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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

記憶喪失の追放令嬢と暗殺者 リメイク

作者: ごんさん

以前書いた初短編のリメイクです。1万文字以上追加してます。よろしくお願いします。

 一面の白い花畑の中で、私は誰かと倒れていた。


 むせかえるように濃厚な花の香り。その甘い香を不快に感じ、頭が重く痛む。


 起きあがろうとしたが、それは叶わなかった。

 私の上には、誰かが覆い被さっている。 ちょっと苦しい。

 その上マントで包まれて、口元にはハンカチが当てられている。私はハンカチを口元から離し、深呼吸した。更に新鮮な空気を求め、抱き締められた腕から脱れようと抗った。

 しかし抜け出す事が叶わず、力尽きそうで目眩がした。



「おおーい、大丈夫か~?」

 少し離れた所に馬車が止まり、口元を布で覆ったおじさんが話しかけてきた。


 私は動けずに手だけ出して振ると、おじさんが助けてくれた。



 私と『誰』かは親切なおじさんに、街まで連れて来られて治療を受けた。

 私達は打撲と、花粉を吸い込んだ症状の治療をされた。


 助けてくれたおじさんは、行商であの道をよく通るらしいが、あの花畑の側道は、花の開花時期10日ほど危険な場所だと説明された。


 時々この土地以外の旅人が倒れていることがあって、助けることがあるそうだ。



「あなたの名前は?」

 街医者が、私に質問した。


 ーー私の名前…?


「連れの人の名前は分かるかい?」


 私と一緒に倒れていた人の事を聞かれた。


 一緒に倒れていた人は、若い男性で今はベッドに寝かされていた。


 頭が重く、視界も少し歪んでいる気がした。まともに何か考えられる状態ではないようだ。そのせいなのか、彼の顔を見ても全くピンと来ない。 


 私は自分の名前も、彼の名前も分からなかった。


 街医者の先生が言うには、彼は私を庇って私よりも花粉を吸ってしまったので、暫く目が覚めないのだろう、という診断だった。


 私達が倒れていた花畑は「忘れ草」と呼ばれる見た目は可愛い小さな花の群生地で、花粉を吸った人の記憶を強烈な眠気と共に奪ってしまう、花が開花する期間だけではあるが、地元では有名な危険なスポットだったらしい。


 特に夜は一斉に花が開き花粉が撒き散らされるので、通ってはいけない。

私達はそんな夜に、その花畑に踏み込んでしまったらしい。


 花が咲く頃は誰も近づかないようにしているのだが、時々不用意に入ってしまった旅人が被害に合うそうだ。

記憶が戻るのは、吸った量の違いや個人差で一定しないらしい。


 こういう人が時々いる為に、この街には花畑の被害にあった人を、受け入れる用意があった。


 私と誰かは空いている家を借りて、街の仕事を手伝いながら生活をして、記憶が戻るのを待つことになった。


 見知らぬ男女かもしれない2人が、ひとつの家? と思ったが、空いている家が一軒しか無かったことと、私達を助けてくれたおじさんが言うには、私達は夫婦ではないか?という。


 兄弟と言うには似ていないし、他人と言うには倒れていた時の密着度が他人では無い! とても大事そうに、私を包んで倒れていた彼を見るに、絶対に夫婦だろう、そこに愛がある。とおじさんは自信を持って言うのだ。

 違っていたら無責任この上ない発言なのだが、おじさんの言葉に強く推されて、気が付けば話がまとまっていた。


 私は夫(仮)と1つの家で暮らすことになった。


 彼は1日ほどで目を覚ましたが、やはり何も覚えていないようで瞳は虚だった。

 私と彼は、街の人達にお世話になりながら、生活をしていく事になった。 

 度々様子を見に来てくれ、気にかけてくれる街の人は優しく、面倒見の良さはこの街に住む者の気質なのか、温かさや気遣いが嬉しかった。


 最初は私も彼も花粉の影響なのか、会話も無くぼーっと過ごしていたが、数日すると徐々に意識がはっきりしてきた。


 意識がはっきりしてくるにつれ、私は彼を異性として、意識して行くようになった。

 よくよく見ると彼はとんでもなくイケメンだった。かっこいい。記憶はないが私の好みにとても合致しているのかもしれない。物凄く好みだ。好き。


 長身で手足も長く、筋肉質だが細身な体躯にサラサラ赤銅色の髪。瞳も同じ色で鼻筋の通った端整な顔立ち。意識してしまうと、彼の一挙手一投足、全てにドキドキと胸を高鳴らせてしまう。それまではカーテン越しに寝たり着替えたりしていた事が、凄く恥ずかしく思えてきた。


 彼が私を見詰めて、微笑んでくれる。それだけで頬が熱くなり、幸せ過ぎて気を失いそう。




 私達の体調が良くなる頃、街の人達の協力の元、街でお仕事を手伝いに行き、生活費をいただくことになった。

 色々経験して出来そうな事を、やってくれれば良いと言って貰えた。


 農家の収穫を手伝ったり、力仕事をして帰って来る彼。

 私は刺繍が出来るようだったので、雑貨なども扱う洋品店で手伝いをした。


 彼が仕事の後に、洋品店まで迎えに来てくれて一緒に帰る。他愛も無い今日あった出来事を2人で話しながら歩くだけだが、仕事の疲れを忘れてしまうくらい楽しく思えた。こんな風に誰かと笑い合い歩く。何だかこんな生活に憧れていた様な気がして嬉しい。


 家では当たり前の様に家事をしてくれ、よく働く彼に比べ、私の出来る事は少なかった。

 私は良い家のお嬢様だったのか、着ていたドレスはそれなりの高級な物だったし、家事は全く出来なかった。私は貴族だったのかもしれない。


 私も早く家事に慣れて、彼の為に出来る事を増やしたい。彼に喜んでもらえる様に料理も覚えたい。それを伝えると、私を気遣う言葉をかけてくれ「2人で一緒にやろう」と優しく微笑んでくれた。


 こんなにステキな人が『自分の夫』と思うだけで、私の心は大きく早鐘をうち、まるで世界中から祝福されたような幸福感に包まれてしまう。 優しい赤銅色の瞳を向けられると幸せで、それでいて恥ずかしくて彼を直視出来なくなってしまう。


 自分の姿を鏡で見ると、金の巻き毛に淡い紫の瞳。明るい色味ではあるが普通の少女だ。背は低めだし、やや細めで肉付き少ない体型に特別な美人ではない、可愛いとも言えなくも無い顔。

 鏡の前でにっこり笑ってみる。一応可愛い? 自分の欲目かもしれない。


 もっと魅力的な容姿をしていれば良いのに……溜息が出てしまう。

 困った事に私には、彼のようなステキな人が夫となってくれる魅力が無いのだ。


 もしかして私達って夫婦では無い……?


