大きな神霊樹の下で*6
「だよねえ……メルカッタの人達って、あんまり信仰心、無いんだもんね……」
「特に、魔物の活性化で私達が近隣のダンジョンを制覇してしまいましたから、私達のせいで仕事を失った方々もいらっしゃいますし……」
澪とナビスは、揃ってため息を吐く。
……メルカッタは、聖女が居ない町だ。聖女信仰が根付いていない町、とも言える。そして、戦士が多く滞在しており、彼らの中には、聖女に頼らずとも魔物と戦える、と自負している者も少なくない。
そんな町に、聖女が神霊樹を植えに行ったら、顰蹙を買うような気がする。特に、魔物の活性化の際、澪とナビスがダンジョンを攻略してしまったことについてよく思わない戦士が実際に何人も居たのを知っている以上、楽観的にはなれない。
「一応、ナビスのファンもいっぱいいるわけだけどね」
「うーん……それでも、不安は残ります。嫌な思いをする人は、間違いなく居るでしょうから」
月と太陽の祭典を開いたのも、そうした『戦士崩れ』が沢山いたからだった。月と太陽の祭典に来た者は、多少、その傾向は改善されただろうが……当然、全ての人が澪とナビスを歓迎してくれるわけではない。
「でも、嫌な思いをする人が居るから、っていう理由で、町の安全を諦めるってのもね」
「ええ……やはり、ギルドに相談するだけでもしてみましょうか」
結局、2人ともメルカッタを見放すことなどできないのだ。澪とナビスは、明日、メルカッタへ行ってみることを決めた。
その日の午後は、龍の解体作業に費やすことになった。
鉱夫達やスケルトン達も手伝ってくれたおかげで、案外さくさくと作業が進んだのが救いである。
龍は大まかにはドラゴンと同じものらしく、採れる素材も概ね同様である。
皮を剥ぎ、牙をとり、落ちた鱗は拾い集めていく。ドラゴンは鱗の一枚であっても有用な素材だ。薬にもなるし、装飾品や細工物、はたまた防具の類にも使われることがある。
そして、肉も重要な資源だ。特に、冬を迎えたポルタナでは、寒い海に出ずとも手に入る新鮮な食糧はとても重要なものである。
尚、龍の肉の味は、ナビス曰く『これは……普通のドラゴンと比べると淡泊ですね』ということであった。澪は、『鶏むね肉……?』という感想を抱いた。龍は大体、旨味の濃い鶏むね肉、といった具合なのである……。
そうして龍の骨や鱗や牙といったものは、細工物にしてもらうべくテスタ老に預け、一部はブラウニー達へお土産に持って行くことにした。
龍の皮は丸ごと、ブラウニー達へ持って行く。現状、ポルタナには革細工をやる者がほとんど居ない。なら、ブラウニー達に任せてしまって、ブラウニー達が作りたいものを作った後のおこぼれに与る方がよいだろう。
また、龍の肉を干したり、調理して食べたり、といった作業もあったが、その日食べる分以外はポルタナおばちゃんズに任せてしまうことにした。何から何まで澪とナビスがやっていると、手が足りない。皆の食糧にするものだから、皆に任せてしまってもよいだろう。
……と、そうして、龍の素材の振り分けや何やら、やっていると。
「あっ、シベッド。手伝いに来てくれたのですか?」
ナビスの声が聞こえて澪がそちらを見れば、漁から戻ってきたらしいシベッドが、ナビスに捕まっていた。
「いや……魚、届けに来た」
「えっ?まあ!大きなお魚!」
シベッドは、ぼそぼそ、と喋ると、大きな魚が入った籠を教会の入り口にそっと置いた。澪は、『シベちん健気だなあ』と思った。
「手伝うこと、あるか」
