聖女と勇者と*5
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ナビスは、自分が聖女の修行をしていた時のことを思い出しながら話す。ナビスにとっては当たり前で、この世界の人々にとってもなんとなく分かっていることで、同時に、ミオにとっては未知の話。
「聖女は、3つの原則を守らなければなりません。1つ目は、信仰を捨てないこと。2つ目は、人を救うこと。3つ目は、魔を祓うこと。この3つを守らなければ、神の力は使えないとされています」
聖女の力は、万能ではない。
神の力を行使してあらゆることを成せるようでありながら、それでも、制約が無いわけではないのである。
が。
「えーと、つまり、私利私欲のためには使えない、ってこと?」
「うーん、それはどうでしょう。聖女自身も人ですので……自分自身を救うことができるなら、必ずしも私利私欲の為に力を使うことはできない、という訳でもないと思います」
「ええっ!?それ……それ、いいの!?そんなんでいいの!?」
「はい。まあ……やり方を選べば、案外、なんとでも……」
……まあ、ナビス自身、『案外、この制約はいいかげんなのですよね』と知っている。私利私欲、というものがどんな種類のものかにもよるが、例えば『美味しいものを食べたい』という願いを叶えるのであれば、生み出した美味しいものを聖女以外の人も食べればよい。そうすれば聖女以外の人も救ったことになる。
実際、ナビス自身もポルタナの村興しをする中で、その恩恵に与ってしまっている。ポルタナを興したいという願いも、ある種ナビスの我儘であるのだが、それでもそれらは許されることなのである。少なくとも、ナビスと、ナビスの思う『神』にとっては。
「そして、優先されるのは2つ目より1つ目。3つ目より2つ目です。魔を祓うことよりも人を救うことが優先されます。もし、魔を祓わないことで人を救えるのであれば、必ずしも全ての魔を祓う必要は無いのです」
「あー、ブラウニーとか、スケルトンの皆とか、そういう?」
「はい。その通りです」
聖女の制約にも、例外はある。これは、己の信じるところにもよるが……ミオの言う通り、ブラウニーやスケルトンは魔物であるものの、祓わない方が人を救い、幸せにすることができる。だから彼らを排除すべきではない、とナビスは信じている。
また、他の多くの聖女達も、スケルトンはともかく、ブラウニーは許す者が多い。ブラウニーが人間にとって有益であることは、昔々からずっと知られていることなので。
ミオは、『なるほどなー』とふんふん頷いていたが、ふと、ぴたり、と止まって、首を傾げた。
「……んんん?あれ?でもおかしくない?トゥリシアさんはふつーに、魔物操ってレギナを襲わせてたよね?あれ、人を救うことと矛盾しない!?いや、あれ、もしかしてトゥリシアさんの仕業じゃなかった……?」
ミオの考えも尤もだろう。ナビス自身、そうよね、と思う。……ナビス自身、この点を常々疑問に思い、自らに問い続けているのだから。
「いえ。私は、あれが聖女トゥリシアの所業であったと考えています」
「え?え?でも、聖女の力の制約的には、人を救うことでも魔を祓うことでもなかったら駄目なんじゃないの?」
「ええと……聖女モルテのことを思い出してください。彼女は、人を死へと誘う聖女ですよね」
「まあ、あの子自身が死だしなあ……あっ」
ミオは何かに気づいたような顔をする。そんな顔も可愛らしいので、ナビスはくすくす笑ってしまう。ミオは凛々しく美しいが、こういう、人間味溢れ愛嬌のある表情もまた、ミオらしくて魅力的なのだ。
「そうです。聖女モルテは、死こそが人を救うと信じていますよね?ですから、聖女モルテは人を殺すことにも神の力を使えるものと思われます。彼女は、それが人を救うと信じていますから」
「えええええええ!?それ、それ、いいのぉ!?」
「はい。聖女自身が、それがより多くの人を救う行いだと信じているのならば、時に人を傷つけることもできます。……そうでなければ、野盗相手に戦えませんので」
「あ、そっか……うん、そうだよね。誰かを救うことで誰かが救われない、ってことも、往々にしてあるもんね……」
1を切り捨てることで100を救えるのであれば、1は切り捨てる必要がある。……その考え方も、ナビスは聖女の修行中に勉強した。そして、学んだ上で、ナビスもその方針をある程度、守っている。
