普通の女の子になれ*5
さて。
そうしてナビスの全国ツアーは幕を下ろした。
聖女シミアがただのシミアになり、しろごんによってかぷりと咥えられ、その後、ポルタナ自警団……を名乗る鉱夫達や漁師達によって捕縛されて連行されていった後はナビスが2曲ほど歌い、澪が1曲演奏し……そして最後に、皆でポルタナの舟歌を歌って、礼拝式が終わった。
「終わりましたねえ」
「長かったねー。……いや、でも1か月経ってないのか!」
舟歌の、ゆったりとリフレインする旋律の余韻が残るような深夜の海辺。そこを2人並んで散歩しながら、澪とナビスはのんびり話す。
「明日はポルタナで一日のんびり……と思ったけど、シミアさんの身柄はさっさと持っていかなきゃだもんなあ。どーしよ」
「ううん……そう、ですね。ならば、お昼過ぎに出発しましょう。最早、シミアさんは聖女ではありません。抵抗はできないかと」
礼拝式終了直後、澪とナビスはシミアの様子を見に行った。だが、特に何事もなく、文句をずっと言っているだけだったので安心である。まあ、つまり、自殺するようなことにはなっていなかったので。
どうやら、『聖女を聖女ではなくする祈り』は確かに届いたようだ。これにてひとまず、澪とナビスの計画は概ね完遂、ということになるだろう。
後は、一旦王都に戻った後、今後の話をカリニオス王と一緒に詰めていきながら、全国ツアーの振り返りをして……。
「……えーと、来月の末には、全国ツアー2回目?」
「そ、そう、でしたね。……うーん、もう少し休暇を頂いた方がいいかもしれません。やっぱり、1か月で全国ツアーは無理がありました……」
……澪とナビスの戦いは、まだまだ続く。まあ、つまり、全国ツアー2回目が既に開催決定している、という点において。
「やっぱり、2か月くらいお休みする?」
「いえ。でも、救わねばならない人々も土地も、聖女も、まだまだたくさん残っているはずですから」
ナビスは疲れているはずなのだが、それでも瞳に希望の光を灯して微笑んでいる。
「ナビスは頑張り屋さんだなあ」
「ふふ。だって私、人を救うために聖女になったのですもの。当然、頑張らなくては」
……気持ちは澪にも分かる。要は、やりたいことをやっている時、人は多少疲れたって頑張れてしまうものなのだ。
澪は、ナビスが今『やりたいこと』をやれているということを嬉しく思う。
「それに、ミオ様が一緒に居てくださるでしょう?」
「うん」
更に、ナビスの元気の源の一部が自分であることも、澪は嬉しく思うのだ。澪が隣に居るからこそ、ナビスが元気に頑張れるというのであれば、こんなに嬉しいことは無い。
……だが。
ふと、澪は思った。
そういや私、いつまでこの世界に居るつもりでいるのかな、と。
その夜、澪はポルタナの教会の澪の部屋で、考えに沈んでいた。
考えるのは、元の世界のことである。もうじき澪は、この世界に来て1年が経ってしまう訳だが……元の世界は、どうなっているだろうか。
「……帰ったらいきなり高3の夏?こわぁ……」
澪は『いきなり受験生!』ということに思い当たってしまい、すぐさま、考えるのをやめた。というかそもそも、進級できているのかすら危ういわけなので、まあ、そこからなのだが……。
「皆心配してるよねえ……」
……まあ、1年ぶりに戻ったとして、まず当面の間は、心配され通しだろうなあ、と思う。そして1年放り出していたことを全部片づけて……日常に戻れるのは、大分後のことだろうなあ、というくらいの想像はつく。
ついでに、そこで起こるであろう面倒が、大体においてこの世界でのごたごたの解決より爽快であったり楽しかったりはしないだろうなあ、とも。
この1年弱、澪はずっとナビスと一緒に居たわけだ。そして、随分と楽しくやってきた。
最初の動機は、『元の世界に帰るために信仰心を集める』ということだったが、今となっては最早それも『ナビスと楽しいことをやる』というようなものにすり替わっているように思う。
いつの間にか、澪はこの世界が大好きになっている。『帰るのやだな』とちょっと思ってしまう程には。
勿論、帰りたくない、とは思わない。家族には会いたいし、友達も気になる。自分の将来のことだって。
……だが、この世界での楽しくやり甲斐のある暮らしと、帰ってすぐに待っているであろうごたごたのことを思えば、なんとなく、『ちょっとやだな』と思う。
言ってみれば、寒い日に布団から出るのやだな、ぐらいの感覚である。布団から出ないことには始まらないし、出てしまえばそれはそれで楽しいことが待っているのだが……それでも、お布団はぬくぬくで、居心地がよくて、そして寒い外は『やだな』なのである。
「……ナビス連れて帰るわけにもいかないしなあ」
そして何より、ナビスが居る。
この世界に来て、最初に出会った人。澪のことを神様だと勘違いして混乱していたあの時から、ナビスは大層可愛らしかった。今はもっと可愛い。可愛さって上限が無いのだろうか。澪はちょっと悟りを開きそうである。
そんな可愛いナビスのことも、澪はすっかり大好きになっている。
ナビスより付き合いの長い友人だって、元の世界にはたくさんいる。だが、ナビスほどに濃い時間を過ごした仲間は、居ない。
だから……どうにも、決心が鈍りそうだ。
もし、ナビスに引き留められてしまったら、澪はそれを振り切って元の世界に帰ることができるのだろうか。
「……可愛いって、罪!だからナビスは罪人ー!」
澪は『あああー』と声を上げながら、ベッドの中でごろごろした。ごろごろしていると色々とどうでもよくなってきて、とりあえず考えるのは保留となる。
……そうしているうちに、だんだん眠くなってきたので、寝てしまうことにした。
まあ、元の世界のことは、また考えなくてはならない日が遠からず来るだろう。
なので今はとりあえず、この世界でのごたごた解決に向けて寝てしまった方がいい。そう。明日からまた、ごたごたが始まるのだ。それはそれはごたごたした……『聖女の引退ラッシュ』が来る、のである。
翌朝。
澪はすっかりぐっすりよく眠って、少し寝坊して起きた。
だが、澪が寝坊したということは、ナビスも寝坊しているということである。案の定、身支度を終えて部屋を出ると、丁度そこで身支度を終えて部屋を出てきたナビスと合流した。
「あら」
「わあ」
2人で顔を見合わせて、それからどちらからともなく笑う。
澪とナビスは、寝坊のタイミングまで息ピッタリなのだ!
