鉱山奪還作戦*2
海辺の洞窟の中は、今日も清廉な気配に満ちていた。澪は『やっぱここ、すごく綺麗』と感嘆しながら、白い石の祭壇の近くへ歩み寄る。
薄く海水が満たされた洞窟の中を濡れずに進むには、ところどころに飛び出した石の上を選んで歩いていくことになる。一方のナビスは、最初から濡れることを前提にしているらしく、さぷさぷ、と足首くらいまでの海水に浸かりながら祭壇へ向かった。
「それで、何するの?」
何か祭壇の上に準備を始めたナビスを見てワクワクしながら澪が問えば、ナビスは微笑んで答えてくれた。
「その聖銀のラッパに、祈りを捧げようかと」
「祈り……?」
つまり、聖銀のラッパに信仰心を与える、ということだろうか。よく分からないながら澪がラッパを眺めて首を傾げていると、ナビスは祭壇の上で干したハーブに火を着けたり、酒のようなものをそっと撒いたりしながら答えてくれる。
「はい。より強くあれ、我らを守れ、と。要は、武具に対しての祈りです。聖銀の武具にはよく効きますので」
「……武具?ラッパが?」
いや、ラッパは武具じゃないでしょ、と澪が戸惑う中、ナビスはうきうきと楽し気である。
「聖銀の武具は、魔を祓うためのもの。その力を増せば、魔除けの力が高まることになります。私の剣やシベッドのナイフにも、同様の祈りを込めてありますが……ミオ様がラッパを演奏された時、魔除けの力が強く働きました。つまり、広く解釈するならば、そのラッパは魔除けの道具であり、魔を祓う武具なのです」
「おおーう……言われてみれば確かにそうなのかも」
澪はなんとなく、半分くらい納得してしまう。このラッパは魔除けに特化した、武具。ラッパがもたらす効果だけ考えるなら、確かにその通りである。
……一方で、『武具?ラッパが武具?』と混乱する澪もまた、いるのだが。
「まあ、やるだけやっておこうかと思うのです。私が祈るだけでしたら、然程信仰心を消費するわけでもありませんので……」
「あ、そうなんだ」
「はい。聖銀に祈りを込めたり聖水を作ったりするのは、聖女の基本的な技能ですから」
まあ、デメリットが特に無いなら、やってもらった方がいいだろう。
澪はナビスがラッパに祈るのを眺めつつ、『やっぱりナビスはきれいだなあ』と思う。水面に反射する陽光に下から照らされて、祈るナビスは何とも神秘的に見えた。
……そうして澪が『ナビス綺麗、ナビスかわいい……』と思っていたところ、ナビスが金色に光り始めたので、多少、信仰心を捧げる役には立ってしまったようである。
「終わりました。どうぞ」
やがて、祈りを込められたラッパを返された澪は、『おお』と驚く。
持った瞬間、何か、感覚が違ったのだ。上手く説明できないが、ラッパが、ひやり、と心地よく冷えているように感じられた。
ほわ、と仄かに光を纏うラッパは、あの時聖水を振りかけたのと同様かそれ以上の効果を持っているように見える。ここに聖水を掛けると、更に強い魔除けの効果が生まれるのだろう。
「わーお……明日の突入時には、私、これ吹きながら鉱山に入るよ」
「ありがとうございます、ミオ様。ラッパの音であるならば坑道内の全てに行き渡り、魔の力を弱めてくれることでしょう。その点、香の煙では流石に坑道内全てには届きませんから」
「そっかー、そう考えると、音ってすごいなあ」
煙も光も届かない場所でも、音ならば、届く。空気を伝わって響き、岩盤を伝わって響いて、遠く深くまで届いてくれるのだ。
澪は手の中のラッパに『よろしくね』と笑いかけて、ついでに練習がてら、数音分、吹かせてもらう。