 そんな事が頭を過った。


 夫婦と決めつけてくれたおじさんの言葉は何の保証も無い。

 今だって、夫婦という体で一緒に暮らしているだけなので、ベッドも別だし本当の夫婦とは違うという事は、鈍い私にもちゃんと分かっている。名ばかりの『奥さん』なのだ。


 それでも現状が幸せ過ぎる私は、彼の記憶が戻るまでは、私は何かを思い出しても、黙っていようと心に決めた。

 だって彼ほど素敵な男性ならば、恋人がいたかもしれない。最悪本当の奥さんがいるかもしれない……


 もし私が彼の奥さんじゃ無かったとしても、今ここで生活をしている間は、私は彼の奥さんでいられる。

 お互いの過去が分からない不安もあるが、それよりも私は彼と一緒にいられる今が良い。このままずっと一緒に暮らしていけたら……記憶なんて戻らなくても良い、自分勝手かもしれないがそんな考えになってしまう。


 だから何を思い出しても、気がつかないふりをしよう。


 ーーー少しでも長く、彼と穏やかに暮らせる様に……




♢♢



……などと考えていた数日後、私の記憶がキレイに戻ってしまった。


 私は隣の国の、伯爵令嬢だった。

 しかも王太子殿下の婚約者だった。


 王太子と婚約したのは、もう10年近く前。当時、王太子殿下と歳の近い伯爵家以上の令嬢が私だけだったのと、実家の伯爵家の事業が順調で裕福に潤っていた事から、運悪く私が婚約者に選ばれてしまった。


 王太子はお世辞にも私の好みとは言い難い容姿で、はっきり言って王家の美しい金の髪以外は褒めるところが無い。人の話を聞かないし、傲慢で我儘だった。

 望んでもいないのに婚約者に選ばれ、それまで比較的自由に領地の野山を駆け巡り、自然豊かな処で伸び伸び育っていた私の生活は一変してしまった。


 領地に帰る事も、自由に遊ぶ事も出来なくなってしまい、顔を合わせれば『爵位の低い田舎娘』と私を貶めてくる王太子殿下との交流も、私にとって苦痛でしかなかった。

 しかし両親は私が王家に嫁げる事を名誉と、とても喜んでいた為、我慢して王太子妃教育を受けていた。


 王太子妃教育もあと少しで終わる頃、全く身に覚えのない罪で国を追放された。


 気がつけば何故か私の悪評が広まり、ある夜会にて物語などで良くある婚約破棄をされたのだ。


 どうやら王太子殿下は最近男爵家に養女に迎え入れられた令嬢に一目惚れをし、知らない間に仲を深め、元々疎ましく思っていた私を、排除する事にしたようだった。

 夜会で男爵令嬢の腰を抱いて、婚約破棄を告げる王太子殿下の様子は、まるで劇の一幕の様だった。


 国王陛下の隣国訪問の機を狙っての強行に、私は家族に会う事も出来ずに、その日のうちに追放処分を言い渡された。

 自分で望んだ事で無いにしろ、お妃教育に費やし努力した時間の全てを否定された私は、倒れないでいるのが精一杯で、弁明する事も碌に出来なかった。


 言ったところで王太子殿下の言葉が覆る事もないので、言うだけ無駄であっただろう。この後自分の人生がどうなってしまうのか、娘が王太子妃になれると喜んでいた両親の顔を思い出し、両親の夢を叶えてあげられなかった情けない自分に申し訳なさでいっぱいになっていった。


 もっと私が上手く立ち回れていたら違ったのだろうか? せめて国外追放取り消してもらえないか?

 私は首をぶんぶんと振った。仮に国外追放を取り消してもらった所で、婚約破棄された令嬢など、まともな結婚は出来なくなる。傷物扱いとなる上に王太子妃候補だったなんて面倒な曰く付き不良債権娘となってしまった。ガッカリさせてしまう上に、実家のお荷物となってしまうのであれば、大人しく国外追放されるべきなのかもしれない。


 しかし国から追い出されて、今後の自分はどうなってしまうのか……

 不安が私の全身を襲う。

 頼る人もなく、ごく僅かな荷物ひとつだけで国を追われ、身分もない。これからどうやって生きていけばいいのか……なんの力もない元貴族の娘が知らない土地で、1人で生きていく。それがどんなに惨めで、過酷な事になってしまうのか……


 簡素な馬車に揺られ、不安と悔しさで押しつぶされそうになりながら、涙が止めどなく流れていく。

 こんな惨めなまま生きていく自分には、もうきっとこの先、何一つ幸せな事なんてないのだろう。

 そう思うとずっと堪えていた感情が全て溢れ出し、嗚咽が漏れ涙が止まらない。




 突然外で何かが落ちるような変な音がした。


 馬車が止まり扉が強引に開かれる。曲者が馬車の中に侵入してきた。


 馬車の中に侵入してきた曲者を見て、私は背中に冷たいものを感じ、急速に頭が冷えていった。


 ーーああ、私はここで殺されるのね? 


