オールオアナッシング*8
「私が居た吹奏楽部……えーと、楽団、があって。私はラッパ吹きなわけですけど、ラッパって、演奏してると管の中に水が溜まってくるんですよね。特に冬はもう、めっちゃ溜まる」
澪が『こう』とジェスチャー付きで話し始めると、皆がぽかんとしてそれを見守ってくれた。……その中でナビスだけが真剣に頷きながら聞いてくれる。何と優しい子だろうか……。
「……で、管をこう、引っこ抜いて。それをひっくり返すと、じょばばば、って水出てくるんですけど……それを定期的に捨てないと、演奏に差し支えるので。練習中にも時々、水を捨てなきゃならないんですけどね?私の楽団では、その水を捨てる先は……床の上のぺらい雑巾、と決まっていました」
「……雑巾、ですの?」
「うん。床の上に雑巾置いておいて。そこに、水を、じょばー、って」
澪が『こう』とまたもジェスチャー付きで話すと、マルちゃんは『……?』という顔をしてくれた。流石のマルちゃんも、なんか今一つ理解が及んでいないらしい。
「……で、演奏とか練習とか終わったら、その雑巾は洗って絞って干しとくわけなんですけど……まあ、嫌なんですよねえ、こう、べっちゃべちゃになった雑巾洗ったり絞ったり干したりするの……。っていうかそもそも、雑巾の吸水力なんてたかが知れてるから、床もなんか湿っぽくなるんですよ!それもまた嫌で!」
澪の話には実感と熱がこもる、こもる。そしてその話を聞いている面々は、『うわあ……』『嫌……』というような顔になる。
『とりあえず話の行き着く先が全然見えないから聞いた通りのものを想像して共感するしかない』という状況らしいのだが、そんな共感力たっぷりな皆を見て、澪はちょっぴり申し訳ない気分になってきた。
「まあ、そんなわけで……雑巾は、どうなのよ、って話になって」
「だろうな……」
カリニオス王は『さっさと撤廃しろそんなもの……』というような顔をしてしみじみと頷いている。分かる。この人はこういうかんじになるだろうなあ、と澪は予想して喋り始めたので。
「で、一部の子が、雑巾じゃなくて、小さい器みたいなのを水を捨てる容器として使い始めたんですよ。器を床に置いておいて、そこに水を捨てて……ってかんじで。そうすると、まあ、雑巾よりは衛生的っていうか、洗ったり乾かしたりするのも楽っていうか」
「ほう。それは良いな」
カリニオス王が表情を綻ばせて頷く。他の面々も、『ま、まあ、よく分からないけどよかったね……?』というような顔で頷いている。ナビスだけは相変わらず、真剣な顔だ。話の先を推察しながら聞いてくれているのだろう。
……と、いうところで。
「で、事故が起きました」
澪は、ナビスの期待に応えるべく、話を起承転結の『転』へと持っていくのだ。
『事故』の話にざわついた会議室の中で、ナビスは少し考えて、『ああ、なるほど!』というような顔をしてくれた。澪がナビスを見ると、ナビスも見返してきて、にっこり笑う。澪も『分かってくれたかぁ』とにっこりである。
「あ、私、分かったかもしれないわぁ」
そして同じく、パディもピンと来たらしい。にっこり笑って、答えを言ってくれた。
「つまり……『どうして雑巾だったのか』が分かった、っていうことよね?」
「ミオ!解説を!」
「はい!」
未だ、頭の中がびしゃびしゃの雑巾でいっぱいで追いついていなかったらしいマルちゃんにビシリと命じられて、澪は吹奏楽部時代の反射で返事をしてしまった。こう、返事の大きさが吹奏楽部の戦闘力なのである。諸説あるが。
「えーとね……まあ、器を蹴り飛ばして水が零れたり、濡らしちゃいけないものがそれで濡れたり、躓いて転んだり……そういう事故が発生したんだよね。中には結構危ないのもあったんですよ。こう、楽器って滅茶苦茶高価なもの多いんだけれど、それが破損しかけたりとかね……」
