アイドルを讃えよ*1
人は、気分が高揚すると、ものすごいパワーを生む。それは、澪もよく知るところである。
例えば、吹奏楽。
……澪はずっと吹奏楽に打ち込んできたのだが、夏の大会に向けての皆の熱意が、あの練習量と数々の喧嘩を生み、そして、大会のあの興奮を生む。
吹奏楽の大会の結果発表の盛り上がり方は、他には無いものだろう。あの高揚感は嫌いじゃなかった、と、澪は思う。
また例えば、ライブ。
……一度、友達に誘われて行ってみたバンドのライブの盛り上がり方も、すごかった。観客は皆、曲に合わせて腕を振り、跳ねるように動き……気づけば、そのバンドを碌に知らない澪でさえも場の雰囲気と高揚感に呑まれて、腕を振り、跳ねていた。そして翌日筋肉痛になっていた。
『人間ってマジでその場のノリと雰囲気だけで人体の限界超えるんだ……』と澪は学んだ。
まあ、とにかく、気分を盛り上げる、ということは、大切なのだ。
皆の気持ちを1つに、とは、吹奏楽でもよく言われることであるが……何かの目標に向けて、皆が同じような気分を共有し、皆で盛り上がることで、強い力が生まれることは、ままある、と澪は思う。
なので。
「とりあえず今日は、礼拝式じゃなくて、お祭りってことにしとこ」
「お祭り、ですか?」
澪は提案する。
『礼拝式』ではなく、『祭』として……皆の気分を高揚させ、希望を抱いてもらうための催しを開くことを。
「礼拝式は礼拝式で、いいと思うんだ。ナビスの清楚なかんじとか、神秘的なかんじとか、めっちゃ味わえるし。……でも多分、この土地の人にとっては、義務感とか、閉塞感とか、あるんじゃないかと思って」
多少の失礼は承知でそう澪が言えば、ナビスは真剣な顔で頷いた。ナビス自身、何か思い当たるものがあるのかもしれない。
「だからまずは、気分を盛り上げて、一緒にがんばろ!って気分になってもらうの、悪くないと思うんだよね」
「ええ。とてもよく、分かります。やはり、希望を抱けない信仰など、空しいだけですから」
ナビスは真剣な顔で頷く。聖女の口からこれが出るとなると、やはり、ポルタナの村が置かれている現状は厳しい、ということなのだろう。限界集落あるあるなのかもしれない。
「……でも、どうすればよいのでしょうか。生憎、そうした催しの経験が無く……」
ナビスはまたも真剣な顔で悩む。真面目だなあ、と澪はほっこり笑いながら、そんなナビスを見つめ、ひとまず、自分の中にある材料を出してみる。
「私の居た世界では大抵、食べ物と音楽、ってかんじだったよ。あとは踊りがつくこともあったかなあ。うーん……まあ、そんなかんじ?」
「歌と踊り、ですか?その、それだけで皆、楽しんでくれるのでしょうか……」
「そりゃあね。音楽にはそれだけの力があるもん」
澪は自信を持って答えて……それからふと、ナビスを見て、思った。
「それで、一番大事なのは、ナビスが楽しそうにしていること、だと思う」
「へ?私、が……?」
きょとん、としているナビスを見て、やはり澪は思うのだ。自分と年頃の変わらない少女が1人で、村の未来を背負う重圧はどれほどか、と。
初めて会った時、ナビスは感情のタガが外れたような具合だった。あれは、海辺の洞窟の祭壇で祈りを捧げながら、思いつめていたからではないだろうか。
そして、そんなナビスを見ていた村人達はどんな気持ちだっただろう、と。
