虚像狩り
魔王討伐を終えて凱旋した勇者一行を讃える祭りの夜。
主役である勇者から声を掛けられ、シスルの胸は高鳴った。
過去勇者がこの村を訪れたのは、魔王城を目指す旅の途中に立ち寄った一度きり。二度目など無い可能性の方が高かった。勇者が再び村を訪れ、他の誰でもなくシスルに声を掛けたことは奇跡といえるだろう。
今日のための努力がようやく報われる。勇者の好む容姿・勇者の好む所作を密かに調査し、それに近付くよう尽力を続けてきた。
そんな内幕などおくびにも出さず、シスルは控えめに、困惑している素振りで言葉を返す。
「私……ですか?」
「そうだよ、お嬢さん。以前訪れた時はゆっくり過ごせなかったからね。君しか知らないような、村の良い所を教えて欲しい」
にっこりと微笑まれたシスルは、ほんの僅かに頷く――まるで、断りきれなかったが為につい肯定してしまったかのように。
落ち着いた場所に連れて行って欲しいという頼みに応じ、シスルは人気のない場所へと勇者を先導する。道中彼女から勇者に話しかけることは一切無かったが、相手が気にしている様子はない。
大回りして案内したのは、星屑蘚に覆われた洞窟。村では星窟と呼ばれるこの石窟は、星屑蘚の放つ青白い燐光に照らされランプが無くても十分な明るさがある。
以前ここには魔物が棲み着いていて、勇者がその魔物を退治してくれるまで誰も近付くことができなかった。
三年前ここで起きたことを、彼は覚えているだろうか。
洞窟の中ほどへ差し掛かった頃、ふいに勇者がシスルを押し倒した。
とうとうこの時が。
覚悟していたとはいえ、シスルの体が強張る。
「あの……勇者様?」
口に出した言葉が震えた。
緊張と恐怖。今度は演技などではない。
「騒ぐな。黙れ」
そう告げた勇者の声音に優しさは露ほどもない。
大勢から信用と信頼を勝ち得てきた甘い容貌に浮かぶのは、残忍な征服者の顔。有無を言わせず、勇者は戦利品を扱う賊のごとき雑な手付きで怯えるシスルから衣服を剥ぎ取っていく。女性を物としか見ていない冷たい視線に、シスルの体は萎縮する。
――ああ、何も変わっていないんだ。
浮かんだ感情が落胆なのか安堵なのかシスルには分からない。
分かっているのは、彼女の整えた準備は無駄にはならないだろうということだけだった。
***
かつて勇者一行が村を訪れた時、当時世間を湧かせていた英雄たちの逗留にシスルは全く興味が無かった。出迎えに参加したのは、村人は全員顔を出すようにという村長の号令ゆえである。
誰もが顔を輝かせて歓迎する中、勇者が目を付けたのはただ一人無関心な様子でいたシスルだった。
相手は魔物を退治し村を救ってくれた救世主。村の案内をと頼まれれば断る訳にもいかず、連れ立った先でシスルは襲われた。
相手は村の男たちが総出でかかっても倒せなかった魔物を一撃で屠る猛者。村娘ごときの抵抗など意に介されず、シスルの心と体はぐちゃぐちゃに蹂躙された。
圧倒的に支持されている者に立ち向かうのは勇気がいる。
間違っているのは自分の方ではないかと、シスルは何度も自問した。苦悩の末に出した結論は、どんな理由があったとしてもあの仕打ちは耐え難いということだった。
決死の思いで勇者の所行を訴えた結果、シスルは村で孤立した。頭のおかしい愚かな娘とされて。
魔族に襲われた者は被害者なのに、勇者に襲われたと言えば異常者扱い。それも仕方のないこと。
あの頃、村は魔物の襲撃に悩まされていた。勇者たちが討伐してくれなければ、大勢の犠牲が出続けただろう。
村の中で孤立したシスルは「私が耐えれば良いだけ」と自分に言い聞かせ続けた。勇者は必要な存在だから、平和な世界の為だからと。
けれど、それはすぐに限界を迎えた。
村が救われた恩はある。
魔族や魔物は人類の敵。シスルの両親も魔物に殺された。
魔王を倒し世界を救った行為は大いなる偉業だ。
――だからといって何をしても許されるわけじゃない。
裁いて貰おうと思ったのが間違いだった。
誰かが代わりになんて、期待してはいけない。他人の痛みは他人には伝わらない。自分の痛みの重みを正確に把握できるのは受けた本人だけなのだから。
魔王が討伐されたとはいえ残党は残っている。
世の中から「勇者」を奪うことはどれほどの大罪だろう。
それでも譲れない。
いくら世界が救われようと、シスルの世界は壊れてしまった。二度と元には戻らないのだ。
どんな偉業を成そうとも罪は罪。帳消しになんてならない。
栄光が現実を曇らせて正しい裁きが下されないのなら、私が私の手で果たさなければ。
あの憎い男に制裁を。
***
復讐を決意したシスルは勇者が訪れたことのある村を巡り、同じ目に遭った娘が他にもいることを知った。
被害者たちは口が堅く、聞き取りは困難を極めた。しかし、シスルも同じ立場だと知ると堰を切ったように語ってくれる者たちが現れた。中にはシスルよりも前に被害に遭った者もいたけれど、娘たちの中にシスルのように声を上げた者は誰もいない。