澪が当時を思い出しながら語ると、マルガリートは『パディに分かって私に分からないなんて許せない!』とばかり、熱心に聞いてくれた。それと同時に、レギナの重鎮やカリニオス王も聞いてくれている。ありがたいことに。
「楽器の中には、でっかくて、運んでる時に足元が見えないようなのもあるんですよね。でも、片手で抱えて運べる楽器の人達は、そういうの気づかなかったんですよ。更に、楽器によっては『管に水が溜まるから捨てる』っていうのが必要無いから、足元に水があるってイマイチ分かってない人も居たんですよね」
「成程……自分に無い視点の存在に気付いていなかった、ということか」
「はい。そういうことなんです。私達はそうやって、事故が起きてようやく、『湿った雑巾って踏んでもそんなに滑らないし、蹴り飛ばしても事故にならないし、何より、程よく吸水性があるから吹っ飛んでも全てがびしょ濡れにはならない』って気づいたんです」
澪が話せば、カリニオス王は『成程な……』と頷いてくれ、また、マルちゃんは『理解できましたけれど何か?』というような顔でふんふん上品に頷いていた。
「ということで、我が部の管楽器の排水は、またぺらい雑巾になりました。と、まあ、そういう話なんですけど……あ、どうも」
澪が話を締めると、ぱちぱちぱち、とよく分からない拍手が起こった。出所はナビスとパディとクライフ所長である。何故クライフ所長まで、と澪はびっくりしたが……もしかすると、クライフ所長も王城勤めの中で、澪のような経験があったのかもしれない。
さて。
「で、えーと……まあ、そういう風に、『意味が無い』と思われたものって、消えちゃうんですよ。ちゃんと意味があったとしても」
澪は話を元の位置に戻す。はあ、長かった。
「私達の楽団の話で言えば、多分、かつての先輩とかが試行錯誤して『水を捨てる先で事故らないのは雑巾!』って見つけたのがそのまま残ってたんだと思うんですけど、試行錯誤の過程が残らないと、結果だけ見た後世の人は、『これ改良できるんじゃない?』って思っちゃう。改良の結果がそれだって、知らないから」
澪の話の終着点が見えてようやく、レギナの重鎮達は深く頷いてくれた。
そう。『意味』が、『理由』が必要なのだ。
結果だけ残しても、そこに至った経緯が残っていなかったなら、後世で『不要』と判断されて消えてしまうかもしれない。
伝承の類はあてにならない。年月を経ても変わらずに残っているとは限らない。むしろ、人々が同じ感覚で居てくれるとは思い難いのだ。教えが残り続ける方が稀だろう。
「残すにしても、『理由』が必要なんです。信仰を残すなら、『どうしてそれが必要なのか』を誰もが知っている必要があるし、知らなかったとしても考えて答えに辿り着けた方がいい」
だから澪は、『信仰』だけが残ることには反対なのだ。
どうして信仰が必要なのか。代替するとしたら何で代替できるのか。今、この時代の人々はどう考えてこういう仕組みにしたのか。そういったものを、ちゃんと全部、残してあげないといけない。この国の未来のために。
「……勇者ミオよ」
やがて、カリニオス王が澪を呼ぶ。
「ならば、人々が『考えて答えに辿り着ける』力を身に付けるには、どうすればよいだろうか。意見をくれないか」
「え?それこそ神の力で何とかしちゃダメですかね」
カリニオス王の重々しい問いに対してあっけらかーん、と答えると、カリニオス王は『それは確かにそうなんだけれど……』というような、なんとなくしょぼん、とした顔をしてしまった。これは駄目らしい。
「神の力抜きでも、ナビスが先導して皆の意識を引っ張っていけば、それで道徳心とか、ある程度思い出してもらえる気がしますけど」
「わ、私が、ですか?」