だから、カリニオス王子を暗殺しようとする者相手にミオが戦うこともできたし、勇者フェーレスとの決闘にも神の力を使えた。人が人と戦うことも、それが大きな意味で人を救うことに繋がるのだとすれば、聖女が力を使うことができるのである。
「えーと、つまり、トゥリシアさんは、魔物に人里を襲わせることが人を救う、って信じてた、ってこと……?」
「まあ、恐らくは。まあ……彼女が聖女の制約を逸脱していたようにも、思えますが」
さて。そうして話はいよいよ、最後の制約についてのものとなる。
「……人を救う、というのは、とても難しいことです。ポルタナが栄えていくことで、港町リーヴァは衰えていくかもしれない。誰かの利益が誰かの損になっていないとは言い切れない。怪我を治し、命を救った人がこの先、大勢の人を殺す悪党になるかもしれない。……だから聖女は、信仰を捨ててはならないのです」
魔を祓うこと。人を救うこと。それらは全て、人間には判断が難しいものばかりだ。それこそ、神のみぞ知る、というようなことも多い。
聖女には神と同じものなど見えず、しかしその中で藻掻き、足掻いて、人を救うとは何かを問い続けていかなければならない。
「聖女が、何よりも優先しなければならない制約。それは、『信仰を捨てない』ことなのです」
そう。
聖女は、己が信じるものは何か、神の意思はどのようなものかを常に問い続けていかなければならないのだ。
「信仰とは、難しいものです。神を信じる、と言ってしまえば一言でも、その道のりは多岐に渡ります。何を信じ、どのように信じ、そして、どのように行動していくかは神の言葉を読み解く聖女次第なのです」
聖女の修行は、その多くが勉学だ。
過去の賢人達の考え方を学び、過去の事例を学び、過去の歴史を学んで、その中で『何が正しいのか』『何をすれば人を救えるのか』『何をもってして人を救うとするのか』を自らの内に決めていく。
同時に、己が行使することになる力の制御や礼拝のやり方なども学ぶが……結局のところ、聖女の修行というものは、聖女自身が自らの内に信仰を築き上げていくためのものなのである。
「……そっか。教義は、聖女が決めるんだったね」
「ええ。そして教義とは、信者達が守るべきもの、というよりは、聖女自身が守るべきものであるのです」
聖女にとっての信仰は、信者のそれとはまた異なる。もっと深く、もっと根幹に近いところ……言ってしまえば、倫理観、というようなものなのかもしれない。
……時に、考えるほどに迷うこともある。
何が正しいのか、分からなくなるのだ。為せることと目指すものの落差に打ちひしがれて、聖女の道を諦める者も多い。
或いはそもそも、自らの内に信仰を築き上げることができなかった者は、聖女になりたくてもなれない。……どちらかというと、神の力の制御を習得できずに諦める者の方が多いかもしれないが。
「信仰とは、聖女自身が編み上げ、築き上げていくものです。己が信じるところを、己が決めるのです。人を救うとは何か。魔を祓うとは何か。人とは何で、魔とは何で、幸福とは何で、救うとはどういうことなのか……それら全てを己に問い続け、己の信じるところを進めていかなければなりません」
「求道者、ってかんじだね」
「ええ。自らの道を自ら追い求める。神の言葉を読み解き続ける。正に聖女は、求道者、なのです」
ミオが『そっかー、ナビスはそういうかんじの修行してたんだあ』とにこにこするので、ナビスは少々照れてしまう。……自分のことを知って喜んでくれる人が居る、というのは、その、嬉しくも恥ずかしくもある。ましてやそれが、ナビスの大切なミオであるので。
「……聖女トゥリシアの話に戻りましょうか」
さて。聖女の制約の話が出揃ったところで、いよいよナビスは『聖女トゥリシア』ならびに『他の聖女達の自死』について、考えなければならない。
「彼女は、自らが王になることで人々をより救えると考えたのでしょう。そうであれば、あのような力の使い方に説明が付きます」
「成程なあ……悪い意味で聖女モルテみたいな?」
「ええ。きっと」
魔物を操り、人里を襲わせる。……ナビスは決して選ばない手段ではあるが、それが長い目で見た時に人を救うのだと考えることは可能である、とも思う。
脅威があれば、人々は団結する。だから脅威を生み出し、人々を脅かす。そうすることで、長期的に見れば人々を救うことができる。
……或いは、自分こそが王として人々を導くのだという強い意思があるならば、自らが王になって万を救うために、町を襲って百を殺すことも厭わない、と。そういう考えも、一応、筋は通る。