 先程まで考えていた『未来の自分に対する心配』など全く必要無かった。私に未来は無かった。もっと最悪の結果が待っていたのだ。

 死を前にしているのに、妙に冷静になる自分がいた。


 王太子妃候補になってから王城で暮らし、人から羨ましがられる事、妬まれる事は多々あった。しかしその実は他人が羨ましがるような事は無かった。厳しい教育係に叱責される毎日に、婚約者である筈の王太子殿下の冷たい態度。その殿下の態度を見て軽んじてくる周りの者たち。そう、努力をしても、良いことなんて何ひとつ無かった。


 ーー私の人生は、いったい何だったのだろう……


 ーーこんな事になるのなら、もっと自由に生きてみたかった。


 ーー許されるなら、せめて恋がしたかったかもしれない……


 目を瞑り私は夢想する。


 物語の中に出てくる王子様のようでなくても良い。私の事を愛してくれる人、そして私もその人の事を心から愛して、お互いを尊重し、支え合って生きて行けるような人。 そんな人に出会えていたら……


 目を開き諦めの気持ちで、私を殺しに来たであろう者を見詰めた。


 顔をマスクで半分隠していたものの、その曲者が端正な顔立ちだということは、すぐに分かった。

 フードから除く赤っぽい髪がハラリと垂れて、月の明りを映す美しい赤い瞳に、怪しい色気を感じ、私の心臓が思わず跳ねた。息を呑み、目が釘付けになってしまう。


 追放だけでは飽きたらず、おそらく口封じのために王太子が、仕向けたであろう刺客。


 不思議と恐怖は消えた。一瞬時が止まったかの様に、彼の美しさに魅せられて、視線を離す事が出来なかった。瞬きも惜しい程に彼を見つめた。


 彼は私を抱えて、馬に乗り走った。

 どこか、別の場所で殺すつもりなのかもしれない。

 私はもう少しだけ生かされると思い、同時にもう少しだけ長く彼を見ていられる事を嬉しく思った。

 口元が緩む。彼の腕の中に収まり、微笑を浮かべる私の姿は、もし誰かに見られていたら、さぞ異様な姿に見えたかもしれない。


 馬を走らせる彼の横顔を見上げ、今まで感じたことの無い昂る感情に歓喜した。

 今まで美しいと言われる貴族の男性を見た事はあるが、こんな風に心を動かされた事は無い。こんな素敵な方は見た事ない。もしや人間では無いとか? 精霊や妖精、昔見た天使様の様。


 不細工な王太子の顔をもう見なくて済むのなら良かったのかも、とも思ってしまうほどに、私は彼の顔に癒され始めていた。 目元だけじゃなくて、どうにか顔を全部見ることは出来ないだろうか? 殺される前に頼んだら見せてくれないだろうか? 10分、いや5分でもいいから顔をゆっくり見せてくれないだろうか?


 こんな素敵な殿方を、最後に見ながら死ねるのは、憎たらしいあのバカ王太子にしては最後になんて良い人選をしてくれた……などと思っていてあの花畑の道に入ってしまったのだ!!



♢♢


 やはり私は、彼の奥さんでは無かった。 悲しいが、それはそんな気がしていたし仕方ない。


 しかしそれどころか、彼の標的だったのは辛い。


 彼は私よりも花粉を吸い込んでしまったせいか、まだ記憶が戻っていないようだ。

 本来ならば彼の記憶が戻る前に、そっと逃げてしまえば良いのかもしれない。


 でも私は、彼との生活を捨てたくなかった。生まれて初めて好きになった人と一緒にいられるのだ。


 この幸せな時間がずっと続けば良いのに……このまま彼の記憶が戻るまで黙っていよう。


 彼の記憶が戻るその瞬間まで、私は彼の奥さんでいられる。


 私の人生にそれくらいの幸せがあっても良い筈だ。例え記憶の戻った彼に殺される事になっても、最後まで彼と一緒に居たい。




♦︎♦︎




 俺の仕事は暗殺だった。


 王家に仕える影。暗殺を生業とした家に生まれた俺は、幼い頃から体術や薬の扱いを教え込まれた。物心着く頃に王家に忠誠を尽くす宣誓の魔法契約をさせられ、何の疑いも持たずに仕事をこなしていた。


 私情を挟む事は許されない。命乞いされようと、金を積まれようと関係無い。標的となった者をひたすら追い詰め 消していく。時には護衛の様な仕事もしたが、基本的に人を殺すのが仕事なのだ。その事を疑問に思う事は許されず、当たり前の事だと、行動の全てが王家の為にと躾けられ、それが正しい事だと教えられ育てられた。


 ただ今回の王太子の依頼を聞いた時、自分の中にあった王家に対する猜疑心が爆発しそうになった。


 王太子の元婚約者の令嬢暗殺依頼。

 冤罪で断罪後、令嬢を国外追放処分へ、隣国へ向かわせ馬車を襲い、国境近くの森で殺せ。


 嬉々として語る王太子の顔面を蹴り倒したい。しかし魔法契約により王家の影である我らは、王家の者に手を出す事は出来ない。裏切らない様に出来ている。身体が動かなくなり、最悪命も失う。ある種の奴隷契約の様な主従契約には嫌気がさす。心を殺し、何も考えずに依頼を実行するのが精神的に良い。


 この程度の理不尽さは、今までもあった事だ。だが今回の依頼は、この依頼だけは駄目だ。今まで燻っていた不満が俺の中から溢れ出す。

 触れてはいけない、俺にとって尊い存在。それが彼女だった。


 自分の私欲の為だけに、罪もない婚約者を断罪し追放する?


 何故この様な理不尽な事に、手を貸さねばならないのか?


 この国は、こんな愚かな者を王にするのか? この国の未来は大丈夫か?


 この様な愚かな者が王になり、ずっと仕えて行かねばならぬ運命ならば俺は抗う。

 こんな事は許されない。 俺が許さない!


 自身の奥底から沸々と湧き上がる黒い感情を、もう抑える事が出来なくなっていた。


 お前が貶めようとしている令嬢は、俺にとって大事な娘だ!

 今すぐこの愚かな王太子を殺してやりたい。 


 俺は王太子の依頼を聞きながら、抱いた敵愾心を隠す様に必死に震える拳を握った。

 彼女を救う為の最善を考えなければならない。


 彼女を救う為に俺がどうなっても、王太子、お前を引きずり下ろす!