「ナビスが明るくしてたら、皆、『ああ、大丈夫だな』って気分になれると思う」
次第に先細っていく未来を切り開こうと懸命に足掻くナビスは辛かっただろうが、そんなナビスを見つめ続ける村人達もまた、きっと、辛かったのではないだろうか。
未来ある美少女が、自分達のためにすり減っていく。それを望む人はきっと、この村にはいない。
「やっぱりファンとしては、推しが幸せそうにしてるのが一番の幸せだからさ!」
「お、おし?おし、とは……?」
「うん。応援したい相手のこと。ナビスはさ、村の皆に、応援されてるわけじゃん?村の皆は多分、ナビスのこと、好きなわけじゃん?」
ね、と澪が問えば、ナビスは遠慮がちに照れながら、『はい。有難いことに』と答えた。澪は『そりゃそうだよね!』と思う。こんな健気で可憐な美少女、好きにならずに居る方が難しい。
「だったら、ナビスが幸せだと皆、幸せになれる!」
「私が、幸せだと……皆が?」
ナビスにはまだ、その感覚が薄いらしい。きっと、今までそんなことを考える余裕も無かったのだろう。
「……困りましたね。私は、皆が幸せでいられると、幸せになれるのですが」
終いには、そんなことを言う始末である。澪はこれには思わず、苦笑を漏らす。
「うわーっ、それ、皆に聞かせてあげた方がいいって!絶対皆喜ぶから!」
アイドルの鑑!と褒め称えつつ、澪は思う。
これは、私が盛り上げ役になるやつかなあ、と。
村に戻ると、村人達が集まっていた。
「ど、どうしたのですか、皆さん。何かあったのですか?」
ナビスがおろおろと、心配そうに尋ねると……村人達は朗らかに笑う。
「いや、皆でナビス様のお帰りを待ってたんですよ!」
「そしたら合図のラッパが聞こえたからね、きっと上手くいったんだろう、って、皆で話してたところで」
にこにこと嬉しそうな村人達を前に、ナビスは只々、困惑している。『夜通し待つつもりだったのですか?』とおろおろしているのだが、澪はそんなナビスと村人達を見て、思わずにっこりしてしまう。
アイドルとファンの間に、絆がちゃんとある。ならばきっと、信仰心を高めるのも、難しくはない、はず。
……皆の心を1つにするのは、吹奏楽部に居た澪の得意分野だ。
「はい、皆、ちゅうもーく!」
澪は早速、声を上げる。急にやってきた余所者がナビスの横で声を上げるものだから、大変に目立った。
少しばかり緊張はする。……だが、緊張を隠して笑うのも、挑むことに喜びを見出すのも、澪の得意分野なのである。
「皆、ナビスがどんな活躍をしてたか、どんなに綺麗で凛々しくて可愛かったか、聞きたい!?今回のナビスは大物をやっつけてきたけど、何を、どうやって倒したか、気になるでしょ!?」
澪が煽ると、村人達は少々困惑しながらも『まあ、聞きたい』『確かに気になるよなあ』とそわそわし始める。澪はそんな村人達と、きょとん、としたナビスとを見回して……発表した。
「なら、その話は今日の夕方、教会で!……ナビスが倒したレッサードラゴンのお肉食べて、ポルタナの発展祈願しよう!」
『聖女ナビスがレッサードラゴンを討伐した』。この情報は瞬く間にポルタナ中へ広がっていった。
村人達は皆、これに大変驚いたのだ。まさか、ナビスが小型とはいえ、ドラゴンを討伐するなど、誰も思っていなかったのだろう。
だからこそ、澪は村人達にナビスの功績を伝えなければならない。そして……ナビスを信じ、応援する一団を生み出すのである!
