普通の女の子になれ*3
聖女シミアがここに居る理由が分からない。敵情視察をすべき段階はとっくに終わっている。となると、彼女の目的は、攻撃か、工作か……。はたまた、彼女もナビスの救いを求めて来たのか。
「皆ー!今日は全国ツアー最終日!盛り上がっていこうねー!」
澪はMCの傍ら、歓声を浴びながら聖女シミアをそれとなく観察する。
……聖女シミアは、他の観客達に紛れられる程度に盛り上がるふりをしているように見える。周りをきょろきょろと確認しながら、『こう振る舞えばいいのか』というような、そんなかんじだ。
それだけなら、敬虔なご新規様に見える。一生懸命、初めてのライブに適応しようとしているような。
……だが、その目は時折、舞台袖の方や、その他、ライブに関係が無さそうな方にまで向けられている。何かを確認するように、しきりに。
つまり、まあ……多分、何かあるのだろう。何かが。きっと……このライブをぶち壊すような、何かが。
「さーて、じゃあ早速皆さんお待ちかね、聖女ナビスの登場だ!みんなで呼んでみよう!『なーびすー!』ってかんじにいこ!……じゃ、せーのっ!」
澪は会場中から押し寄せてくる『なーびすー!』の声を聞き、そして、会場中と一緒になって拍手でナビスを迎えながら、そっと思う。
上等じゃん、と。
聖女シミアは間違いなく、何かをしようとしている。そしてそれは、澪とナビスにとって碌なことではあるまい。
だからこそ、上等である。潰し甲斐がある。聖女シミアの思惑を真っ向から潰して……そして、聖女シミアを、『聖女』という枷から救いだしてやるのだ。
……そしてその後は『人間』として檻の中にぶち込んでやるのである!容赦はしない!遠慮もしない!ただ、ナビスの圧倒的パワーの前にひれ伏させてやればよいだけなのだ!
澪は聖女シミアへの配慮は持っているが、だからといって怒っていないわけではないのである!ましてやこの期に及んで何か企んでいる奴になど、慈悲は不要なのである!
礼拝式は、かつてない盛り上がりを見せながら進行していく。
全国ツアー初日、王都での礼拝式の時には『これ以上の盛り上がりは当面無いだろうなあ』と思わされたものだが、なんと、あれをゆうに超えてきた。
ポルタナにやってきた観客達は、皆、熱心な信者達だ。わざわざナビスを追っかけて、ポルタナにまでやってきたのだから。
そう。そんな熱心な信者達が、こんなにも沢山。……この全国ツアーは慈善活動でもあったが、布教活動にもなっていたのだ。全国ツアーで各地を巡る中で、初めてナビスを知った人達が大勢居た。そしてその中のいくらかは、とてつもなく熱心な信者になってくれたのである。
その結果が、今だ。
ポルタナ礼拝式は、実に驚くべきことに……ポルタナの全てが会場となる勢いで人が押し寄せ、賑わいを見せている。
これは、信仰心も期待できそうだ。だが同時に、弱みを見せていることにもなる。
会場の人達は全員、ナビスの信者だ。つまり、人質を取るにはこの会場はうってつけ、ということになる。聖女シミアの目論見も、大方そんなところではないだろうか。
折角の礼拝式をぶち壊し、多くの信者を人質にこちらの動きを制限して、その上で、『大失敗』の記憶を皆に植え付ける。……そんなことができるのも、この礼拝式だからこそ。
だが、きっと、聖女シミアは忘れている。
信じることの強さを、彼女はもう、忘れているのだ。
『信者が多ければ多いほど、聖女は強い』。
その原則を、今、聖女シミアに思い出させてやるべきだろう。
それは、澪とナビスが一度舞台袖に引っ込み、一緒に着替えて新しい衣装で再登場した後。ナビスがメルカッタの戦士達の歌を歌っている途中のことだった。
ガシャン、と大きな音が聞こえて、会場がざわめいた。
……海の方から聞こえた。澪はすぐさま、警戒する。ただし……海の方を、ではなく、観客席を。