どうして訴えてくれなかったんだろう。
貴女達が声を上げてくれていれば、私はあんな目に遭わずに済んだかもしれないのに。
一人ではなく大勢が声を上げていれば、あるいは――そう思うと、悔しくてもどかしい。
もっとも、それができない弱者だからこそ搾取されたのかもしれない。被害にあったのは気の弱そうな娘ばかり。そして、皆「勇者」に興味を示さなかった者だと分かった。
***
勇者が魔王討伐後にかつて訪れた村や町を巡っていると知った時、シスルの胸は期待に湧いた。
意図して見た目を変えたとはいえ自分のことを覚えているのではという不安は杞憂に終わり、誘導した通り勇者は再びシスルを選んだ。
全て計画の上。それなのに。
本当は怖かった。怖くてたまらなかった。憎いのと同じくらい、もしかしたらそれ以上に。
それでもシスルは勇気を振り絞り、覚悟を決めてここにいる。
口を閉ざして次の犠牲者を見捨てた他の被害者とは違う。
私は戦う。全てを懸けて。
苦難と屈辱に耐えるシスルの体を手前勝手に貪っていた勇者の顔が、突如歪んだ。欲望ではなく、苦しみで。
――効果が出た。
この勇者がどこをどのように扱うのか。覚えていたくもないのに、シスルの記憶にはしっかりと刻まれていて、一日たりとも忘れたことはない。
だから、あらかじめ体に仕込んでおいた。
劇薬を。
***
「外面を内面に写す薬と、内面を外面に写す薬、どちらがいいかね?」
ただ一人シスルに理解と同情を示してくれた人。旅の途中で出会った魔女はそう尋ねてきた。
勇者を外向きの仮面のような善人に変えることもできれば、内面の醜さが表に出るよう変えることもできる。どちらが貴女の望みなのかと。
シスルが「内面を外面に写す薬」を選ぶと、魔女は寂しげに微笑んだ。
「本当に、それでいいんだね?」
無理を言って協力をお願いしただけに、優しい魔女を落胆させてしまうのは心が痛む。それでも、シスルの意志は揺るがなかった。
だって、もし勇者が善人になってしまえば、これまで黙殺されてきた事が、被害者たちの嘆きが、本当に世迷い事にされてしまう。
誰からも望まれる優しい勇者様なんて求めていない。シスルの望みはただ一つ。あのケダモノが正当に裁かれるように、善人面の皮を剥いでおぞましい中身を晒してやることだけ。
シスルは知っている。勇者が戦っていたのは人々の為などではなく、ただ最も支障のない狩りの対象が魔族だっただけだということを。己の嗜虐心を満たして賞賛まで得られる都合のよい獲物。
崇高にはほど遠い、自分に関心のないものを暴力的に屈させることで満足感を得る歪んだ精神性。
何が勇者だ。あの男を衝き動かしているのは勇気ではなく狂気ではないか。
相手が野盗や魔族であったなら、シスルはきっと諦めていただろう。許せないのは「勇者」だからこそ。
勇者を崇めるぐらいなら魔族に怯える方がまし。
あんな忌むべき者が正義の象徴でもあるかのように称えられていることが悔しくて仕方がないのだ。
見せしめてやりたい。大勢の人が盲目的に崇め称えてきたものの正体を。
***
勇者の姿は魔族もかくやというおぞましい異形へと変じた。先ほどまでの美丈夫の面影など微塵もない。
これが勇者の内面。醜貌を目前にシスルは内心喝采を上げた。それこそ貴方のあるべき姿だと。
勇者は己の体の変化に気付くと、怒りに駆られるままに目の前の娘へと鉤爪を降り下ろす。何度も。何度も。
三年前に襲われた時、シスルは恐怖のあまり声を出すことができなかった。今度は違う。
痛みで意識が途切れてしまう前に、力の限り絶叫をあげた。
洞窟の反対側は祭りの会場に通じている。
悲鳴を聞きつけ駆けつけた村人たちが、惨状を目にして救援を求めて叫ぶ。
もし村娘を襲っているのが勇者であったのなら、人が来ても見て見ぬ振りをして引き返しただろう。
片や勇者。片や村娘。失われた時の損害は比較するまでもなく明白だ。少女の尊厳などより勇者の名誉を守ることが選ばれたに違いない。
けれども、異形の化け物となれば話は別。
ほどなく勇者の仲間たちが駆けつけ、戦闘が始まった。飛び交う魔法と剣戟。変異した慣れぬ体躯を持て余しながらもしぶとく抵抗を続ける化け物。その異形の体がついに倒れ伏すさまが、シスルの霞んだ視界に写る。
歓喜と安堵の勝ち鬨。それが突然水を打ったように静まり、誰かの呆然とした呟きがシスルの耳に届く。
「うそ、勇者様……」
そう、私はあなたたちにそれを見せたかった。
命懸けで望みを遂げたシスルは、あの日以来初めて自分に嬉しいと思うことを許す。
あんなことをされたからには立ち直るわけにはいかなかった。「その程度のことだったんだろう」なんて誰にも、自分自身にも思わせたくなかったから、笑うことも幸せを感じることも戒め禁じた。
それも終わり。
ああ、もういいんだ。
やっと――。
久方ぶりの微笑みが面に浮かぶか否かの間に、シスルの中ではとうに終わっていた世界は完全な闇に閉ざされた。