♦︎♦︎♦︎



 十年ほど前、俺にとって初の大仕事が任された。


 王族に敵対する貴族を毒殺する為に、夜会の行われる会場に潜り込んだ。


 依頼内容は

【なるべく大勢の目の前で苦しませて殺せ】との仰せだ。


 公爵家の子息、若い彼は王家の政策に異を唱え、低位貴族達から持ち上げられ、すっかり増長し王家から煙たがれる存在となっていた。実際に国に何か興せる程の人物では無かったのかもしれないが、他者への影響を考え謀叛の種は早めに刈り取る事となった。


 少しでも危険のある思想の公爵子息には大人しく退場してもらい、同時に彼と共に活動していた貴族達にも警告を与える意味を持たせる。


 夜会会場での突然死……刃物など使えば大騒ぎになってしまう。あくまで病死として処理をし、しかし多くの者に見せしめとして行われる趣味の悪い暗殺ショーだ。


 会場に紛れ込んでいた俺はグラスに1滴、誰にも気が付かれる事無く毒薬を入れた。


 標的の公爵子息が、周り者達と談笑しながら、グラスを傾け飲み干す。

 横目でそれを見ながら少しずつ距離を取り、その時を待つ。暫くすれば派手にグラスが落ちる音が響いた。

 苦しみ踠く公爵子息。騒然とする周りの者に見守られながら、呻き苦む姿に救護の者が呼ばれ、手当をする為に、取った手が力無く落ちるのを確認し、俺は騒ぎに乗じて会場の外へと抜け出た。


 庭園の小道を少し歩けば、夜会会場の喧騒が遠のき、一息つけた。気がつけば、じわりと手に汗をかいている。自身で考えていたより緊張していた様だ。会場内に漂う香水の絡み合う匂いに当てられ、頭も重かった。噴水の近くの長椅子に座り、夜風に当たり少し休む事にした。ミスはしていない。特に追手が来る事もない筈だ。


 月の光は明るく、等間隔に置かれている淡い光の街灯と共に、噴水の水面や飛沫をキラキラと照らしている。その柔らかな光は薄っすらと夜の庭園の花を映し出していた。煌びやかな夜会会場の光よりもずっと美しい光景だと思えた。


 標的の公爵子息が倒れた時、偶然にも目が合ってしまった。死に至る苦しみに歪んだ怨めしい瞳を思い出し、目を瞑ってみるが、その怨みがましい瞳が瞼から消える事は無かった。


 今となったらそんなものは気にもならないが、当時の俺はまだ幼く未熟者だった。


 暫くぼうっと噴水を眺めていると、パシャパシャと水で遊びながら、クスクス笑っている少女に気がついた。いつのまにそこに居たのか。俺はかなり油断していたのかもしれない。


 庭園には灯りが設置され、もっと離れた場所には警備の騎士たちが配置はされているものの、幼い少女がこんな誰もいない場所に1人で遊んでいる事など、普通では有り得ない。

 月明かりを浴びてふわふわ揺れる金髪を眺めながら、妖精が遊んでいるのではないかと思い動けなくなった。

 俺が動いたり話しかけたりしたら、この愛らしい妖精は消えてしまうかもしれない。


 しかし妖精は固まって見つめる俺に気がつくと、話しかけてきた。

「お兄ちゃんどうしたの? 顔色が悪いわ。気分が悪いの? お熱でもあるの?」


 そう話しかけてくる少女は俺の妄想の妖精では無く、ちゃんと生きた人間だった。小さいけれど、見なりのしっかりした貴族令嬢だ。


 幼い彼女は、本来は両親に控え室で待つ様に言われていたのだが、退屈で勝手に出てきてしまったという。

 そんな事を説明しながら俺の様子を伺う彼女。

 警戒心が無いのか、純粋に心配だけをしてくれているのか、不用意にも見知らぬ男である筈の俺に近寄ってきた。

 先程から見せる貴族令嬢らしからぬ振る舞いに、動揺しつつ、一方でこの少女をどうするか頭の中で考えていた。


 夜会会場は今頃大騒ぎの筈だが、少し離れたこの庭園には、俺と彼女の音しか無かった。


 黙ったままの俺の様子を見て、彼女は何か思い付いた様に「ちょっと待ってね」と言って噴水へ駆け出し、ハンカチを濡らして戻って来た。


「これを使って」

 俺の額に向けてハンカチが差し出された。


 幼い彼女は熱でもあるのなら冷やした方が良いと、判断したのかもしれない。

 だが俺の方は動けずに、固まったままだった。何が起こったのか分からなかった。彼女が自分の為にハンカチを差し出している事を理解するのに、時間が、かかってしまった。


 王族も貴族も意味なく威張っている奴ばかりで、自分の都合で平気で他者を貶める。特権階級の奴らが嫌いだった。


 ハンカチはレースで縁取られ、美しい糸でクローバーの模様が刺繍されていた。


 俺が使うには分不相応だ。 白いハンカチはまるで穢れのない彼女のそのものの様に思えた。

人を殺めて来た俺には、似付かわしくない。


 初めて親切にしてくれる貴族。青い美しい瞳が真っ直ぐに俺を見ている。

 この貴族令嬢は、俺が人を殺めて来た事など知る筈も無く、無邪気に微笑んでいる。

 その無垢な微笑みは眩しく、俺は自分が酷く汚く、穢れた存在だと感じた。


「こんな綺麗なハンカチ……使えないよ」

 このハンカチを汚すと彼女まで汚れてしまいそうで嫌だった。俺が拒否すると彼女は何故か嬉しそうに笑った。


「嬉しい。ありがとう。この刺繍初めて私が一人で刺したものなの。いっぱい練習したのよ。綺麗って言われて嬉しいわ。また刺繍はするからこれは貴方にあげる」


 そう言って微笑む彼女は、俺の額にハンカチを押し当てた。

 濡れたハンカチはヒンヤリとしていて、少し火照った俺の熱を吸い取った。

 触れる事を戸惑っていた俺に、いともたやすくその壁を越えて来た彼女。

 

 彼女の事を真っ直ぐ見る事が出来ずに視線を逸らし、小さな声で「汚れてしまう」と呟くと、

「汚れたら洗えば良いのよ」と、とても簡単なことの様に言ってくれた。


 その言葉に、どこか救われた様な気がした。


 

