。気分は乗らないけれど、いずれは必要な行動よ」
じゃあ、お言葉に甘えて。でも、人の中ってどんな風なんだろう。透けて見えるのかな。うーん。吐いたらどうしよう。まあ、吐き気なんてとうの昔に忘れてきたけど。
心配事が増えた。けれど、これまで会ってきた幽霊に取り憑くのはやめたほうがいいなんて忠告する人はいなかった。だから信じて体に入る。
おお!! これは!!
そして僕は一言だけ評価を伝えた。
「この部屋狭いんだけど、一畳一間さん。改築お願いします」
「そう。よかったわね。今の私はあなたを成仏させるためならなんでもできそうよ」
喜んでくれたみたいでなによりだ。
時計台の一部が崩れたのか鐘の音が鳴った。夜の闇の中に響く鐘の音は、言いようのない何かを予感させた。