オールオアナッシング*4
パディエーラに向けた拍手が鳴り止んだのは、かつん、とヒールが床を打つ音が響いたからだった。
かつん、かつん、と、やや忙しなく刻まれるテンポは、しかし、パディエーラに近づくにつれて、リットが掛かってゆっくりになる。
……そうして会場がざわめく中、パディエーラの前には緊張を滲ませたマルガリートが立っていた。
マルガリートは、大きく息を吸って、吐いて、それから改めてパディエーラを見つめる。
そのまま暫し、2人は見つめ合って……。
「ねえ、パディ。親愛なる友達」
マルガリートの声が、会場へ響く。
それは、会場ではなくパディエーラに向けられたものだ。
「私、貴女に導かれたことを、決して忘れませんわ。……貴女を導いたことも」
会場中がマルガリートに注目する中でも、マルガリートは堂々と、それらの視線を無視した。ただ1つ、パディエーラから返ってくる視線だけを除いては。
「ええ、思い返せば私、どちらかというと貴女を導いてばかりでしたわね……?寝坊、忘れ物、落とし物……結構な頻度で、私、パディの補助をしてきましてよ……?」
「あ、あらぁ、マルちゃん。それは言わないでほしいわぁ……」
じと、とマルガリートがパディエーラを見つめれば、会場がどっと湧く。……パディエーラはちょっとおとぼけなところも、のんびり屋さんなところも含めて愛された聖女であったのだなあ、ということがよく分かって澪は嬉しい。
「ま、そういう頼りない先輩でしたけれど……誰よりも頼りがいのある人でも、ありましたわね」
ふ、と笑って、マルガリートはパディエーラを見つめる。パディエーラの方が背が高いので、マルガリートが見上げるようになるのだが、その目は臆することなく、退くことも無く、只々堂々とパディエーラを見ている。
そんな堂々とした目で、マルガリートは努めて明るく問うのだ。
「ねえ、パディ。私、貴女の隣に、並び立つことができていたかしら」
「……そうねえ」
パディエーラは、ほふ、と息を吐いて、それからにっこり笑った。
「私、あなたが隣に居てくれるようになって、随分と楽しくなったわ。ほら、私、レギナの大聖堂で皆を率いる聖女になって、長いこと1人でやってきて、それで……ちょっぴり、寂しかったみたいなのよねえ」
寂しかった、と。随分と、人間らしいことを言う。
『聖女』らしからぬ言葉は、会場にどう届いただろう。パディエーラがずっと、人間であったことを思い出させているだろうか。
「だから、マルちゃんが隣に居てくれて、本当に良かったわ。だから……」
そして、パディエーラの表情がふと歪む。寂しそうに、人間らしく。
「……先に引退してしまうことを、申し訳なくも、思っているわ」
会場に、高笑いが響いた。
マルガリートの、実にマルガリートらしい高笑いは、場違いなほど会場に響き渡る。
観客達もパディエーラも、皆がぽかんとする中、お手本のような高笑いを存分に聞かせたマルガリートは、まだ笑いの残る顔で、杖マイクを手に取り直した。
「ふふ、ふふふ……何を寝ぼけたことを仰るの?らしくありませんわね、パディ!」
笑い声の残滓の残る声が、強く明るくそう言ってしまえば、パディエーラは『そうかしらぁ』と小首を傾げる。先ほどの、申し訳なさそうな顔はどこへやら、だ。そんなものはマルちゃんの高笑いにぶっ飛ばされてしまった。
「貴女は貴女らしく、人に迷惑をかけても、その尻拭いをさせても、飄々としていればよろしくってよ!今までそうしていたように!あの厚顔無恥な貴女はどこへいっちゃいましたの!?」
「あ、あらぁ……随分言われちゃうのねえ……」
「本当のことじゃありませんの!大体貴女、申し訳なく思うなら、寝坊して私に起こされたり、忘れ物をして私に借りたりする度にそれを思えばよかったのですわ!」
半ば怒り、半ば笑ったマルガリートの言葉に、会場も、パディエーラも、気づけば笑顔になっている。
『ほらほらどうしましたの!?気合を入れなさい!』とばかり、言葉でぺちぺちやってくるマルちゃんの力は、会場全体を前向きな、明るい気持ちにさせてくれていた。そして、きっと……マルガリート自身も。
「そうよ!謝るなんてお門違いも甚だしくってよ、パディ!だって私……私は、別に、寂しくなんてありませんもの」