 ーーそんな彼女に俺は恋をしたのだと思う。



 しかし貴族の令嬢である彼女とは身分が違う。もう直接会うことは叶わないだろう。


 ましてや彼女はこの後、王太子の婚約者に選ばれてしまった。


 遠い存在だ。 あまりにも住む世界が違った。


 彼女は明るい陽の道を歩き、俺は暗い夜道を歩いている。この先、2つの道が交わる事は決して無い。


 ーー直接会うことがなくても彼女が幸せならばそれで良い…

 

 ーー彼女の事を考えると心が暖かくなる。俺はそれだけで良い。


 ーー遠くから見守る。


 ーー笑っていて欲しい。


 彼女が微笑むだけで陽の光の温かさを感じ、周りが輝いているようだ。

 金の巻き毛も大きな瞳も少し低い鼻も全てが愛しく思えた。


 あの時、貰ったハンカチは俺の唯一の宝物となった。


 遠くから見るだけで幸せだった。



 しかし数年経った頃、いつの間にか彼女から笑顔は消え、その表情は冷たく悲しげに変わっていった。

 理由は分かりきっている。王太子妃教育の為、王宮で暮らす様になってからだ。


 どういう事だ?

 この王太子はどうしようもないバカなのか?

 王太子妃になる彼女は、他の令嬢達よりも高い身分となり敬われ、幸せになるものだと思っていた。

 彼女の夫となるはずの男。

 彼女が王妃になり幸せになるなら、憎たらしいお前の命令も素直に聞いてやろう。


 しかしこの愚かな王太子は、彼女の良さが分からないだけでなく、胸の大きなだけの、バカそうな女を選び、何の罪もない彼女を追い出す計画をしている。

 俺は腸が煮えくり返って、すぐにでも王太子を殺してやりたかった。

 彼女の悲しそうな顔を見ると、心が張り裂けそうだった。


 王太子の行動は少し調べればボロが出る筈だ。

 どうやってもお前を引きずり下ろしてやる!!



 こんなバカよりも離宮に隠れている第二王子が王になった方がいいかもしれない。


 王太子は王から寵愛を受けている側妃の子。甘やかされて我儘で愚かな王子。

 第二王子は亡くなった正妃を母に持つが、立場が弱く王太子を祭り上げる者たちに追いやられ、身体が弱く滅多に人前に出る事なく、離宮に引きこもっている。しかし、その実は水面下で何か動いている事を掴んでいた。


 そんな時に第二王子の方から俺に接触してきた。


 遠目でしか見たことのなかった第二王子。身体が弱く大人しいと噂されているが、それは噂でしかない事はすぐに分かった。王太子とは似ても似つかない凛とした気品ある佇まい、黄金の髪に黄金の瞳は正当な王家の血筋を物語っていた。


 今まで大人しくしていたのは、好機を狙っていたのか。

 第二王子は離宮に潜みながら、外の情報を調べ、時には離宮を抜け出し、自身で暗躍していた様だ。密かに俺を指名し離宮に呼び寄せた。

 俺の事情をある程度わかっていた様だった。


 「僕が君の願いを叶えるから、君は僕の願いを叶えてくれるかな?」


 優雅に微笑む第二王子、だがその優しげな表情の奥に一癖ある。なるほど。これは王太子とは比べるまでも無い。


 「僕は君の欲しいものをあげるよ」

 親しそうにそうに語りかけてくる第二王子に俺は無言を貫いた。


 「警戒しないで、そうそう、先にご褒美の前払いがあるんだ」と和かに微笑んだ。

 第二王子は俺に一枚の羊皮紙を差し出して見せた。


 「これ手に入れるの大変だったんだよ」


 その羊皮紙には見覚えがあった。俺が幼い頃に書かされた王家に仕える魔法契約の証だった。

これがある限り、俺は王家に従い、王の血筋の者に手を出せない。

 厳重に保管されている筈のそれが、ここにある。


 第二王子の真意を分かりかねて、押し黙る俺の前で、羊皮紙に火がつけられた。

 あっさりと燃えていく羊皮紙を前に、俺は呆気に取られた。


 「もう縛られる事なく、君は自由に兄上を殺せるね」と微笑む第二王子。


 「俺が貴方を殺す事は考えていないのか?」と尋ねると、「君はそんな事しないでしょ?」っと楽しそうに答えた。


 毒気を抜かれた俺は、第二王子の申し出を受けることにした。


 いくら自然死に見せかけるにしろ王太子の暗殺ともなると事は大きい。

 俺はこの仕事の後は、用心し身を隠すように言われた。そして後払いの報酬に欲しいものをくれてやると言うのだ。


 俺の欲しいものはもう決まっていた。




♦︎♦︎




 王太子の策略に嵌まった彼女が、兵士の数人に囲まれ、貴族が乗るには簡素な馬車に乱暴に乗せられた。

罪人の様な扱いに、俺は憤りを感じながら隠れて様子を見ていた。あの兵士達いつか殺す。顔は覚えた。


 俯いたままの彼女を乗せ、馬車が出発した。

 貴族令嬢だった彼女に対し、護衛も付けていない。


 彼女をこんな目に合わせた王太子は報いを受けるべきだ。



 俺は王太子に、彼女を国境付近の森で、盗賊に襲われた様に見せかけ始末すると伝えてある。


 王太子には計画が上手くいったように思わせておこう。


 俺は王太子に言われたまま彼女を追い、馬車を襲う。


 ここまでは王太子の思惑通り。だがこの後は俺のシナリオだ。


 彼女を連れ去り口説く。

 そして結婚を、申し込む。



 既に第二王子からの依頼は実行された。


 数日で王太子は倒れる。そして死ぬまでの期間長く苦しむ事になる。それまでの僅かな時間、自分の拙い計画が上手く行ったと夢でも見ているが良い。


 本来は串刺しにして切り刻んで肉片にしてやりたいところだが、王太子の死を見届けるよりも、彼女を救うことの方が大事だった。 俺は彼女と共に此処を去る。




 王太子の食べ物に遅効性の毒を混ぜた。


 本来王太子の食事の管理はかなり厳重だ。

 調理人に調理場、給仕、毒見役、全てが細かくチェックされる。

 俺は当初毒味役と入れ替わるつもりでいたのだが、もっと簡単な方法があった。

 愚かな王太子は、お気に入りの男爵令嬢の作ったという差し入れは毒見もなしで食べてしまうのだ。男爵令嬢に愛情を示したかったのかもしれないが、その女は贅沢がしたいだけで、王太子に対する愛情など無い。手作りと言っている菓子は市販品だ。