B♭メジャーの分散和音をぱらららー、と奏でてみれば、祭壇の周辺に光がほわほわと染み出してきて、何とも眩しい。ぽやん、ぽやん、と光が浮かんでいく様に、澪はしばし見とれた。
「すごい……」
そして同時に、ナビスもまた、見とれていた。
「ミオ様……すごいです。こんなに強く、魔除けの効果が出るなんて!」
「あ、強いんだ、これ」
澪には今一つ分からないが、どうやら今、澪のラッパの音で何かが変わったらしい。『まあ光ってるけどさ』とのんびり思いつつ、澪はぼんやりと光を眺める。
不思議で美しい光景は、どうやら効果のある有難いものであるらしいが……『ひとまず綺麗だしナビス喜んでるし、ま、いっか』程度に澪は受け止めるのだった。
その後、ナビスは聖水を作るために祈りを捧げ、澪は聖水の瓶詰作業を手伝った。
これも澪の武器の1つである。しっかり準備しておきたい。聖水不足で打てる手が減るようなことは御免である。
ほわりと光を帯びた不思議な水を、陶器の瓶に詰めては封をして、詰めては封をして……ちまちまとした作業であったが、ナビスと話しながら進めていけば案外楽しい。
「そういえば、滑車ってもう、直ってたりするかなあ。ほら、鉱山の入り口と村を繋いでくれるやつ」
「ええ。それでしたら今頃、村の皆が修理してくれているはずです。明日には使えるようになっているかと」
どうやら、鉱山地上部を解放したおかげで、例の滑車とやらを復活させてもらえるらしい。ロープウェーのようなものだろうが、ひとまず、鉱山での戦いの前に体力を消耗することは避けられそうである。
「よーし……ちゃちゃっと鉱山の地下1階を解放して、人を呼んで、村興し……頑張ろうね」
「はい。不思議と、できる気がしています。本当にすぐ終わってしまうかも」
聖水の瓶詰作業を終えた澪とナビスは、笑い合いながら祭壇を後にする。
いよいよ明日は、鉱山を取り戻す日だ。
そうして、翌日。澪とナビスは、テスタ老の元を訪れていた。
「ミオ様。どうですかな、ドラゴン牙のナイフは」
「めっちゃ軽くてびびってる」
出来上がったドラゴン牙のナイフは、艶のある象牙色をしており、それでいて、金属のようにはっきりとした光沢がある。そして、金属にはありえないほど、軽い。
「結構大きいけど、全然重くない。うわ、逆に不安になるなあ、これ」
ナイフは澪の肘から手首くらいまでの長さである。だというのに随分と軽くて、まるで玩具でも握っているかのような感覚だ。
だが、その刃はしっかりと鋭い。試しに、大きな魚を切らせてもらったのだが、すっ、と肉を切り裂くことができた。それでいて、テスタ老曰く、『切れ味が落ちにくいのがドラゴン牙の特徴ですので』とのことである。これは大いに活躍してくれそうだ。
「もう、行かれるのですかな」
「はい。今日は満月でもありませんので、昼間の内に攻略してしまった方がよいだろう、と」
ナビスの言う通り、澪とナビスはこれからすぐ、鉱山へ向かう。
村興しは早い方がいい。村の皆にも、『村が変わった』ことをしっかり実感してもらいたいのだから、変化は一気に起こすに限る。
「お二人とも、お気をつけて!」
「ありがとー!」
「行って参ります!」
澪とナビスはそれぞれの装備を手に、颯爽と山の方へ向かうのだった。
……そうして、いよいよ山の上へ向かう、となった澪とナビスは、『滑車を直した地点』なる場所まで向かう。
「おおー!ナビス様!ミオさんも!見てください、滑車を付けなおして、弱ってたロープも張り替えて、無事、使えるようになりましたよ!」
村人達が笑顔で見せてくれたそれは、原始的なエレベーター、あるいはクレーン、といったようなものだった。