マルガリートは堂々と、そう宣言した。あくまでも一条の光のようにすっきりとした、明るい笑顔で。晴れ渡った空、澄み渡った海のような、そんな優しい声で。
「そうよ。私、寂しくありませんわ。後悔していませんもの。そして、貴女の面倒を見たことも、貴女の舞台を見た感動も、貴女に憧れて、初めて舞台の上に立った日のことも……全部、忘れませんわ」
マルガリートはそう言った。そうしていれば寂しくないのだ、と、言い聞かせるように。
彼女の言葉は、会場にも染み渡っていく。同時に観客達は、『ああ、自分は聖女パディエーラの引退が寂しかったのだ』と気づくのだ。
皆、パディエーラが憎いのではなく、恨めしいのでもなく、ただ……寂しかったのだ、と。
会場全体の気持ちを束ねて、マルガリートはパディエーラへ一歩、歩み寄った。
「ずっと、伝えたかったんですの。ねえ、パディ。私……」
マルガリートの唇が、何かを言いかけ、しかし、一度止まる。
呼吸を整えて、唇が引き結ばれて、それから解けて……ようやく、飛び切りの笑顔と共に言葉を紡ぐ。
「貴女の友達として共にやってきたこの1年弱。本当に、楽しかったわ。……どうか、これからも友達でいてくださいまし」
パディエーラが動いて、マルガリートを抱きしめる。ぎゅう、と、強く、強く。きっと苦しいくらいに。
マルガリートはそれにびっくりしていたが、それも一秒程度のこと。負けず嫌いのマルちゃんは、すぐさま反撃に転じてパディエーラを抱きしめ返す。
これまた、ぎゅぎゅ、と強く抱きしめて、2人の聖女は固く固く、ぎゅうぎゅうやりあっていた。
会場中が拍手を送る中、しばらく、2人はそのままで居た。
「……えー、では、貴女の人生に、幸多からんことを祈って」
しばらくして、ようやく離れたマルガリートとパディエーラは、少し距離を置いて舞台上に立つ。向かい合って、マルガリートが杖を手にする。
ふわり、と輝くのは、聖女引退の儀式のため。パディを引退させるのは、マルちゃんなのだ。
「私、マルガリート・スカラが、聖女ではないただの人であるパディエーラ・コーリスの為に、祈りますわ」
そうしてマルガリートは祈り、パディエーラも祈る。きっと2人とも、互いの幸せを祈って、そして……。
……ぱっ、と、会場の照明が全て、消えた。
『おやすみ』と言っているかのような、優しい暗闇が辺りを満たす。会場は静寂に包まれて……。
「あっ、そうだったわぁ……引退するんだから、今日の照明は私が神の力で点けちゃいけないやつだったわねえ……真っ暗になっちゃった」
パディエーラがそうあっけらかんと言ったことで、色々と雰囲気が台無しになったのであった!
……と、いうことっで。
「パディ!どうして貴女という人は!最後の最後まで!詰めが甘いんですの!?」
「うふふふふ、ごめんなさいねえマルちゃん」
「私!確認しましたわよねえ!?いつも貴女の力で照明を点けてるから、今日はそれをせずにきちんと蝋燭か何か使って下さいまし、と確認しましたわよねえ!?」
「されたわねえ。うふふふふ」
……会場には、ナビスが臨時でぽやぽやと光の球を浮かべて照明とした。
本来なら、パディエーラを引退させるのはナビスの役目となる予定であったが……今日のナビスは裏方さん、ということでいいだろう。何せ、今、ステージ上ではパディとマルちゃんの漫才が始まっているので……。
「どうしてこうなんですのー!笑ってるんじゃありませんわーッ!」
「ごめんごめん、マルちゃんがあまりにマルちゃんだから、つい……ふふふ」
「パディー!貴女って、貴女って本当に!本当にー!」
賑やかな笑い声に包まれる会場の真ん中で、笑うパディと怒るマルちゃん。実に明るく楽しい光景は、観客達から『寂しさ』を取り払ってくれただろう。
皆に愛された聖女パディエーラは引退した。だが……引退した後も、こうやって、楽しく笑っていてくれるのだ、と、皆が分かったのだから。
そうしてパディエーラの引退式が終了した。
最後の最後を大体全部マルちゃんに持っていかれたような具合だったが、まあ、引き継ぎとしては丁度良かったのかもしれない。パディエーラも『これで安心してマルちゃんに全部任せられるわぁ』と言っていた。マルちゃん本人は不服気であったが……。