 自分達の計画が上手くいったと信じて、自慢げに男爵令嬢に語っている王太子が旨そうに食っている所を眺めながら、俺は笑いが止まらなかった。

 一緒にお茶を飲んでいる男爵令嬢も食べてしまったが、婚約者のいる男に近付き誘惑する女など、同罪だから構わない。

 死んだ後でも検出出来ない猛毒だ。仲良く逝ってくれ。王太子と死ぬ時期が近かろうと第二王子がきっと上手く握りつぶすだろう。

 2人とも存分に苦しんで死ぬが良い。



 俺にはもう関係無い。

 国から出て、晴れて自由。彼女と新婚生活だ。

 そう上手くいくかわからないが、どんなに時間がかかっても、彼女を口説き落とそう。

 今までの分も、きっと幸せにしてみせる。彼女を大事に甘やかして、辛かった事を忘れさせてあげたい。



 馬を走らせ隣国の街を目指す。

 第二王子との取引での追手の心配もない。


 本物の自由だ!


 辺りは暗くなり始め、夜になりかけていた。

 暗くなると森に獣が出る危険もあるので、早く街に行かねばならない。

 街に到着したら、ゆっくり彼女と話をして長年の思いを伝えよう。


 こんな自分だが、彼女に好きになって貰える様に努力しよう。彼女を幸せに、大事にしてあげたい。



♦︎♦︎♦︎



 俺の心は浮かれていた。夢みたいだった。彼女がこの腕の中にいる。


 馬を走らせていると、薄暗い夕闇の中に一面の花畑が広がっていた。


 以前にも、この辺りに何度か来た事はある。しかし以前見た時と違う、妙な感じがした。

 何かが違う? しかし、その違和感に確信を持てぬまま、馬を進める。


 暗い森で夜を過ごすなど、危険な事は避けたい。この花畑を越えれば街が見える筈。

 しかし花畑の半分くらいまで来ると、自身の違和感の正体を知る事となった。開きかけの花からは白い靄のようなものが微かに出ている。


 しまった!


 思い出した時には遅かった。

 俺は、昔聞いた話を思い出した。


 夜に一斉に開花し、花粉を撒き散らす『忘れ草』人の記憶を奪ってしまう危険な花!


 気がついた時にはもう遅い。

 日は既に傾いて、次々と花が開花していく。

 引き返す事は出来ない! このまま通り抜けられれば、その方が良い。馬に指示を出し加速する。揺れが大きくなり、振り落とされないように、彼女の身体を支えた。 一斉開花する前に通り抜ける。


 花の開花時期でなければ、何の障害も無いはずの道だが、運悪く当たってしまった。

 己の運の無さ、いや、迂闊さに腹が立った。


 だが、今は一刻も早く彼女を安全な場所へ……

 

 しかし急がせている筈の馬のスピードは、徐々に落ちて行く。

 俺は何度も加速する様に指示をするが、更に速度は落ちた。


 突然馬がバランスを失った。


 勢い余って振り落とされる。

 そのまま馬はフラフラとした後、倒れ込み寝てしまった。馬も花粉にやられた様だ。

 

 咄嗟であったが何とか彼女を庇って、受け身を取ることが出来た。スピードが落ちていたのが幸いし、打ち付けた痛みはあるが、大した事ない。身体は動く。

 急ぎ立ち上がり、彼女に怪我は無いかを確認し、ほっとする。

 しかし花粉が舞っているので、吸い込まない様に伝え、懐からハンカチを出し彼女の口元を覆わせた。素直に聞いてくれて助かる。俺は彼女を抱えて歩き出した。


 この花粉は危険だ。 一刻も早くこの場を離れなければ……


 花粉に催眠効果があるのか身体が重い。

 一歩二歩進む毎に身体が重くなり、目が霞む。

 彼女の様子を伺うと、既に意識は無い様だ。


 馬鹿だな俺は……

 彼女を手に入れたと思って、浮かれたせいだ。


 彼女を抱えたまま膝を着いた。


 彼女を幸せにすると決めていたのに、こんなところで……情け無い。


 遂には動けなくなった俺は、彼女がなるべく花粉を吸わないように覆い被さり、抱きしめた。


 この花畑ならば獣も近づく事はないだろう……命を失う事は無い。


 ーー大丈夫。きっと大丈夫だ。例え、記憶を失ったとしても、俺は彼女を愛してる。




 そのまま俺は、気を失った。







♦︎♦︎♦︎♦︎



 俺は今、彼女と暮らして、望んでいた生活を手に入れていた。


 しかし今の彼女は記憶を失っている。


 実を言うと俺は結構早くに記憶が戻った。幼い頃からの訓練で毒物の解毒に身体が慣れていたお陰かもしれない。


 彼女は辛い記憶を失って、俺を夫と思っているようだった。

 俺の事を信用し笑顔を見せてくれている。


 最初に助けてくれた行商人の男は、実を言うと仲間だった。いや、仲間…というか、幼い頃から色々教えてくれた先生的な存在だ。今は行商人として各国を行き来し諜報活動をしている。現れたのは偶然ではないかもしれない。お陰で俺の身に付けていた危ない暗器の数々を安全に外してもらえていた。

 そして夫婦だと主張してくれたお陰で、彼女は俺を夫と思い込んでくれている。とても有り難いことだが、本当は一日も早く本物の夫婦になりたい。


 このまま悲しい記憶など無くても良いのではないかと思うが、もし突然彼女に記憶が戻ったらどうなる?