「うん。ナビスが皆に、『神の教え』として伝えていくのはアリなんじゃないかなー、って。代々王家とかレギナの人とかが継いでいけば、どうして信仰があるのか見失うことも無くなると思うし……」
考えてみると、十分にアリ、である。
この国では長らく、宗教が万能のパワーを持っていたわけだが、全国民が聖女化することで、宗教は宗教としての本分を取り戻すのである。
「あっ、なら、『どうして信仰が必要なのか』を前文に入れた経典を作るのはどうかしら?」
「本?あ、本か。いいねいいねー。それも道徳心を育てるのにいいと思う」
パディエーラから声が上がり、澪はすぐにピンときた。本は良い。本こそ、良い案ではないだろうか。
「ほら、あの、学術書とかじゃなくて、小説とか。詩とか。そういうの読むと、自分とは違う考え方をしている人が居る、って知るだけでも人って道徳的になるもんだし、そもそも、『自分以外の人間もものを考え、感じて生きている』ってことすら知らない人、いっぱい居ると思うんで……」
澪がそんな意見を出すと、カリニオス王とマルちゃんが目を輝かせて頷き始めた。……貴族達はこういうのが好きらしい。
澪の世界において、人間の人権意識がアップデートされたのは印刷技術の発展があってから……つまり、『人々が本を読むようになってから』なのだ、という評論を現代文の授業か模試か何かで読んだことがあった気がする。なので、まあ、この世界でも書物の普及による効果は見込めそうな気がする。
「……と、こういうかんじで、少しずつ信仰の形を変えていくとか、神ではないものを尊ぶ宗教を布教するとか、そういう方法もあるんじゃないかと」
澪は、いかがでしょう、という気持ちで皆を見つめる。
アイデアを色々出してみたが、それらがどれくらい、皆に受け入れられるかは未知数だ。良くも悪くも、澪は異世界人なのだから。
……だが。
「私は、民の啓蒙の為に書物を流通させる案が良いと思いましたわ。民が聖女化して力を持つようになるならば、それを制御するための知は絶対に必要でしてよ」
マルちゃんが胸を張って、そう堂々と発言した。
貴族らしくて、ちょっと偉そうで、実際に偉いマルちゃんの言葉だ。澪はそれを聞いて、なんだかほっとした。
「私は、娯楽としての聖女を残して、そこで啓蒙と布教をやるのがいいと思うわぁ。人々の暮らしの変化は小さくできるし、何より、礼拝式って楽しいものねえ」
パディの明るく朗らかな意見も、澪を安心させてくれる。
澪も、礼拝式って楽しいよね、と思う。特に、ポルタナ式の……ライブにしてしまってからは、特に。この世界における大きな娯楽の1つなのだから、それを取りやめる必要は無いだろうし、続けるのならばそこに『布教と啓蒙』という目的が新たに備わってもいいだろう。
「何にせよ、我々は『聖女を犠牲にして今の信仰の在り方を続ける』という意見には反対のようですね。ね、いかがでしょうか、皆さん」
そうしてナビスがそう、切り出す。
ナビスがカリニオス王の方を見つめれば、王も先王も、揃ってにこにこと頷いた。
続いてマルちゃんとパディの方を見れば、2人ともにっこり笑って頷いてくれる。
そして、レギナの重鎮達は……。
「……ええ。私達はやはり、神を捨てることになるでしょう。既に人々の心は、神からは離れていますから」
そう言って、微笑んでくれたのだった。
「では……!」
「そうですね。全国民が聖女の力を僅かずつ得るのは、悪くない案であると考えます。それに伴い、人々への布教や啓蒙が必要でしょうが……それはきっと、後からでも何とでもなりますね」
レギナの重鎮達が微笑んだり頷いたりする中、ナビスはそっと、澪を見る。
澪は満面の笑みを返しながら、『やったね!』と親指を立ててみせた。ナビスはきょとん、としたが、やがて、堂々と同じハンドサインをして笑ってみせてくれるのだった。