「ありがとう、シベッド。でも、解体作業は一通り終わりましたから。大丈夫ですよ」
ナビスが笑って答えると、シベッドは気まずげにもにょもにょ何か言って、がし、と癖の強い髪を掻いて、それから視線を彷徨わせ……彷徨わせた先で、澪を見つけたらしい。
シベッドとばっちり目が合ったところで、澪は『よっ』と片手を挙げて挨拶してみる。するとシベッドは、何やらぎょっとしたような顔をして、さっ、と澪から目を逸らしてしまった。
どしたんかな、と澪が不思議に思っていると、シベッドはまた視線を彷徨わせ……かと思えば、大柄な体でずかずかと、澪の方へやってきた。
「……その」
やってきた割に、澪の前に立ったシベッドからは中々言葉が出てこない。澪は『シベちん、相変わらず口下手……』と呆れ半分ほっこり半分で見守った。
「元気、か?」
……そうしてようやく出てきた言葉がそれなので、澪としては、最早力が抜けるような心地である。
「えーと、まあ、元気、だよ……?」
「……そうか」
澪が答えると、シベッドは特に意味も無い返事をして、それから、じっ、と澪を見た。澪が首を傾げていると、シベッドは、ふい、と踵を返してしまう。そしてナビスに簡単に挨拶をして、そのまま帰っていってしまった。
「……今の何!?」
「さ、さあ……うーん、ミオ様に挨拶していこう、と思った、のでしょうか……?」
澪は困惑の勢いのままナビスに聞いてみるも、ナビスも首を傾げている。
……シベッドが、澪に挨拶していこうとするのも珍しい気がする。なんとなく、澪はシベッドから嫌われているような気がしていたのだ。シベッドからしてみたら、ナビスを奪われたような気分なんじゃないかと、そう、澪は思っていたのだ。そして実際、シベッドの中にはそうした気持ちも、無いわけではないだろう。
だが、それが、『元気か?』ときた。
意味が分からない。澪は『やっぱりシベちん相変わらず口下手ァ!』と嘆きながら、ふと、考える。
……シベッドは、『元気か』と聞いてきた。つまり、ものすごく単純に考えるならば、『澪が元気か元気じゃないかが気になった』ということになるだろう。
そして……澪が、前回、シベッドに会ったのは……。
「あっ!分かった!シベちん!シベちん!ちょい待ち!」
澪は慌てて、教会の前の坂を下りていくシベッドの後を追いかけて走る。すると、澪の大声は流石にシベッドにも届いたらしく、シベッドが何とも気まずそうに立ち止まり、振り返った。
澪は走ってシベッドまで追いつくと、数秒、呼吸を整えて……それから、にっ、と笑顔で教えてやることにした。
「元気だよ。私、元気になった!」
……澪が最後にシベッドに会ったのは、月と太陽の祭典の時だった。そして、あの時、澪は『元気じゃない』状態だったのだ。
ついでに、澪の辛かった時の話などをした後だったのだが、あの話をシベッドが聞いていたなら、あの『元気か』も納得がいく。
要は、シベッドは、あの時元気じゃなかった澪のことが心配だった、ということなのだろう。
「だから大丈夫!ありがとね、シベちん!」
……すると、シベッドはもごもごと、おう、だとかなんとか言って、ふい、と視線を逸らす。面と向かってこうしたやり取りをするとどうも照れるのか、髪から覗く耳の端が赤い。
「……あんま、頑張りすぎんなよ」
だが、そんなシベッドもそんなことまで言うのである。これには澪も驚かされる。こちらを心配して声を掛けてくるのみならず、恥ずかしがりながらも『頑張りすぎるな』とまでくるとは!