 彼女の記憶では俺は馬車を襲った暴漢、もしくは王太子からの刺客と思われているかもしれない。


 彼女に話をするのは、彼女の記憶が戻ってからの方が良いだろう。

 なるべく彼女の傷つく顔は見たくない。


 まさかあの王太子の事を愛していたり、と言うことはないと思うが、彼女が追放され傷ついた事は間違いないのだから……


 彼女の記憶が戻ったら……


 もっともっと、落ち着いたら……



♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



 俺は今日も仕事の帰りに、彼女を迎えにいく。


 お嬢様育ちの彼女を働かせるのは少し躊躇うが、記憶が戻るまでは、このまま平和でありたいと思う。

 そして記憶が戻っても、俺に少しでも愛情をもって貰えるように、毎日彼女には優しく大切に接している。


 そして徐々愛を伝えていこう。


 記憶が戻っても嫌われませんように……




♢♢♢



 今日も彼が迎えに来てくれて、笑顔で手を振っている。


 優しい笑顔だ。

 荷物も持ってくれて、家までの道も、まるでデートのように楽しい。


 ああ……この生活がずっと続くと良いな。


 彼の記憶が戻りませんように……


 私の記憶が戻った事はずっと内緒にします。




♢♢♢♢


 

 数ヵ月後、病で伏せっていた隣の国の王太子が病死したらしい、と言う噂が街に届いた。それと同時に第二王子が立太子したという。


 一応かつての婚約者ではあるが、あの王太子殿下の事は好きではなかったし、お元気そうだったのにいつの間にか病で伏せっていたのね。位にしか思わなかった。亡くなったのは気の毒だけど、国民の為には、彼が国王にならなくて良かっと本気で思ってしまう。


 なので、第二王子が立太子した事はとても喜ばしい事だと思う。


 まだ王太子妃教育が始まったばかりの頃、王宮で、王太子が小さな第二王子に酷くいじめている所を目撃し「自分より立場の弱い者に対して強く出るのは、人の上に立つ者のすることでは無い」とピシャリと言ってしまったことがあった。

 王太子は激怒し、泣いて私を叩き、私との婚約を解消だ、と叫んだ。しかし子供同士の喧嘩だと大人達に軽く遇らわれ、大人の事情で継続となった。思えばあの時に王太子殿下から完全に嫌われていたのかもしれない。私も嫌いだったけど。


 身体が弱いと言う事になっていた第二王子殿下。本当は王太子派の者たちからの、嫌がらせや干渉、暗殺を防ぐ為の苦肉の策だった事を知っている。ここ数年離宮に篭ってしまい、会えていなかったけれど、幼い時は私の事を「義姉様」と読んで慕ってくれていた。最後にお会いした時よりも、さぞ成長され立派になっていることと思う。他国の王家から嫁いで来られた王妃様の忘形見。彼ならば、人の痛みの分かる素敵な国王になってくれる事でしょう。




♢♦︎♢♦︎


 彼と暮らし始めてそろそろ一年、借家には最初、簡素な家具があるだけで、何も無かった。

 でも、今では2人で作ったり選んだ物で溢れて、暮らしやすい暖かい家となっていた。


 服も最初こそ、着ていたドレスしか無かったけれど、ご近所の人から譲り受けたり、購入した古着をリメイクして刺繍したりで、タンスの中はいつのまにか充実している。

 カーテンもテーブルクロス、クッション、食器、窓際に置いた花、ひとつひとつに彼との思い出がある。


 作ったリメイク服が好評で、雇って貰っている洋品店で販売させて貰ったら、有難い事に人気が出てすぐに完売してしまった。次は生地から服を作ってみようと思っている。


 今日は彼は畑を荒らす害獣を駆除しに森に行っている。最近は冒険者の様な仕事も増えて、私達2人で暮らすには十分過ぎる報酬もいただいてちょっと贅沢なご飯も食べられる様になって来た。


 生活もしっかりし、大好きな人と暮らせる毎日。今私はとても幸せ。


 最近は2人で歩いていると「お子さんは、そろそろかな?」と言われる事もあって、皆さん、私達が記憶を失ってこの街でお世話になり始めた経緯などすっかり忘れて本物の夫婦だと思ってしまっているのかしら?と思う。


 そんな風に言われた後の彼は何か言いたそうにソワソワした様子になってしまう。

 たまに何か話したそうになる彼の様子に、実は私も聞いてみたい事がひとつあった。


 私は手元のハンカチを見た。

 このハンカチは、私がこの街に来た時に持っていた物。正確には花畑に突っ込んだ時に、彼が私に渡してくれたハンカチ。

 花粉のせいで朦朧としていて、その場ではよく分かってなかったけれど、よくよく思い出してみたら、私の事を助けようとしてくれていたのではないか?って都合の良い解釈をしたくなる。一緒にいて彼に対する信用度と愛情で私の妄想でなければだけど……

返すに返せなくなってしまったこのハンカチを、たまに彼がじっと見つめているのを知っている。


 レースの縁取りに四つ葉のクローバーの模様の刺繍。


 見覚えがあるこのハンカチは、遠い昔に私が刺繍をし、誰かに渡した物。


 幼い頃、必死でこれと同じ図案を練習していたのを思い出す。

 いっぱい練習して、絹のハンカチに本番として刺繍をし、我ながら上手く出来たと誇っていたのだ。

 でもそのハンカチはもう手元には無い筈のもの。

 今見れば、下手ではあるけれど、当時の最高傑作でお気に入りだった。上手く出来たと家族や使用人に見せてみんなに褒めて貰い、自慢のハンカチになっていた。

 ーーーのにも関わらず、完成したハンカチは、誰かに渡してしまったのだ。


 私の脳裏に遠い昔、何処かの庭で出会った少年の事が思い出された。


 その少年は夜の庭園に佇んでいた。

 幼かった私は、どの様な経緯か忘れてしまったが、何処かから抜け出て夜の庭園を冒険していた。

 領地の森と違って、美しく整えられた庭園にワクワクしながら進むと、大きな噴水を発見して見惚れてしまった。

 噴水の水が月の光に反射して、それはもうキラキラと見える様に、まるで物語の世界の妖精の国にでも入ったかの気分になっていた。


 夜に外に出る事自体が珍しく、気分が高揚しきっていた私は、水が跳ねる度にキラキラしている様子が綺麗で、水滴の1つ1つに小さな妖精が入ってジャンプしているのではないかと想像して、はしゃいでいた。

