聖女と勇者と*1
準備もそこそこに、澪とナビスは王都を発つことになった。向かう先は港町リーヴァ。王都から最も近い港町である。
目指すはドラゴン討伐。とはいえ、既にドラゴンを何匹も倒してきた澪とナビスであるので、然程緊張は無い。
澪は、何があってもナビスが治してくれると信じているし、ナビスから託される神の力の大きさを信じている。そしてナビスもきっと、澪が何とかすることを信じてくれている。だから、ドラゴン討伐は怖くない。只々、楽しみなばかりだ。
だが……。
「成程、こういうことかー」
「国王陛下からの命で、『戦える者を集めた』のですものね……」
ひそひそ、と、2人が囁き交わすのは、すぐ隣に見知らぬ聖女が居るからである。大方、聖女シミアか聖女キャニスか、どちらかの派閥についている聖女なのだろう。こちらを時々見てくる目が、なんとも敵意に溢れている。
……そう。今回のドラゴン討伐。当然ながら、戦える者をごっそり連れていくものなので……王都の聖女達、すなわち、澪とナビスに間違いなく反感を持っているであろう者達も、一緒に戦うことになるのである。
「無いとは思うけど、故意に足引っ張られないように気を付けないとね」
「ええ。……絶対に、ミオ様は傷つけさせません」
「えへへ。私も、ナビスのこと守るよー」
心配はあるが、心配しても仕方がない。だが、警戒はしておく必要がある。
……澪とナビスは、ひとまず同じ馬車に乗り合わせることになってしまった聖女に、『お菓子食べる?』『お茶はいかがですか?』と親切に振る舞って、『想定と違う……』というような顔をされつつ、ひとまず和やかに港町リーヴァへと向かうのだった。
港町リーヴァへは、その日の内に到着した。
傾きかけた太陽の光に照らされて長い影があちこちに落ちる時刻なのだが、その影は揺れ、あるいは掻き消されている。……太陽の光の外に、炎の光がいくつもあるからだ。
「うわ、これは……」
……澪とナビスは、今までドラゴンと戦ってはきたが、それはほとんど全て、坑道の中でのこと。つまり、町の中にドラゴンが出た時にどのような被害が出るのかは、今、初めて知った。
町が、燃えている。
人々は火の手が上がる家屋を前に茫然としていたり、怪我を抱えたまま身を寄せ合ったりしている。
町にドラゴンの姿は無い。一度ここに来て町を荒らしていった後、去っていったのだろうか。
「ドラゴンは……居ない、みたいだね」
「ええ……ならば、すぐに負傷者の救護を!」
ひとまずドラゴンの姿が無い、と見たナビスが、凛として声を張り上げる。それを聞いた聖女達が数名、動き始める。
……だが。
「あらー?ドラゴンは居ないの?何のために来たのか分からないじゃない」
のんびりとやってきてため息を吐き、それきり動かない者も居る。……聖女キャニスである。
「何をしているのですか!負傷者の救護を!急いで!」
「そんな雑用は診療室の下働きがやればいいじゃない?」
その上、聖女キャニスはそのようなことを言って、ふん、と鼻を鳴らす。到底、真っ当に働く意思は見えない。
「あっ、舐めた口利いた!反省の色が無い!よーし、ならやっちゃっていいね!……って、あれ?」
これはキレていいやつ!と澪が拳を握り締めたところで……ふと、澪は気づいてしまった。
「そっちの勇者さん、どしたの?人、変えた?」
聖女キャニスの横に立っている勇者が、違う。澪が決闘で負かした人ではない。流石に澪も、自分がけちょんけちょんにしてやった奴の顔くらいは覚えているのだが……。
「当然でしょう?下働き如きに負けるような屑を勇者にしておくなんて、私の名誉に傷が付くわ」
「いや、もうあなたの名誉、既に大分無いと思うけど……」
……どうやら、例の勇者はクビになったらしい。澪は、ちょっとかわいそうだなあ、とも、ナビスだったら私が負けたってクビにはしないだろうにな、とも思う。今度、例の勇者君に会ったらお菓子か何か、差し入れしてあげよう、とも。
「……ま、いいや。つまりあなたは人を助ける気は無い、ってことね?」
「私の仕事ではない、と言っているの。私はドラゴンを倒すように王から仰せつかっているのよ?」
何はともあれとりあえず、今、目の前に居るのは味方になり得ない相手である。『共通の敵と救護の対象があれば味方になってくれるかとも思ったんだけどなあ』と澪はちょっと残念に思いつつ、現実の厳しさと相手の愚かさにため息を吐く。
「ま、いいや。じゃあ、働く気がある人だけ来てもらうとして……」
……と、その時だった。
すぱん、と好い音がした。
何の音かと思えば、ナビスが聖女キャニスの横っ面を引っ叩いた音である。
……そう!ナビスが!他人の横っ面を!引っ叩いたのである!
