帰港せよ!*6
「えっ!?何!?伝説の金属でできてるラッパ!?オリハルコン!?ヒヒイロカネ!?ダマスカス鋼!?」
「いや、聖銀!」
ガバッと起き上がった弟が嬉々として尋ねてきたのに澪は返して、それから慌てて、トランペットを確認する。
……元々、澪のトランペットは銀製だった。音色において金に一段劣る、と言われることも多い、銀のラッパである。永遠の二番手三番手、縁の下の力持ちには相応しい楽器だよなあ、とも思っていたが……。
「……わーお」
なんか、輝き方が、違う。つまり、まあ、ただの銀ではなく、聖銀、に、なっているように、見える。
……そういうラッカーが新たに掛かったとかじゃないよねえ?と澪はしげしげ眺めてみるのだが、やっぱり、聖銀であった。
「どういう仕組みなんだろ……意味わかんな……」
澪はトランペットを手に取ってみて、またしげしげ眺めて、そして、澪の隣にやってきて目をきらきら輝かせている弟を、ちら、と見てから……。
「……ま、いいや。吹くかぁ」
「ねーちゃん、なんか肝据わったよなー……」
とりあえず、吹くことにした。
聖銀でも銀でも、楽器であることには変わりがない。つまり、まあ、吹いてなんぼ、なのである。
聖銀のトランペットに息を吹き込んでみると、すう、と、自分に楽器が馴染むような、そんな気がした。
おお、と思いつつ、そっと、音を奏でてみる。……すると。
ふぁん、といい音がした。トランペットらしく華やかで、しかし、鋭さを失わない音。澪の好きな音だ。
おおお!と目を輝かせつつ、ピストンを軽やかに動かして、音階を駆け上がっていく。
B♭から始まる音階。変ロ長調と言うべき音の並びは、軽やかに、それでいて凛として涼やかに、澪の家のリビングを震わせた。
「……どう!?私上手くなってない!?」
「えっわかんね……」
尤も、この違いは弟には分からないらしい。澪は『不甲斐なきやつ!』と言ってやってから、『そういえばチャルダッシュだった』と思い出して、もう少しばかり練習してから、改めてトランペットを構え直して、そして、吹く。
……金管楽器でのチャルダッシュは、非常に高難易度である。まあ、ピストンである分、ロータリーのホルンなんかよりは楽だろうし、トロンボーンでのチャルダッシュは不可能だろうとも思われるが。だが、トランペットになら、できなくはない。
実際、できる。できた。今の澪と、この、聖銀のトランペットでならば。
……そうして演奏し終えて、澪がトランペットを唇から離すと、すぐ隣で弟が盛大な拍手をしてくれていた。
「すげー!流石に俺にも今のがすげーのは分かる!」
「分かる!?分かるか弟よ!」
こういう時、すげーすげーと素直に賞賛してくれるので、この弟は中々にかわいい奴なのだ。澪は『うりうり』と弟の頭を撫でてやると、弟は『撫でられるのはなんかちょっとやだ』と逃げていった。……一応、そういうお年頃らしい。
「なー、他、ねえの?なんか吹いて!吹いて!」
「ええー、どうしよっかなー」
澪はニヤニヤしながら弟の要求にちょっと勿体を付けてみる。まあ、偶にはこういうのも楽しい。
「異世界の曲、なんかねえの!?聞きたい!異世界の曲聞きたい!」
……が、確かに、『異世界の曲』は、澪も吹きたい。そんな気分だ。
音楽は人の心を簡単に動かしてくれる。
気の抜けたBGMで見るアクション映画はスリルが半減するし、急に怖いBGMが流れ始めたら身構える。ロマンチックな場面には甘やかな音楽があるといいし、天国と地獄にクシコスポストにウィリアムテル序曲が流れ始めれば誰でも気分は運動会。
そう。そうやって、音楽は人の心を動かしてくれる、原始の言葉なのだ。
だから、音楽に乗せて心が届くような、そんな気がする。
……ナビス。ナビス。私、ここに居るよ。絶対にそっちに戻るからね。頑張って、方法、探すからね。
と、まあ……そんな思いでトランペットを構えて、澪は、吹き始めるのだ。
向こうの世界で最後に演奏していた曲……ポルタナの舟歌を。
+
ナビスの目の前で、扉が閉まった。
ミオは行ってしまった。
会場は、しんと静まり返っていた。ただ、ざざん、ざざん、と波の音が聞こえるだけ。
ミオは皆の期待を背負って向こうの世界へ行ってしまったが、これで上手くいっている確証など無いのだ。もしかしたら、ミオは……。
取り残されたナビスは只々、漠然とした寂しさと不安に侵食されていく。
大丈夫、大丈夫よ、と自分に言い聞かせるが、足元から上ってくるような不安は、広がっていくばかりだ。
本当に?この扉はミオ様の世界と繋がっているの?ミオ様の世界からも開くことができるの?……ミオ様は、本当に、帰ってきてくれるのかしら。
一度離れてしまえば、絆など儚いものだ。手繰り寄せようにも、よすがになるものが何も無い。世界と世界を隔てる扉は、あまりにも、分厚い。
信じては、いる。
だが、寂しい。
……ナビスがここまで一直線に進んでこられたのは、ミオが居たから。ミオが導いてくれたから。ミオが隣で、太陽のように輝いていてくれたからだ。
だから、ミオの居なくなってしまった世界に取り残されたナビスは、まるで太陽を失った月のように、光を見失ってしまいそうになる。
……いっそ、私もミオ様を追いかけていけば。
ナビスの手は、扉へと伸びそうになる。
寂しい。寂しい。追いかけていきたい。確認したい。そして……そして、どうか、一緒に。
そんな時だった。
……アンコール!アンコール!