滑車と支柱と数本のロープで作られたそれは、どうやら馬力で動かすものらしい。馬が2頭と、その馬が回す巻き上げ機に繋がっており、村人達が『馬の準備はいいぞ!』と笑顔で応えてくれた。
澪とナビスはロープに吊り下げられた籠の中に乗り込む。ナビスは慣れた様子だが、澪は内心、どきどきである。
「頑張ってくださいね!でもどうか、無理はなさらず!」
「魔物をとっちめてやってください!」
「ナビス様、かわいーい!」
そうして村人達の声援と共に、籠がゆっくりと動き出す。籠はふわり、と上昇していき、見送ってくれる村人や馬達が次第に小さくなっていく。
「ありがとう!行って参ります!」
「頑張ってくるねー!」
ナビスと澪が手を振れば、村人達は『ナビス様はさいこーう!』と声を揃えてくれた。ナビスは『まあ』と照れつつ、金色にぽやぽや光る。その様子がまた何とも可愛らしいものだから、澪はぎゅっとナビスに抱き着きつつ、しばらく、上っていく景色と恥じらうナビスとを楽しむことにしたのだった。
そうして山の上まで籠が到着する。澪とナビスは籠から出て、鉱山の地上部をそっと、見回した。
前回訪れた時には魔物だらけだったここだが、今は何もいない。
「静かだね。魔物、居ないみたい」
「前回施していった魔除けが効いているようですね。勿論、このまま放っておけば、また鉱山から地上部にまで魔物があふれ出てくるのでしょうが……」
どうやら、前回の澪とナビスの働きは確かに効果をもたらしているらしい。目に見える成果があるのはとてもいい。澪は前回の自分達の功績に勇気づけられつつ、早速、ラッパの準備を始める。ナビスはナビスで、香や聖水を準備し始めた。
「ナビスの方はどう?」
「こちらは完了しました」
やがて、ナビスが施し終えた魔除けは、坑道入り口を塞ぐように効果を発揮している。要は、鉱山地下1階の魔物をここから逃がさないためのものなのだ。
「今回はお肉、居るかなー」
「居るといいですねえ」
この先、魔物は一匹たりとも逃がさない。全部狩って、お金や装備、食料に替えるのだ。
澪は意気込むと……魔物らしいものの叫び声や笑い声のようなものが聞こえてくる坑道の中に向けて、聖銀のラッパを高らかに鳴り響かせたのであった。
「中からめっちゃ悲鳴が聞こえるんだけど。こわ……」
「ミオ様の魔除けの効果が出ているようですね……」
澪が気の済むまでラッパを吹き鳴らした後、坑道の奥からは魔物のくぐもった悲鳴が聞こえてくるばかりとなった。
「……今回、本当に早く終わってしまうかもしれません」
「わー……うん、そうだといいねえ……」
2人は顔を見合わせて、坑道の中へと踏み入った。
坑道の中は、本来ならば暗いのだろう。だが、今は澪のラッパによって生じた光がほわほわと漂っているので、ぼんやりと明るい。おかげで進んでいくのに不自由は無かった。
また、壁面にはところどころ、鉄らしい煌めきや水晶の輝きが混じっている。それらを眺めながら行くのもまた、楽しい。
……そう。楽しむ余裕があるのである。
「あ、また居るね。わー……想像以上だったんだけど……うわ、すごいね、これ」
澪達は坑道を進んですぐ、魔物に出くわしたのだが……聖水を浴びせた時と同じような状態になっているのだろう。今も、緑色の肌をした小鬼のような魔物は、痙攣するばかりで襲い掛かってくる様子が全く無い。
「これは……ラッパが強かった、ってこと?」
「そのようですね。うーん、これは本当にすごい……」
2人は顔を見合わせつつ、着々と魔物にとどめを刺していく。まるで戦いというかんじがない。ただの作業である。ラッパを鳴らすだけでこうなのだから、お手軽といえばお手軽である。
