船出の時*5
最初から最高潮の盛り上がりを見せる会場を見回して、澪は不敵に笑う。
想定内だ。こんなに大規模になってしまうなんて、とナビスは慄いていたが、澪にとっては、想定内。
澪とナビスの、最後のライブだ。これくらいの人数になって、当然。それだけの人気と期待が、澪とナビスに向いている。
上等だ。澪はこれから、ここに居る全員をナビスと一緒に魅了し尽してやるのだ。
そして、信仰を集める。皆の祈りを束ねて、澪とナビスの為に、世界と世界を繋ぐのだ!
……これはここに集う皆が望むことであるようだし、ついでに世界も救うので、信仰の私的利用は許してほしい!
「じゃ、早速一曲目!盛り上がっていこうねー!」
澪の声に、また観客が湧く。それら歓声の雨が降り注ぐ中、聖なる光に照らされて……遂に、ナビスがやってくる。
……そう。王女にして最後の聖女。世界に君臨するトップアイドル。ナビス・ラーフィカ・エクレシアのお出ましだ。
「皆さん!こんばんは!」
ナビスが元気に、明るく声を張り上げれば、観客は『ナビス!ナビス!ナビス!ナビス!』とナビスコールを始めた。拍手とコールと歓声が入り混じって、海の轟きに余裕で打ち勝つ音量になる。
「本日もどうぞ、よろしくお願いします!皆の祈りで、ミオ様とのお別れを、ずっとずっと先のものにしてしまいましょう!」
「えええ……挨拶それでいいの?」
そしてナビスが満面の笑みでそんな挨拶をすれば、澪の慄きなどまるで無視して観客は大いに盛り上がる。『ミオ様!ミオ様!ミオ様!ミオ様!』とミオ様コールまで湧き起こる始末である。これには澪も苦笑するしかない。
つくづく、よく訓練された信者達である!
「さあ、ミオ様!ミオ様!一曲目の紹介をお願いします!」
「了解!……じゃ、早速、一曲目、行ってみよーう!毎度おなじみ、メルカッタの戦士達御用達のあの曲!」
澪がドラゴン革の太鼓を叩き、ナビスがマイク杖を片手に手拍子を始めれば、観客皆が揃ってリズムを刻む。
手拍子と歓声の華やかな音とドラゴン太鼓の低音に乗せて、早速、ナビスの歌声が勇ましく響き始める。
戦士達の歌は、このライブの冒頭に相応しい。澪とナビスが最初に増やしたレパートリーの1つが、この曲だった。その分、何度も演奏してきたし、その分、思い入れのある曲だ。
そして何より、勇ましく敵に立ち向かう戦士達の歌は、今の澪達にピッタリの曲である。
勇ましく。凛々しく。ドラゴンなんかより、ずっと強く。
……そうやって、運命という強敵を、捻り倒してやるのだから!
2曲目もノリのいいメルカッタの歌を披露して、3曲目は澪のトランペットソロ。
曲目は、チャルダッシュ。……言うまでもなく、高難易度の曲である。澪が演奏しようと思った曲の中でも、最高の難しさだ。だが、トランペット一本と観客の手拍子だけで演奏する曲の中では、最高にノリがよくて格好いい。
練習に練習を積んで、ようやくものになった演奏を、澪は会場のステージで思う存分響かせる。
……この世界にはまだ少々早いような気もするチャルダッシュであったが、観客達には受け入れてもらえたようだ。後打ちの手拍子を浴びながら、澪はトランペットの演奏を終えた。
……人生で一番楽しい演奏だった。
4曲目はレギナの舞踏曲だ。
これは、タンゴめいた荒々しさを持ち合わせた曲である。その分華やかで派手で、特に、舞踏には丁度いい。
今回はこの曲に合わせてナビスが踊る。そのためにナビスは一度、ステージを澪に任せて引っ込んで、その間に着替えてきたのだ。
更に。
「今回は音楽の演奏のため、レギナのマルガリート様と、引退なさったパディエーラ様がお越しくださいました!」
そう。ステージには、マルちゃんとパディもやってきた。マルちゃんの手にはリュートのようなギターのような楽器。そしてパディの手には、ドラゴン皮の太鼓。そして澪の手にはトランペット。完璧だ。完璧である。
レギナの人気聖女マルガリートと、引退してしまったパディエーラの共演は、観客達を大いに湧かせた。特に、パディエーラは引退後であるだけに、『またパディエーラ様のお姿を見られるなんて!』と感涙に咽ぶ者も多い。
……そうして、マルちゃんとパディと澪の3人による演奏が始まる。パディがぽこぽこ叩く太鼓の音をベースにマルちゃんが奏でる弦の涼やかな和音がふわりと重なり、そして、澪のトランペットがメロディラインを奏でる。
ナビスの歌が旋律に重なることもある。その時は澪のトランペットとナビスの歌とが最高のハーモニーを奏でて……そして、それらの音楽の上で踊るのが、ナビスだ。
ナビスの衣装は踊りのためのものだ。薄絹の長い衣の裾は、ナビスが回転する度にふわりと広がる。両手に薄布の端と端を握っていて、ナビスの動きに合わせて、薄布は宙で海月か水中花かのように広がったり、船の帆のように張り詰めたりと形を変える。
視覚に訴えかける情報を増やすことで、多少遠くから見ている観客にも楽しめるように、という配慮である。そして実際、その配慮は功を奏しているように見える。まあ、遠すぎるとほぼ何も見えないだろうが……。
……さて。そうして5曲目は、『遠すぎて何も見えない』観客に向けての曲だ。
ナビスは物悲しくも甘やかな旋律を1人、歌い上げながら……空を飛ぶ。
そう。しろごんを使って!