だが、聖女トゥリシアもそのように考えていたとは、思えないのだ。
「……でも、彼女の信仰は脆かったのではないかと、私は思うのです」
聖女として修業を積み、真っ当に聖女を目指すのであれば……聖女トゥリシアのようなことは、できないのではないだろうか。
彼女が魔物を操ってレギナを襲わせたのは、彼女の信仰によって出た結論故ではなく……彼女の私利私欲故だったのでは、ないだろうか。
「聖女は、信仰を捨ててはならない。信仰を、捨ててはならないのです。もし、信仰することをやめてしまったなら……それはもう、聖女ではない」
ナビスは、思い出す。
以前、勇者エブルが言っていたことだ。
聖女ではない彼だからこそ言ったことなのだろうし、ナビスにとって、そしてマルガリートやパディエーラにとっても、一風変わった意見として受け止められたあれは……もしかすると、本当に、本当のことなのかもしれない。
「信仰を捨てた聖女は、ただ、強大な力を自らの為に振るうだけの……魔物なのかもしれません」
……しばらく、ナビスは次に話すべき言葉を見つけられなかった。
だから何だ、となってしまえばそれだけの話である。聖女としての心得は、聖女ではない人にとっては無関係であって、それはミオにとってもそうだ。
だから、長々と話してしまったナビスは、その埋め合わせを何か、ミオにしなければならない、と思って口を開きかけ……。
「そっかあ……つまり、トゥリシアさんとかキャニスとか、追い詰められた聖女が自殺しちゃってるのは、もしかすると、信仰を捨てちゃったが故に何か影響があって、それで……ってことかもしれない、ってこと?」
だが、ミオはナビスの言葉を飽きもせずに真剣に聞いて、そんなことを言ってくれるのだ。
聖女でもなく、ただ唐突に勇者になっただけのミオが、聖女の信仰の話を真剣に聞いてくれる。それが、ナビスにとってはとても嬉しい。
「ええと……直接の影響があった、とは、考えていません。ただ、自らの信仰に反したことをしようとしたなら、当然、その願いは叶えられませんので……彼女達は自死する前に自らの願いを叶えて自分に都合の良い世界を作る、という訳にはいかなかったのだと、そこまでのお話だったのですが」
ナビスはナビスの考えを述べる。要は、ナビスの意図したところとしては、『死ぬくらいなら自分の願いを叶えちゃえばいいじゃん』というようなミオの説に対して『自分の願いが信仰に反するならば願いは叶えられないのですよ』と説明するところまで、なのだ。
つまり、ミオが今言ったところの『信仰を捨てちゃうと影響があるのか』というところについては、まだ、ナビスも考えが及んでいない。
「そっか……じゃあ、彼女達は自殺する前、良心の呵責を感じてた、のかな」
「……かもしれません。自らの願いが自らの信仰に反することを感じていた、のかもしれませんね。そして、だからこそ、彼女達の願いは叶わなかった。叶えるべきではないと、彼女達自身の信仰が、判断したから」
ナビスはそう言いつつ、ミオの言葉を反芻する。
『信仰を捨てちゃったが故に何か影響があるのか』。
そして、勇者エブルが言っていたことも、考える。
『信仰を捨てた者は、魔物と変わりないのではないか』。
……聖女が信仰を捨てる、ということについて、ナビスは未だに実感が及んでいない。ナビス自身の信仰は、ナビスの中にきちんとある。だからこそ、信仰が無くなった時のことが、分からない。
だが。
「いや、なんかさー、天罰、とか?そういうの、あるのかなー、って思っちゃって」
ミオの言葉に、ナビスは何か、気づきそうな、そんな気がするのだ。
「えーと、ナビス。この世界の神様って、人に罰を与えたり、する?」
「……いいえ」
この世界の仕組み。この世界の、『神』の仕組み。
そんなものに徐々に近づいているような気がして、ナビスはじわじわと、恐怖にも似たものを感じる。
「神は、ただ、ここに」
ナビスは自らの胸を示す。かつて、ナビスの母がそう教えてくれたように。
神は在られる。自らの内に。自らの、信仰として。
「なので、罰を与えるとしたらそれは……神ではなく、自ら、ということになるのでしょう。信仰は自らのものであって、それを裏切ることを許さないのは、きっと、神であって、同時に自分自身で……だから……」
「つまり……『天罰』があるのだとしたら、それは、『自殺』ということになるのでは、ないでしょうか」
そんな結論に、至ってしまうのだ。
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