澪はぽかんとしていた。聖女キャニスも唖然としていた。そして、周囲の聖女達も勇者達も兵士達も、皆、ぽかんとしていた。
あの、聖女の中の聖女、慈悲と慈愛の権化のようなナビスが、他人を引っ叩くことがあるとは。
「聖女の職務を馬鹿にするのも大概にしてください。あなたは、聖女です。人々を救い、導くことがあなたの目的であるはずです」
普段の穏やかな表情はどこへやら、只々凛々しく厳しい表情のナビスは、その瞳に怒りをめらめらと宿して、聖女キャニスを睨んでいる。
「傷ついた人々を前にしても尚、名誉だけを追い求め、無為に争うことをお望みだというのなら……あなたは聖女ではない!」
聖女キャニスは只々、茫然としていた。ナビスの言葉が聞こえているのかいないのか。ただ、引っ叩かれたショックに思考が止まっているのかもしれないが……ナビスはそれ以上、聖女キャニスに頓着しなかった。
ただ最後に、心底の失望と軽蔑の視線を投げかけてから、すぐナビスは町へ向かう。
「参りましょう!私達に助けられる人が居るはずです!」
……ナビスがそう声を張り上げて町へ走っていくと、周りの聖女達は、ちら、ちら、と聖女キャニスを見て……それから、ナビスの後を追いかけ始めた。
それは、聖女シミア側の聖女達だけでなく、聖女キャニス側の聖女達でさえも。
それからのナビスは、凄まじい働きぶりを見せてくれた。
町の人々に笑いかけ、安心させ、『では治療を』と言うや否や、すぐさま金色の光を纏い纏わせて、怪我をみるみる治していく。
神の所業にも見えるその治療は、港町リーヴァの人々を大いに勇気づけた。『この聖女様がいらっしゃれば安心だ』と思わせるほどの力を、ナビスは人々に見せていた。
……中には、死にかけている人も居た。このまま後は死を待つだけであろう、というような大火傷を負った人が寝かされているのを見た時には、周囲の聖女達はか細い悲鳴を上げて、『これはもうダメだ』というような顔をしていた。……だが、ナビスは諦めることなく、ただ前に進み出て、祈った。
ナビスの祈りは光となって、その場はまるで、秋の夕暮れの陽だまりのような、温かな光に満たされていく。そして……重症であったその人の焼け爛れた肌は溶け落ちるように消えていき、その下から、滑らかで健康な肌が現れ……そして、死を待つばかりだった人が目を開き、起き上がったのである。
これに人々はどよめいた。
聖女ナビスが起こした奇跡を目の当たりにして、その喜びと感謝に涙を流した。救われたその人も、周りで見ていた人々も、皆、ナビスを讃え、祈る。
……そのままナビスが黙って微笑んでいたなら、まるで、女神像か何かのように見えただろう。実際、ナビスのことを神そのものと勘違いしそうな勢いの人も、居た。
だが、澪としては、ナビスを神様にしてしまう訳にはいかない。何故なら、ナビスがそれを望んでいないからだ。そして、今後のナビスのことを考えても、やはり『神聖で完璧なもの』であるのは望ましくない。
「おつかれーっ、ナビスっ!」
「きゃわっ!?」
澪はナビスに飛びつきに行き、ナビスが素っ頓狂な悲鳴を上げるのも楽しみつつ、きゅうきゅう、と抱きしめる。
「すごいよナビス!ありがとう!皆助かったよ!」
「へ?あ、あの、ミオ様」
澪に抱き着かれてわたわたするナビスは、神様には見えない。ただ、人を救う力と心を持った……最高に可愛い女の子、なのである!
「1分だけ休憩!そしたら次の救護に向かおう!」
そして澪がそう提案すれば、ナビスはきょとん、とした後……ぱっ、と、春の陽だまりのような笑みを浮かべて、きゅう、と澪にくっついてきた。
「はい!では、1分ほど、どうかこのままで!」
「よーし!このままで!」
きゅうきゅう、とくっつき合う澪とナビスを見て、周囲の人々は、ぽかん、としていた。
……だが人々はやがて、『ああ、すばらしい聖女様だなあ』『可愛らしい聖女様だなあ』『ありがたや、ありがたや』と拝み始める。
そう。ナビスに向けられるものは、こういうのでいいのだ。ただ神聖で完璧なものとして崇められるより、ちょっと親しみを持ってもらいつつ愛される立場であった方が、いい。
『美しさ』や『神聖さ』には、傷が付く。失敗すればそれが傷として、残念がられる。硬い宝石に傷が付いた時のように、価値を貶められてしまう。
だが……『可愛さ』は、それらの傷に対して、最強なのである。
そう。可愛ければ、失敗しても『かわいいなあ』で終わる。それは『傷』ではなく、『味』や『意外な側面』で終わる。『可愛さ』は、柔軟なのだ。柔らかいということは傷つきにくく、壊れにくいということ。つまり、最強なのである!