それから、昨夜の聖餐の残りを温め直して朝ごはんにして、2人でのんびりと雑談などしながら食後のお茶を楽しんで……さて。
「じゃ、王都、戻らなきゃね」
「ええ。シミアさんの護送もありますので……」
予定より早いが、もう城へ戻らなくてはならない。よっこいしょ、と澪とナビスは立ち上がって、食器の片づけをして……さて。
「……シミアさん、どうやって運ぼうか」
その問題に直面することとなった。
そう。澪とナビスはしろごんに乗って飛んでいくわけだが、ならば、シミアは……。
「え?ええと、しろごんが咥えて運んでくれるのでは……」
「いや、それ結構危なくない?」
しろごんのお口が唐突に開かないとも限らない。というかそもそも、しろごんに『ポルタナから王都まで、口を閉じたままで居てね』というのも酷である!
さてどうしようかな、と澪とナビスが考えていたところ……。
「あ、ブラウニー達がぞろぞろと」
「お手伝いしてくれるのでしょうか?本当に働き者ですねえ」
ブラウニー達が列を成してぞろぞろとやってきた。そしてしろごんの居る厩の周りに集結すると……そこで、糸玉を掲げて見せてくれた。
「……成程」
「縛り付けちゃうのは、いいかもしれない」
ということで、聖女ではなくなったシミアの運搬方法が決定した。
一時間後。
「では、また近い内に戻ってきます!」
「暫しの別れー!さらばー!」
ナビスと澪と、揃ってしろごんの上でポルタナの皆に手を振る。……そしてそのしろごんのお腹には、シミアが糸でぐるぐる巻きにされて固定されている!
まるで、蜘蛛によって捕食される獲物のような見た目だが、これが中々安定するのだ。ブラウニー達の手によって、細い糸を何千何万と巻きつけられたシミアは、見事、すっぽりと寝袋に収まったような具合になっている。一本一本は細い糸だが、このように巻き巻きになっていると安定感が素晴らしい。
それでいて、糸自体も伸縮性のあるものなので、シミアは余計にすっぽりと、しっかりと、しろごんに固定されているのだ。
「それにしてもすごいねー、これ。何の糸なんだろ」
「あっ、蜘蛛の糸のようですよ、ミオ様。ブラウニー達が見せてくれていますよ、ほら」
「わーお、これから食べられる獲物にぴったりってかんじ……」
……まあ、そういうわけで、シミアは無事に王都まで運搬される運びとなった。そう。あくまでも、『運搬』である。蜘蛛の糸でぐるぐる繭玉ライクに包まれている時点で、護送というよりは、運搬なのである……。
しろごんは速く飛ぶ。景色は澪達の遥か下方で、ゆったりと見えてすさまじい速さで流れていく。
そうしていればあれよあれよという間にメルカッタを通り過ぎ、レギナを通り過ぎて、王城へと戻るのだ。
……そして、しろごんの上から、カチカチと伝心石を打って王城には連絡を入れておく。『今日中に戻ります。ナビス』というように。一応、王女様の帰還であるので、警備の都合などあるだろうから、連絡はしっかりしておくこととして……。
……王城の塔の上へ到着したのは、夕方のことだった。
これでも、相当に速い。昼頃にポルタナを出て夕方には王城へ到着してしまっているのだから、相当に速い。ドラゴンタイヤの馬車であったなら、まだレギナにさえ到着していないだろう。
澪とナビスは揃って『やっぱしろごんすごいねえ』『しろごんすごいですねえ』と話をしつつ、ぐるぐる巻き巻きのシミアをどうしようかな、と相談し……。
そうしている内に。
「おお、ナビス!戻ったか!」
「ナビス!ナビス!よくぞ戻った!よくぞ!さあその顔をよく見せておくれ!」
……カリニオス王と先王が、ばたばたとやってきたのであった。それはそれは、嬉しそうに。
澪とナビスは顔を見合わせ……それから、笑顔で2人に挨拶することにした。
「はーい!聖女ナビスと勇者ミオ!ただいま戻りました!」
「ええと、私も……ただいま……というと、なんだか不思議なかんじ!」
笑顔で『ただいま』を言えば、王達はとてつもなく嬉しそうな顔をする。
……やっぱり、『ただいま』は、良いものなのだ。帰ってきた人にとっても、待っていた人にとっても。