音が響いた海では、異変が起きていた。なんと、見る見るうちに海が盛り上がり、ド派手に水飛沫を上げながら……巨大な亀が顔を出す。
ぐわっ、と開いた口が、会場からも見える。その様子に、観客達は悲鳴を上げた。
更に、山の方からは、キイキイと耳障りな鳴き声を上げながら、猿のような魔物が押し寄せてきている。
どこから湧いたのか分からない魔物達。それも、これほどまでに、一度に。
……当然、自然に発生したものとは思い難い。誰かの意図があってのものであろうことは明白である。まあ、つまり……。
「よっこらしょっと」
澪は舞台から降りて、ひょい、と観客席に入る。信者達は『ミオ様だ!』『ミオ様がこんなに近くに!』とよく分からない興奮の仕方をしていたが、それより魔物の方に注目していてほしい澪である。
何故かといえば、澪の行動が目立つより、魔物が目立っていた方が、この後がより映えるから。
ついでに……。
「な、何をするんですかぁ!?」
「はいはい、ちょっと大人しくしといてねー」
澪は、ひょい、と聖女シミアを捕まえて、担ぎ上げて、舞台の裏へ戻った。
それは、『聖女シミアを表に出さないため』である。
観客達は『い、今のは一体?』『まさか魔物を誘き寄せた犯人をもう見つけたっていうのか!?』『あれ、誰?』というようなざわめきを上げているが……まあ、多くの観客達は澪の行動より、魔物の方に注目してくれているだろう。
澪は、ステージの裏でしろごんに『じゃ、ちょっとこいつの見張りよろしくね!』とお願いしておく。するとしろごんは元気に鳴いて、聖女シミアを押さえ込むようにしてお座りしてくれた。完璧である!
……さて。
「じゃ、魔物退治、やっちゃおっかナビス!」
「はい、ミオ様!」
「海の方頼んでいい?私、山の方やる」
「はい。ではそのように」
澪とナビスはそんな風にささっと打ち合わせると、早速、それぞれの武器を抜く。
ナビスは聖銀の長杖を取り出して海へ向かって飛び、そして澪は王家の短剣を抜いて山に向かって飛ぶ。2人が飛んだあとには尾を引くように、金色の光の残滓が煌めいた。
そう。これは、聖女と勇者による魔物討伐の実演だ。観客達は大いに盛り上がって、わっ、と歓声を上げる。
そこに怯えや混乱は無い。これすらも礼拝式の内容として元々予定に組み込まれていたものではないかと誤解してか、皆、只々興奮していた。
そんな観客達に信じられて、澪もナビスも、それぞれに動く。
「はいはーい!猿山の皆さん、こんばんはー!」
澪は宙を舞うようにしながら、猿のような魔物達の真ん中に着地する。その着地のついでに数匹ぶっ飛ばしてやれば、猿の魔物達は皆、慄く。
慄きながらも澪を取り囲んで臨戦態勢を取る魔物達を余裕たっぷりに見回して……澪は、にや、と笑って、魔物の内の一頭に短剣の切っ先を向けた。
「で?そいつがボス猿かな?」
澪が刃を向けた猿は、他のものより体躯が一回り大きく、毛色も少し違う。毛皮に模様が入っているように見えるが、これがボスの証なのだろうか。
そして澪が刃を向けた途端、他の猿達は、キャーキャー騒ぎ始めた。生憎澪にはその言葉の意味は分からなかったが、『ボス、やっちゃってくださいよ!』みたいなかんじだったのかもしれない。
子分達の歓声に思うところがあったのか、澪が刃を向けた大きな猿は、のしのしと澪に向かって歩を進めてきた。澪は余裕の笑顔でそれを見守り……そして。
猿の腕が、ぶん、と振り抜かれたその瞬間。たったの一瞬。……その腕を掻い潜って内側へと潜り込み、ボス猿の胸を、短剣で深々と貫いていたのだった。
「で?他のもやる?」
倒れたボス猿の死体に『お行儀悪いなあ』と思いつつ片足を乗せて見せてやれば、猿の魔物達はキャーキャーと悲鳴めいた声を上げた。そして、怯えと畏怖の目で澪を見つめ、じり、じり、と後退していく。