「さーさー、ナビスはまず、身支度!あと、睡眠」
「へっ?」
最初に澪がやるべきことは、ナビスの世話である。
「ナビス、徹夜じゃん。夜通し戦ってたんだから、疲れてるでしょ?お祭りは夕方からなんだから、昼ぐらいまで寝ておいた方がいいって」
「しかし、準備が……」
「そのために私が居るんだから大丈夫!言いだしたのも私なんだから、ナビスは遠慮せずに休んで!私も休むから!」
ナビスは気が引けているようだったが、澪はそんなナビスを寝室へ押し込んだ。何をするにも、まずは休養が必要である。
それから澪は台所へ向かい、湯を沸かす。火種は灯が残っていたので、それを薪に移して使った。湯を沸かして丁度いい温度になるよう調節したら、大きなタライに入れてナビスの元へと運ぶ。
「まずは汚れ、落としてね!」
「わあ……ありがとうございます、ミオ様。ミオ様もどうか、汚れを落としてくださいね」
「うん。いつまでもこの格好で居るわけにはいかないんもんねえ」
尚、大きなタライはもう1つある。一度に運べないので片方は台所に置いてきたが……当然、片方は澪の分だ。
この世界では、入浴の文化がそれほど無い。なので、汚れを落としたい時はこのようにタライに湯を張って、それで湯浴みをするのである。
ナビスが礼を言って自室へ引っ込んでいくのを見送って、澪も客室で着替え始める。
……返り血を浴びた服を脱いでみたら、改めて、『あー、戦ったんだなあ』と思う。ついでに、興奮が静まってきた今になってようやく、生き物を殺しに殺した実感が湧いてきたので、そちらには蓋をしておく。考えない方がいいことは考えないに限る。それでも少しは考えてしまうのが、人間の性なのだが。
澪は身支度を手早く終え、服の洗濯もざっと済ませた。返り血が染みになってしまった部分はどうしようもないので、ある程度は諦めた。
服を干して、タライを片付けて、丁度タライを片付けに来たナビスの分も片付けて、さっさとナビスを寝かしつける。
明日は祭なのだ。かわいいアイドルを寝不足にするわけにはいかないのである。ナビス自身は少々戸惑い、遠慮がちであったが……澪が『疲れてる時に働いたって効率悪いじゃん。しっかり休んで、その分、昼から一緒に働こ!』と言えば、納得してまた自室へ引っ込んでいった。
澪も後片付けをある程度終え、客室のベッドによっこいしょ、と乗り……そこでふと、思い立った。
「……寝る前のお祈り、ってのは悪くないんじゃない?」
折角なので、ということで、澪は今日一日を振り返る。
歌うナビスは清らかで凛々しかった。剣を振るうナビスはいつものお淑やかなかんじからギャップがあってかっこよかった。金色の光を纏うナビスは、まさに聖女様というかんじだった。
そして……澪を『信じます』と言ってくれた、あの時のナビス。あれは……最高に綺麗で、最高に可愛かった。
「ナビスは綺麗、ナビスは凛々しい、ナビスはかわいい……」
むにゃむにゃ、と祈りの言葉を唱えてから、澪は満足して横になり、もふん、と毛布を被る。
そのままころころもぞもぞしていれば、どっと疲れが湧き出てきて、すぐに眠りの底へと落ちていった。
翌日。
しっかり宣言通り、昼前まで眠った澪は、ぱちり、と目を覚まして起き出す。
着替えて寝癖を整えて部屋の外に出れば、丁度ナビスが起きてきたところだった。ばったりと廊下で鉢合わせして、お互いに笑い合う。
「おはよ、ナビス」
「おはようございます、ミオ様。すっかり寝坊してしまいました」
「あはは、私も私も」
元々、澪は朝は早い性質である。それがしっかり昼前まで眠ってしまったのだから、やはり疲労はあったのだろう。今も多少、腕や脚が筋肉痛である。異世界での生活は日常生活であっても、現代っ子の澪には少々ハードなのだ。
「食事の準備をしましょう。ええと、朝食、ではなく、昼食、でしょうか……?」
「うーん、ブランチってことでよくない?」
「ぶらんち……?」
「或いは朝昼ごはん略してあひるご飯」
「あひる……?」
澪はナビスに澪の世界の言葉を教えてみつつ、一緒に食事の支度を始めるのだった。
さて。
朝食兼昼食の『ぶらんち』を摂ったら、祭の準備に取り掛かる。