 もしかしたら、妖精の姿を見る事が出来るかもと期待して、飛び散る水滴を目で追っていると、ふと反対側の噴水の近くに、誰かが座っているのが見えた。


 暗い中に人がいた事に、一瞬びっくりして、怖い人だったらどうしようかと思ってしまったけれど、そんなのは一瞬だった。


 そこにいたのは、表情こそ暗く、苦しそうではあったけれど、月光を浴びて神秘的な雰囲気をまとった美しい少年だった。


 自分の事は棚に上げて、夜にこんなところで何をしているのか不思議に思った。

 でもその答えは、すぐに思いついてしまった。

 こんなにも綺麗な彼は、もしかしたら妖精の仲間なのかもしれない。


 私は彼と友達になれたら良いなあと思った。


 元気のない様子を見て、何処か具合が悪そうだと思った。ひと言二言ぐらい話してもあまり反応して貰えず、ちょっぴり残念だったけれど、ハンカチをあげたら最初こそ遠慮したものの、瞳を輝かせて喜んでくれた。私の刺繍したハンカチを綺麗と言ってくれ喜んでもらえた事で、凄く自信がついて、その後も刺繍は大好きな趣味となった。


 彼ともっと仲良くなりたかったけれど、侍女が私を探す声が聞こえ、私は侍女に心配をかけてしまった事に気がついた。

 侍女の声が聞こえる方に気を取られ「こっちよ」と侍女に返事をし、彼の方に向き直ると、隣にいた筈の彼が消えていた。上の方で木々がガサっと音がして葉っぱが舞い散る。びっくりした私は上を見上げたけれど、彼の姿は夜空のどこにも無かった。

 こんなに一瞬で消えてしまうなんて、とショックを受けたけれど、妙に納得もしてしまったのを覚えている。

 彼は人間に化けた妖精?……いえ、上に飛んで行ってしまったのなら天使様?

 どちらにせよ、もう会う事は難しい不思議な存在なのだと思った。

 でもいつか、もう一度会いたいと願っていた。


 時が経つ程にあの天使少年の面影は薄くなってしまったけれど、彼に似ていた気がする。


 思い出を整理しながら、幼い自分の発想にちょっと恥ずかしくなってクスリと笑ってしまった。流石に、大人になったら今では、彼が妖精や、天使とは思わない。


 でもあれから何年経ってるの? 10年くらい? 信じられない事だけど、このハンカチは、あの時私が渡したハンカチで間違いない。もしかして大事にしてくれていた? 彼は私を覚えているの? これは偶然?


 次々と疑問が湧いてくる。

 

 彼にあの時の事を尋ねたとしても、彼は今記憶喪失だから、覚えているはずも無い。

そもそも、記憶が戻ってしまったら、彼が王太子からの刺客だったりしたら、彼は私を殺そうとするかもしれない。

でも、花畑での彼の行動を考えると、そんな事もないのかもしれない。


 このハンカチの事を気にする素振りがあるなら、記憶があるにしても、無いにしても、ハンカチについて聞くくらいは良いかもしれない。


 彼が帰ってきたら、勇気を出してハンカチの事を聞いてみよう。

 大丈夫、ハンカチの事を聞くだけ。


 もうすぐ彼が帰ってくる。

 私は夕飯を作りながら、彼の帰宅を待った。

 


 

♢♦︎


 帰ってきた彼と夕食を食べながら楽しい時間を過ごした。

 料理がそこそこ出来る様になったものの、まだまだ彼の方が上手いと思う。けれど私の作った料理を美味しそうに食べ、いつも褒めてくれる。

 

 和やかに話しながら、私は勇気を出し例のハンカチを取り出して彼に見せた。


 「このハンカチ、貴方の物よね?」


 一瞬、彼は目を大きく開けて、驚き黙ってしまったけど、直ぐに何かを決心した様に口を開いた。


 「そうなんだ。これはずっと俺の大事な物で……このハンカチはね。昔好きになった女の子から貰った大切なものなんだ」


 彼の手がハンカチを持つ私の手ごと包み込んだ。その手は温かく、大事な物を扱うかの様だった。

 彼の熱が手から伝わり、私は頬を染めた。そして彼が私を想ってくれている事を感じた。


 『昔好きになった女の子』これがどういう意味なのか、何度も頭の中で繰り返し、幼い頃の記憶やこの一年の彼との暮らしを思い出していた。

 『昔』と言う話が出るのなら、彼の記憶が当然戻っていると言うことに思い至るにも充分だった。


 しばらく彼を見つめてから、お互いの口元がふっと緩んで、笑みが溢れた。


 自分達の記憶はとっくに戻っている事を確信した。

 彼の方も薄々、私に記憶がある事を感じていたのかもしれない。


 どうやら彼と私は話す事が沢山ありそうだった。

 

 この一年、一緒にいたのに伝えられなかった事、話したかった事、その全てを彼に伝えたい。彼の事もたっぷり聞かせて貰いたい。

 まずは自己紹介からかしら、私達、街の方がつけてくれた仮名で呼び合っていたけど、本当の名前を知らなかったわ。

 

 などと考えていたら、彼は姿勢を正し、私の前に片膝をついて跪いた。

 もう一度私の手を取り、懇願する様に見上げた。

 真っ直ぐに私を見つめる、その赤銅色の瞳には熱が籠り、少し潤んでいた。


「貴方をずっと愛しています。俺と結婚して下さい」

 

後で聞いたら、話す事はいっぱいあったけど、ずっと我慢していた、1番言いたかった事を最初に言ったそうだ。

 

 




 ーーーーこの後、私達が本当の夫婦になるまでの時間は短かった。





                      ーENDー



お読みいただきありがとうございました。

今回アルファポリスさんで使用した表紙。

2人のビジュアルが気になる方はどうぞ見てやってください↓

https://www.pixiv.net/artworks/111522823


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