「やる気無いならさっさと行きな。二度と人里に近づかないでね。悪さしたら退治しに行くからね。はーい、ごー、よーん、さーん、にー、いーち」
そして澪がカウントダウンを始めると、猿達は、キャーッ!と声を上げて、一目散に逃げていってしまった。
……大分怯えていたので、もうポルタナに戻ってくることは無さそうである。少なくとも、聖女シミアがこれ以上何もしなければ。
そしてこれ以上何かをさせる気は無いので、これでよし。澪は自分の戦いぶりに満足しつつ、短剣を鞘に納めた。
+
一方、ナビスはナビスで敵に向かっていた。
神の力を用いれば、波の上を歩くことも可能である。ナビスは黒く波打つ海を淡く金色に輝かせながら、海の上を進んでいく。それはさながら、夜空に浮かぶ月のようにも見えた。
……海は山の方よりも、観客の視線が通る。『見られている』と意識しながら動かなければならない。ミオとナビスは予め礼拝式中にアクシデントが起きた時のことも考えて打ち合わせしていたが、その中で、観客からの見え方もある程度、考えていた。
ナビスはミオとの打ち合わせを思い出しながら、歩く。皆を率いる聖女として。王女として。そして、1人の意志ある人間として。そうしてナビスは海から現れた大亀に、杖を向ける。
「立ち去りなさい。ここはあなたの来る場所ではありませんよ」
あくまでも、攻撃せず。ただ、強大な力を纏って、ナビスは大亀に向かう。
大亀は、ナビスを睥睨していた。取るに足らぬ小娘だと思ったのかもしれないが、ナビスはそれをただ、見上げる。
「立ち去りなさい。あなたが破ってきた聖銀の網の向こう側まで行ったなら、もう、追いかけませんから」
ただ静かにそう言って、ただ静かに大亀を見上げる。……そうしていると、大亀は、じり、と後退した。
それに合わせてナビスが一歩進み出れば、また、じり、と大亀は後退する。それを見て、また、もう一歩。
……そうしていけば、大亀はいよいよ、ナビスの力のほどが分かってきたのだろう。やがて、すい、と泳ぎだして、振り返りながらも真っ直ぐ、湾の外へと向かっていくようになる。
ナビスはゆっくりとそれを追いかけて……そして怯えた大亀がいよいよ湾の外へと泳ぎ去ると、『あの亀さんの旅路に幸あれ』と小さく祈りを捧げて、ポルタナの港へ戻るべく、また海の上を歩いていくのだった。
+
「いやー、皆、見た?さっきのナビス、滅茶苦茶に綺麗だったよね?ね?」
「ミオ様も、実に凛々しくお美しかったですよ」
さて。
そうして澪とナビスはステージ上へ戻ってきた。戻ってきた2人を出迎えたのは観客達の熱狂的な歓声と、割れんばかりの拍手。
『聖女ナビスと勇者ミオが居れば安全だ!』とばかり、先程の緊張感はどこへやら、である。澪やナビスのMCに反応して『ナビス様はー!きれーい!』『ミオ様はー!りりしーい!』とコールが起こるほどであった。
「ま、そういう訳でちょっと邪魔が入っちゃったけど……丁度いいや」
澪は観客達に『静まれー、静まれー』とやった後、そう言って、ステージ端をちらりと見た。
「私達、救いたい人が居るんだ。だから、もう一勝負、見ていってくれるかな?」
澪の言葉に観客達は首を傾げつつも歓声を上げ、そして。
「そ、そこまでですよう、聖女ナビス!」
……そこに、しろごんから逃れて出てきたと思しき聖女シミアが、立っているのを多くの観客が見つけたのである。
聖女シミアはまだ知らない。だが、これから知ることになるだろう。
自分がしろごんに『逃がされた』のだということも。これも澪とナビスの計画通りだということも。澪とナビスが、聖女シミアが思っている程お人よしではないということも。
……そして、ナビスが、あまりにも強大であるということさえも。