……今後、ナビスが傷つけられないように。だから今の内から、ナビスを柔らかくしておく。そういうイメージを、民衆に持ってもらう。これが、澪の戦略の1つなのである。
さて。
宣言通りの『1分』を少々超過してくっつきあっていた澪とナビスは、離れてすぐ、また怪我人を探して動き回り始めた。
その頃には他の聖女達も、『聖女ナビスに続かなければ!』と、懸命に働いてくれていた。……その中に聖女キャニスの姿は無かったが、まあ、それはもういい。むしろいない方がいい。澪としてはそういう気分である。
また、聖女シミアであるらしい聖女も治療に参加していたが、そちらは取り巻きの聖女達に『流石は聖女シミア様!』『シミア様のお力はこの国随一ですわ!』と誉めそやされながらの活動であったので、あまり手早くなかった。……まあ、澪もナビスも、そちらは気にせず働くことにした。
澪とナビスがひたすらリーヴァの町を走り回った結果、怪我人は遂に、全員治療を受けることができた。
ナビスに治療された者達は特に元気である。彼らはさっきまで怪我人だったとは思えないことに、自らが働いてがれきの撤去や船への連絡などを行ってくれた。
「はー、お疲れ、ナビス。はい、これ。町の人から差し入れ」
そうしてようやく一息つけるようになった澪は、ナビスにジュースのカップを差し出す。リーヴァの町の人達が『積み荷にあったものなんですが、樽が壊れちまって、中身をすぐ飲まなきゃいけなくなっちまいました!ということでこれどうぞ!』と差し入れてくれたものである。オレンジっぽい味が爽やかで、中々いい。
「ありがとうございます。ミオ様も、お疲れ様でした」
「うんうん。私達、よく働いたねえ」
「ええ、本当に……」
2人は並んで座って、ジュースを飲んで、ほふ、と息を吐く。春の麗らかな日差しは、この町につい数刻前、ドラゴンが襲来してきたことなどまるで感じさせない穏やかさである。
ざざん、ざざん、と寄せては返す波も、どこかポルタナのそれを思わせてくれるもので、落ち着く。澪もナビスも、しばらく海を眺めて、のんびりとしていたのだが……。
「……そして、ここからがいよいよ本番、ですよね」
「だよねー。ていうか、そうじゃなきゃ困るよ。私、もうすっかりドラゴン肉食べたい気分になってんのに」
無論、これで終わりではない。
リーヴァはドラゴンに襲われた。そして襲われた以上、ドラゴンを排除しなければ、真の平和は訪れない。
……ついでに、焼き肉パーティーも訪れない。それは困る。澪はドラゴン肉を食べたいのだ。食べたい気分になってしまっているのだ。最早後戻りはできないのだ!
「となると、次にまたドラゴンがここに来るのを待つか……」
「或いは、ドラゴンの根城を探して、討伐に向かうか。そういうことになりますね」
恐らくは、ナビスの言う方……ドラゴン討伐に赴く、という方になるだろう。町にドラゴンが来るのを待っているということはつまり、被害の拡大をただ待つだけ、ということになる。
ならば、町の外でドラゴンを仕留めてしまった方がいい。リーヴァがこれ以上の打撃を受けるようなことは、避けたい。
そうなると、どこに目星をつけてドラゴンを探しに行くべきだろうか。リーヴァの人々に尋ねたら、ドラゴンがどちらへ飛び去ったかなど、情報が得られるだろうか。
……そんなことを考えながら、澪がジュースを飲み干した、その時だった。
「聖女ナビス!勇者ミオ!大変です!」
ぱたぱたぱた、と走ってくるのは、聖女キャニスにも聖女シミアにもくっつかず、頑張って治療に励んでくれていた聖女の1人である。
あれ、どうしたんだろう、と澪とナビスが待っていると……。
「聖女キャニス様が……聖女キャニス様が!ドラゴン討伐の為、町の外へとお出になりました!」
……そんなことを、教えてくれたのであった。