澪としても、今まで澪を心配する素振りなど見せてこなかったシベッドにこうも心配されているとなると、少々照れくさい。ただでさえ、月と太陽の祭典の時のアレは、少々恥ずかしかったので。
「うん。大丈夫。ありがと」
ということで、澪が少々照れつつ返せば、シベッドは、ふ、と安心したように笑って、それからすぐ、そそくさと坂道を下っていってしまった。
つくづく、口下手というか、愛想が無いというか、そういう人である。シベちんはああいう人、ということは澪ももう大体分かっているので、『心配してくれたんだなあ。シベちんいい人だなあ』とにこにこするばかりであるが。
そんな澪の所に、ナビスが後ろからやってきて、澪の顔を覗き込んで、それからシベッドの後ろ姿を見送って、少しばかり、唇を尖らせる。
「……ミオ様ぁ」
「うん?」
澪がナビスの方を見ると、ナビスは、むう、と少しばかり寂しそうな顔をして、すぐ隣から澪を見上げる。
「少し妬いてしまいました」
更に、そんなことを言うものだから、澪は度肝を抜かれる。
「うん!?えっ、あっ、ごめん」
『まさか、ナビスってやっぱりシベちんのこと……!?』と澪が戸惑っていると。
「ミオ様はシベッドにはあげませんからね」
ナビスはそんな可愛いことを言って、澪の腰に、ぎゅ、と抱き着いてきたのだった。
……澪は、ナビスの柔らかい体温を感じながら、天を仰いだ。
「うちの聖女様が可愛すぎるよう……」
「うちの勇者様も負けていませんよ!」
澪はたまらず、ナビスを抱きしめた。なんとかわいい聖女様であろうか。これはもう、抱きしめるしかない。
ぎゅうぎゅう、とやりながら、やがて、澪とナビスはどちらからともなく笑い出すのだった。
……澪は、内心でシベッドに謝っておいた。
『ごめんシベちん。ナビスは私のです……』と。
……そうして翌日。
朝一番に出発した澪とナビスは、ドラゴンタイヤの馬車とポルタナ街道のおかげで、随分と早くメルカッタに到着した。道中でブラウニーの森に寄って龍の素材を置いてきて、それでも昼前にはメルカッタに到着していたのだから、やはり交通の便が大分良くなった。
「とりあえずギルド、ギルド、っと……」
澪はメルカッタの町を歩きながら、周囲の様子を見る。
……冬であることもあり、路上に屯する者は少ない。だが、それ以上に……希望を捨てたような者が、少ないように見えた。
代わりに多く見られるのは、忙しく働く人々の姿である。荷物を運んだり、買い物をしていたり、それらのついでに談笑していたり。それらがメルカッタの町を、以前より明るくしている。
「あれぇ……ちょっと雰囲気違うね」
「そうですね。以前より活気がある、というか……」
月と太陽の祭典の直前、メルカッタは随分と暗く沈んでいた。職を失った戦士崩れが飲んだくれていたり、路地裏から恨めし気にこちらを見ていたり。そうでなくとも、魔物の襲撃に怯える人々の姿があちこちで目についたものだ。
だが今は、そうでもない。……澪とナビスは首を傾げつつ、ひとまずギルドへと向かうのだった。
「こんにちはー!」
ギルドのドアを開け、元気に挨拶する。澪のいつもの入場である。
「おお!ミオちゃんに、ナビス様も!ようこそようこそ!さあ、外は寒かっただろ?入って入って!」
澪とナビスがギルドに入ってすぐ、職員や顔見知りの戦士達が奥へと招き入れてくれる。奥には暖炉があって、その前のソファが澪とナビスに明け渡された。ほこほこと暖かな室内に入って暖炉にあたっていると、かじかんだ指先がじわりと温められて、じん、と痺れる。
「今日はどうしたんだい?焦げ付いてる依頼を見に来たのかい?」
「いや、ちょっと相談があって来たんだけどね」
どう切り出そうかな、と澪が考えていると、ギルドのカウンターの奥からぱたぱたと足音が聞こえてくる。
「あー!ナビス様!ミオさん!ちょっとよろしいでしょうか!」
「あっ、所長さん。こんにちは」
ぱたぱたやってきたのは、メルカッタのギルドの所長さん、である。このギルドの取りまとめを行っている人なので、実質、このギルドで一番偉い人だ。本人はそんなかんじもない、ごく普通のおじさん、というかんじなのだが。ついでに、ナビスの熱心な信者でもあるのだが。
「実は、相談がございまして……」
「相談、ですか?」
澪とナビスは顔を見合わせる。相談、というなら、こちらから神霊樹について相談したいところだったのだが、先にギルド側の相談を聞くことに問題は無い。
ということで、澪とナビスは揃って所長の顔を見ていたのだが……。
「実は、神霊樹を植えたいんですが……いい伝手を、お持ちではないですか?」
……出てきた内容に、気が抜ける気持ちであった。
まさか、こちらがお願いするより先に、相手からお願いされてしまうとは!