とはいえ、メインはレッサードラゴンの肉である。一晩置いておいた肉は昨日より少々柔らかくなっている。夕方にはさらにもう少し柔らかくなるそうだ。これが肉の熟成、というものなのだろう。
今日は肉をひたすら調理していく、ということになるのだが……塊肉は焚火でじっくりとローストして食べることになった。焚火と肉を囲めば、皆の気分も盛り上がる。そして何より、ドラゴン肉の旨さを最もシンプルに味わうことのできる調理法であるので、これは欠かせないのだそうだ。
……だが、塊肉にできないような、細かくそぎ落とした肉の細切れについては、ただ焼くというのも味気ない。それらはまとめて叩いてひき肉にして、肉団子にしてトマトのような野菜と共に煮込むことにする。
肉ばかりでは飽きるだろう、ということで、教会の畑で採れた野菜を使ってスープを作ったり、魚の干物を煮戻してほぐし身にして薄焼きパンの上にのせたり、と様々な工夫を凝らした料理を準備していく。
サラダは澪が1人で担当した。固いチーズをすりおろしてドレッシングを作り、温泉卵と共にレタスやトマトのような野菜のサラダとすれば、シーザーサラダ風のサラダができる。ナビスはこれを味見して『おいしい!』と目を輝かせていたので、多分、異世界でもウケる味、ということなのだろう。
……そうして準備を進めていく内に時は過ぎ、太陽が海へと沈んでいく頃になる。
この頃には教会の庭にテーブルやランプを用意し終えていて、料理も並び、やってきた村人達が『おお!?』と驚くこととなる。……彼らからしてみれば、このような催しは初めてのことなのだろう。
後から後からやってくる村人達にも手伝ってもらって準備を完了させると、その頃には太陽は半ばまで海に沈んでおり、涼やかな潮風が心地よい夕涼みの様相となっていた。
つまり……飲んで食べて歌って盛り上がるには丁度いい時刻、ということになる。
「それじゃー、鉱山の入り口を魔物から奪還したことを祝って!かんぱーい!」
澪が音頭をとれば、戸惑いながらもうきうきと、村人達は倣って乾杯の声を上げた。
飲み物は、果物のジュースか、果物や麦から作られた酒か、といったところである。村人達が『こんなに盛大な宴なんだったら、うちの秘蔵のを出してこなきゃ!』と一度家に戻って持ってきてくれた酒なども開けられて、村人達は次第に盛り上がっていく。
ドラゴンの肉の旨さは、大いに村人達を楽しませた。澪も食べてみたのだが……『めっちゃ美味い』という、至極シンプルかつ強烈な感想を抱いた。
ドラゴン肉は噛み応えのある肉なのだが、噛んでも噛んでもあふれ出てくる旨味の濃さが、牛肉や豚肉の比ではないのである。また、香りもいい。胡椒か何か、スパイスのような爽やかな香りがほんのりと漂うものだから、ただ塩をまぶして焼いただけでもとてつもなく美味いのだ。
澪がちらりと見れば、ナビスもまた、ドラゴン肉を食べて幸せそうな顔をしていた。とろり、と幸せそうな顔をするナビスは、とてつもなく可愛い。澪はナビスの可愛さを、心に刻み込み、祈った。『ナビスが今日も可愛い』と。
……さて。
鉱山の入り口を奪還したという明るいニュースに、ドラゴン肉の旨さ。それに酒による酔いが場を盛り上げたところで……澪は教会の庭の一角に立って、声を上げる。
「さて、そろそろ約束の話、してもいいですかー?」
澪の声に、村人達は『なんだなんだ』と注目する。澪はそれらに少々緊張しながら……緊張以上に、わくわくしていた。
「それじゃ、始めるよー!昨夜、如何にしてナビスは魔物を祓ったのか!どんな風に、ドラゴンと戦ったのか!私、ナビスの勇姿、しっかり目に焼き付けてきたからね!よーく聞いて!」
澪が話し始めれば、村人達は料理の皿や酒のコップを片手に集まってくる。ナビスは『ちょっと恥ずかしいです』というような顔で隅っこに居たが、それすらも可愛らしいものだから、澪はますます笑みを深め……そして、話し始める。
「昨夜のナビスは、本当に綺麗だった!勇ましくて凛々しくて清らかで……正に、聖女様の中の聖女様だった!」
澪がこれから行うのは、布教活動。
……ナビスという最高のアイドルを共に称える人間を増やすための、布教活動なのである。