海上ライブは空中ライブにまで発展するのだ。ナビスはしろごんがぶら下げて運ぶ籠に乗りながら、ゆったりと宙を飛ぶ。しろごんはできる限りの低速、かつ低空飛行を実現してくれたので、観客達は自分達の上をナビスが飛んでいくのを、間近に見ることができたのである。
これには観客達も大いに湧いた。何せ、ドラゴンを用いたパフォーマンスというだけでも相当なものだ。ドラゴンをここまで手懐けてしまえる者など、世界広しといえどもナビスくらいのものだろう。
そしてやはり、観客からしてみれば、間近にナビスの姿を見ることができたことに大きな意味がある。
大好きなアイドルの姿を間近に見られたことにこそ、ライブへ来た意義を感じられるというものだ。遠くに眺めるのではなく、近くで、視線を交わせるほどの距離で見られる相手、という感覚は、彼らに一体感とナビスへのより一層の信仰心を齎すのである!
……そうして、何曲もの演奏を行った。時には踊りが挟まることもあったが、全ての演目は音楽と共に在った。
やはり、音楽は人間の心を動かすのだ。テンポの速い音楽は観客を興奮させてくれるし、しっとりと優しい音楽は観客にしみじみとした思いを抱かせてくれる。
音楽を操れば、人の心を操れる。澪は存分に音楽の力を使って、いよいよ迫りくるクライマックスに向けて、人々の心を……信仰心を、集めていくのだった。
全ては、最後の儀式を成功させるために。
「じゃ、お待たせ皆。……次が、最後の曲だよ」
いよいよ、その時がやってくる。最後の曲。もしかしたら、本当の本当に、最後になってしまうかもしれない曲だ。
そう。澪の世界とこの世界とを繋ぐ扉が上手く作れなかったら、澪はもう二度と、この世界で演奏することなんて無いだろう。
……でも、そうはならない。絶対に。
「でもって……私、絶対に、次の礼拝式に戻ってくるから!」
澪は帰ってくる。多くのものに望まれて、ここへ帰ってくる。
あちこちから歓声を送ってくれるポルタナの皆も。少し後ろの方から酒片手に見ているメルカッタの人々も。屋台を出す方に注力しがちになっているコニナ村の人達も。
そして、最前列で鉱夫達と肩を組みつつペンライトを振るホネホネボーンズも。いつの間にか小さな小さな舟を海に浮かべて、勝手に特等席を作っているブラウニー達も。今、舞台袖で笑っているマルガリートとパディエーラも。
そして、澪の聖女様にして澪の一番の親友であるナビスが。
……皆が、澪の帰還を祈ってくれている。だから澪は、絶対にここに帰ってくる。祈ればそれが実現するこの世界で、澪は、必ずや皆の祈りに導かれてここへ帰ってくるのだ。
「信じてるから」
澪の言葉は、皆へ届いた。それでいて、誰よりも……隣で笑っていてくれる、ナビスに。
ナビスが、力強く頷く。それを見て、澪も。
「ってことで、いってみようか!……ポルタナの舟歌!」
そうして最後の曲が、始まった。
ポルタナの舟歌は、澪がこの世界に来て一番好きになった曲だ。
優しく物悲しくリフレインする旋律。それを歌い上げるナビスの声。観客達が声を合わせて共に歌えば、重なり合った幾多もの歌声は波となって、澪の心を撫でていく。
海に揺蕩うように、音楽に心を委ねる。わあわあと聞こえる多くの歌声は、リフレインの度に増え、より多く重なり合い、会場はいよいよ音の海の中へと沈んでいく。
……そして。
途中で、ナビスは歌うのを止め、1人、ステージ上の祭壇の上へと上っていった。
そこで聖銀の杖を構えて、祈り始める。静かに、強く、強く。
その間も、会場の歌声は終わらない。舟歌は繰り返し、繰り返し、寄せては返す波のようにずっと、澪達を包んでいる。
……そうして、そこに道ができる。『澪』だ。海の上の道。澪を船出へと誘う航路が、そこに生まれるのだ。
音は繰り返し、光が集まり、海が揺れ、そして、人々は祈る。海の上、星空の下、人々の祈りの中、ナビスは祈って、祈って……。
ぐわん、と視界が揺れる。世界が歪む。
……そして。
「……できた、ようですね」
祭壇の上には、皆の祈りに光り輝く扉が生じていた。
……いよいよ、この時が来たのだ。