「まあ、これで私への支持が強まったことは間違いありませんものね」
やれやれ、というように、マルガリートは部屋のソファに腰を下ろしてため息を吐く。その手にナビスが『どうぞ』とお茶のカップを渡してやれば、マルガリートは礼を言ってお茶を飲み、『ああ、美味しい』とにっこり笑った。ご満悦である。
「えーと、マルちゃん、よかったの?ああいう風な引き取り方したら、間違いなくパディの信者、マルちゃんの方に流れるし、マルちゃんの引退は遅れるけど」
澪はそう尋ねながら、『まあ、マルちゃんの方がリスクマネジメントは上手そうな気がするけれど……』とも思いつつ、一応、マルガリートの心配をする。
……これからの聖女は特に、力を持てば持つほど、自死のリスクが高まる。信仰とは、最早そういうものなのだ。つまるところ、マルガリートはそのリスクを、わざわざ強めたような形になるのだが……。
「ええ、よくってよ。元々、これが望みでしたもの」
マルガリートは誇らしげにそう笑って、ふふん、と胸を張る。
「私は貴族。スカラ家の長女ですのよ?聖女になったのは、この国の民を導くため。ならば、引退する前に支持者を多く取りつけておいた方がよいのではなくって?」
「おおー……これぞマルちゃん」
「流石です、マルちゃん様……」
澪とナビスは、ぱちぱち、と拍手を送る。やっぱりマルちゃんはマルちゃんであった。流石のマルちゃん。立派なマルちゃん。これぞマルちゃんなのである!
それからマルガリートは、ふと、部屋の窓から下を見下ろしてそこに残るパディエーラの引退を惜しむ信者達の姿を見る。
そんな信者達の中に囲まれて笑っているのは、パディエーラだ。……最後の最後は、『聖女じゃなくなったんだからもういいわよねえ』ということで、信者と共に聖餐を食べ、酒を楽しんでいるらしかった。パディエーラらしい振る舞いであるし、それで上手くいっているようである。
「それに、私が貴族として導く相手の中には、聖女も含まれますわ。当然ね」
そんなパディエーラを見ながら、マルガリートはまた、誇りと目標に煌めく瞳をしていた。
「聖女は、色々な思いを抱えて聖女になりますわ。愛する村を救いたい一心であったり、成り上りたい一心であったり。……私は、この国の民を教え導く立場を得るために、聖女になりましたけれど……そうした聖女1人1人の思いを叶えるためにも、皆を引退させねばなりませんのよ。貴族として。導く立場として、ね」
そこで、マルガリートは澪とナビスを振り返って悪戯っぽく笑った。
「ですが、貴族は王に従うものですわ。ねえ、ナビス?」
「へっ!?」
「私は最後から2番目の聖女になる、ということですのよ。ね、最後は貴女に任せますわ。でも、ぎりぎりまで粘ってやりますから覚悟なさい!」
マルガリートの笑みと言葉に、ナビスは目をぱちりと瞬かせ……。
「……はい、マルちゃん様!」
一呼吸後には、満面の笑みでそう答えて、マルガリートの両手をきゅっと握っていたのだった。
それから、澪とナビスとマルちゃん、という3人組で、今後の話を進めていった。
どのようにして聖女の引退を促していくのか。同時に、どのようにして、全国民聖女化を進めていくのか。
結局のところ、最後の最後まで神の力を使い倒すことになりそうだが、まあ、それはさておき……。
「色々、これから変わっていきますのねえ」
話が一段落したところで、お茶のお代わりを淹れつつ、マルちゃんは、ふう、と息を吐く。
「パディは聖女ではなくなりましたし、ナビスは王女様だし……」
むにゅ、とした顔をして、マルガリートは暫し、何かを考えると……。
「……私ね。さっき、礼拝式で嘘を吐きましたわ」
そう言って、ちら、とパディエーラの居る窓の方へ視線をやった。
「やっぱり、ちょっぴり寂しくってよ」
「……私もだよ!」
「ああ、マルちゃん様ぁー!」
そうしてマルちゃんは、澪とナビスにぎゅうぎゅうやられることとなった。
誇り高く立派で強い、どこに出しても恥ずかしくないマルちゃんだが……今日くらいは一緒に寂しがって、ぎゅうぎゅうくっつき合ったっていいはずだ。
きゅ、とマルちゃんの腕が背中に回るのを感じながら、澪とナビスはそう思うのであった。