声が、聞こえてくる。続いて、ゆったりとした手拍子が。
聞き覚えのある声に振り向けば……海岸最前列よりは後ろの、しかし十分に舞台が見えるであろう、という程度の中途半端な位置に、声を上げ、手を打つシベッドの姿があった。
彼らしくもなく、声を張り上げて、手を打って。……それは、彼が、信じているから。
そんな幼馴染の姿にナビスは目を瞠り、そして、思い出した。
……ミオにミオの世界があるのと同じように、自分にも、この世界があるのだ、と。
世界が、ついている。そしてナビスを支えてくれるのだ。
シベッドが始めた手拍子は、徐々に周囲へ広がっていく。
……アンコール!アンコール!
ポルタナの皆が声を上げ、手を打ち始めた。鉱夫達の声は野太く勇ましい。女衆の声は優しく温かい。老体の割にすこぶる元気なテスタ老に至っては、飛び跳ねんばかりに手を打って声を張り上げていた。
そうしていれば、やがて、舞台袖から2人の友がやってくる。
……アンコール!アンコール!
マルガリートとパディエーラが、ナビスの両脇に進み出て、手を打ち、声を上げる。
その頃にはもう、メルカッタの戦士達が揃って声を上げていた。コニナ村の人々は屋台のフライパンとおたまを打ち鳴らして非常に賑やかだった。レギナの人々は、踊り出さんばかりであった。
ブラウニー達は小さな体で飛び跳ねて拍手の代わりとしていたし、スケルトン達は自分達の骨を鳴子にして拍手の代わりとしていた。中にはタンバリンなる楽器を叩いてコールの一部にしているスケルトンも居た。
……それから、ナビスの目には見えないが、きっと、父も。カリニオス王も、ここに居る。『王が押しかけていっては、皆に遠慮させてしまうだろうから』ともじもじしながら宿を取る計画を話してくれていたカリニオス王は、きっと、明かりの灯る窓のどこかに居て、きっと一緒に声を上げ、手拍子してくれていることだろう。
そしてきっと、母も。
死の庭に招かれた後の母もきっと、この光景を見守ってくれているはずだ。
ずっと1人でやってきて、そしてミオとの2人になったナビスを、ずっと、見守ってくれていたと思う。そう、信じている。
……そう。思い出せた。ナビスは1人ではないのだ。
アンコール!アンコール!
観客達も、ずっと、ずっと、手拍子を止めない。
彼らもまた、信じているのだ。ナビスの成功を。そして、ミオの再登場を。
……そして、誰よりも強く、ナビスが、信じている。信じなければ。
アンコール!アンコール!
拍手は次第に揃っていく。
皆が息を揃えて手を打てば、自然と音は波のように揃い、砕けてナビスへと押し寄せてくる。
ああ、海のようだ。
ここは、音の海。幾多の手拍子が重なり合って、波が押し寄せるかのよう。マルガリートの祈りの舞やパディエーラの祈りの歌に音の海は彩られ、ナビスはただ、そこに浮かぶ。
人々の祈りを載せた船が見据えるのは、一筋の光。
沖から見える灯台の光のように……微かに聞こえてくる、ミオのトランペットの音。
「ミオ様!」
たまらず、ナビスは呼ぶ。
「ミオ様!ミオ様!私はここですよ、ミオ様!」
微かに聞こえた音を手繰り寄せるように手を伸ばしたその先で、ふと、扉が輝いた。
その輝きは、銀色。……ナビスの色じゃない。ミオの色だ。
ナビスは、伸ばした手をそのまま扉に掛ける。追いかけていくためではなくて……ただ、迎え入れるために!
+
「ただいま!」
そして扉を開けて、澪はまた、戻ってきたのだ!
次回、最終回です。
ところで、調べてみたらトロンボーンでチャルダッシュ演奏してる人も居ました。びっくり!