『つくづくすごいもの拾っちゃったなあ』と澪は聖銀のラッパを見下ろした。直接的な武力としては使えない代物だが、こうして敵を全体的に弱体化させるのには非常に役立つ。
「想像以上でした。きっと効果は大きいだろうと思ってはいましたが、まさか、ここまでとは」
ナビスは、ほう、とため息を吐きつつ、また1匹仕留め終えた魔物から牙を抜き取りにかかる。澪も同じように牙を採って、鞄の中にぽいと投げ入れた。
「でもこいつら、弱い奴なんじゃないの?そうでもないの?」
「これらはゴブリンという魔物ですが、強さはコボルドと同程度かと。ゴブリンがこのように倒れているのですから、やはり、ミオ様の魔除けの力は相当なものなのです」
澪は『まじかあ』と思いつつ、また一本、ゴブリンの牙を鞄に入れる。
「ところでゴブリンって美味しい?」
「毒ではないはずなのですが、それでも食べられないほどに不味いですね」
「ええー、そんなに不味いの……?」
「ほんの一口ゴブリン肉を口にしたシベッドが胃の中のものを全て吐き出す程度には」
ナビスの言葉に少々テンションを下げつつ、『でも牙とかがお金になるならまあいいか』と気を取り直して、澪はまた1本、ゴブリンの牙を抜き取るのだった。
澪とナビスがやったことといえば、概ね、倒れて気絶しているゴブリンにとどめを刺し、牙を抜き取って鞄に入れる、というものであった。本当にこれでいいのか疑問が残るが、実際こうなってしまっているのだからしょうがない。
「これ、また親玉が居るのかなあ」
「そうですね……ゴブリンがこれだけ居るのですから、恐らくは、このゴブリン達を統率する存在が居るのではないかと」
澪もナビスも、坑道の奥へ奥へと進んでいくにつれ、少しずつ緊張感を取り戻していく。というのも、奥の方から生き物の動く気配がしているからだ。
つまり……ラッパの音だけでは退けられないような魔物が、この奥に居る、ということである。
「親玉は美味しいといいねえ……」
「うーん……あまり、期待できないかもしれません」
緊張を解す為に澪が発した言葉に、ナビスは少々困ったような顔をする。
おや、と澪は思ったのだが……その理由は、5分もしない内に分かった。
2人が進んでいった先で、ふと、視界が開ける。
そう広くない坑道の先には、大きくぽっかりと広い空間があったのである。
「ここは……?」
「鉱山地下1階の最深部です。この先に、地下2階の入り口があります」
見れば、広い空間の壁面には、きらきらと水晶らしいものがたくさん見えていた。中には、澪の頭ほどもある結晶もごろごろと見える。水晶というと然程高値は付かないのかもしれないが、それはそれとして、やはり大きな結晶は美しい。
だが、水晶にばかり見とれている訳にはいかない。
「居ました!ゴブリンロードです!」
ナビスが剣を構える中、視線の先……そこには、先ほどまで容易く屠ってきたゴブリンを、澪の身長の二倍ほどまで大きくしたような魔物がいたのである。
「ロード!?つまり、ゴブリンの道!?美味しいの!?」
「ゴブリン以上に不味いらしいです!」
「そんなあー!」
澪もナイフと聖水を構えながら、『不味いものより不味いってヤバいじゃん!』と内心で騒ぐ。同時に、美味しい物は今回は食べられなさそうだという事実に、少しばかり、テンションが下がる。
……だが。
「ですがミオ様。ゴブリンは、宝石や珍しい鉱物を貯め込むことで知られています」
ゴブリンロード、というらしい大きなゴブリンの背後には、きらきらと輝くものが見えていた。
それも、水晶の透明だけではなく……どうも、様々な色合いのきらめきがあるように見える。
「やったーッ!お宝ーッ!」
澪はすっかり元気になりつつ、早速聖水を投擲した。




