メメント・モリ*4
澪とナビスがじっと見つめると、聖女モルテは少々の緊張を露わにしながら、じっと睨むように見つめ返してきた。
そうしていると、聖女モルテの背後から、じわり、と滲むように影が伸び上がって人の形をとる。それらは、礼拝式で聖女モルテの手伝いをしていた少女達の姿になって、澪とナビスを取り囲んだ。
……魔物だろうか。少なくとも、人間では、ない。
澪とナビスはそう察しつつ、しかし、それでも聖女モルテだけを見つめて……そして。
「ここへ、何をしに来たの?言いなさい」
聖女モルテがそう、ぴりぴりと張り詰めた声を上げたところで。
「えーと、お話しに……いや、その前に、ご挨拶に……?」
「あの、こちら、粗品ですが……あ、でも、美味しいので、是非……」
……メルカッタで購入してきた菓子折りを、そっと、差し出した。
「え……?」
只々、聖女モルテはぽかんとしていた。
ひとまず、害意は無い。それだけ伝わればいいなあ、と澪は思っていたし、同時に、相手にも害意が無ければいいなあ、とも思っていた。そう思いつつも、こちらが害意を見せないのをいいことに一方的に攻撃してくる可能性も考えて、すぐに動けるようにはしておく。
……そしてどうやら、澪の祈りは通じたらしい。聖女モルテも、すぐさま澪とナビスを始末してしまおう、といったことはひとまず考えの外にやったと見えて、今は幾分、落ち着いた様子でいる。
聖女モルテを昼間に見るのは初めてだ。彼女といえば、あの礼拝式のような、暗がりの中に居るイメージが強いものだから、木漏れ日の下に立つ聖女モルテを見ていると、どうにも違和感が強い。
だが、違和感は違和感だとしても、昼間に見る聖女モルテもまた、美しかった。
さらりとした黒髪は濡れ羽色の光沢を帯びて美しく、木漏れ日に白く輝くような肌と長い睫毛が落とした陰とのコントラストで、紫水晶のような瞳はより色が濃く見える。
夜の礼拝式で見た神秘的な印象は少々減じているものの、どこか気だるく見える様子といい、静謐な雰囲気といい、彼女の美しさはまるで減じていない。
「私はポルタナの聖女ナビス。今日は、あなたに会いに来ました」
そして、隣に座るナビスもまた、美しい。
ナビスの美しさは、光の下で増す。光を集めて糸にしたような銀髪も、空か海かを思わせるような勿忘草色の瞳も、木漏れ日の下で輝いて、聖女モルテとはまた違った種類の美しさを見せていた。
「聖女?……ああ、私に改宗せよと?」
聖女モルテの目が、すっ、と細まる。美女が冷たい表情を浮かべると、途端に空気が凍るようである。
「いえ。単に、あなたが考えていることをより深く知りたくて」
「そもそも、他所の聖女様に改宗を迫るような無礼なことをする人、居るの……?釈迦に説法じゃん……?いや、キリストに説法……?」
だが、こちらは澪とナビスである。相手の雰囲気に気圧されて話を中断するわけにもいかない。ひとまず、喋る。相手が誰かはこの際考えず、とりあえず、喋るのだ。そして互いに喋る空気にしてしまいたい。
「私の考えを?それなら、礼拝式にお越しいただいた方がいいわ」
「参加してみたのですが、よく分からない点がいくつか」
ナビスが少々困ったような顔を向ければ、聖女モルテは『参加していたのか……』と、少々複雑そうな顔をした。どうやら、こちらの顔は覚えていなかったらしい。まあ、こちらは多少は変装もしていた上、そもそもあの薄暗がりだ。参加者全員の顔を覚えることなど不可能だろうと思われる。
「あなたの目的は、信仰心を集めることではなくて、礼拝式を開くこと自体、ですよね?」
……そして、早速ナビスがそう切り込めば、聖女モルテはじっとナビスを見つめた。
「ええ。そもそも、宗教とは、そういうものではないかしら」
「一体、いつから信仰は、目的ではなく手段になったのかしらね」
ふ、と吐き出された息は、なんとも気だるげで甘やかで、やはり聖女モルテには夜が似合うよなあ、と澪は思う。
「願いを叶えるために信徒を集めること自体、信じる神への裏切り。私は、そんな信仰の在り方など必要ないと思っています」
聖女モルテはそう言って、森の向こう……レギナの町がある方へ視線をやる。レギナは正に、『願いを叶えるため』に聖女達が活動している町だ。聖女達が集めた信仰で町近郊の魔物退治を行ったり、道の整備を行ったりしている。
言ってしまえば、信仰とは、それら大掛かりな仕事をこなすための手段であって、信仰そのものが目的だとは言い難くなっている。
「つまり、あなたの信仰は、人々の為ではなく、ただ、あなたの信じる神の為に?」
「ええ。そして、私自身の為に」
ナビスの問いに対して、聖女モルテは静かに頷いた。
「私は、信仰のために動き、信仰によって決め、信仰に救い、救われる。……他の何物も私達を救えない。同志であっても、救い、救われることはない」
「世界の終焉だけが、あなたを救う、と?」
「あるべきものはあるべき姿に。そう望むのはおかしなことかしら?」
聖女モルテの言うことは難解なようだが、まあ、ひとまず聖女モルテとしては、この世界はやはり滅んだ方がよい、ということなのだろう。多分。
……そして、彼女のやり方は、実に、効率的だ。
願いを叶えるために、必ずしも神の力を行使する必要は無い。ましてや、『世界の滅び』を叶えるほどの信仰心を集めるくらいなら、もっと簡単に世界を滅ぼす方法がある。
それは、多くの人を動かすこと。
人間は、脆い。たった1人が『世界よ滅べ』と爆弾を持って突っ込んでいけば、数百人に危害を加えることもできる。……ならば、十人、百人が同じように、『世界よ滅べ』と動いたら。それが千人になり、万人になったら。
多くの人々が同じ方向を向いた時、その方向へ世界が動く。
つまり、より多くの信者を獲得し、彼らに自分の教義を強く教え込めば……皆が『そちら』を向くように、仕向ければ……。
……神の力など使わずとも、人の力だけで、世界は十分に滅ぶだろう。
「えーと、あなたにとって、死は救い?」
ひとまず、澪も聖女モルテに問いかけてみる。どんな答えが返ってくるにせよ、それで澪が聖女モルテについて知るきっかけになり得る。とりあえず質より量!とばかり、澪は開き直って質問していくことにした。
「ええ。万人に等しくもたらされる唯一のもの。それでいて、全てを零に還す、唯一の希望」
「成程ね。じゃあ、世界中の人が同時に、一斉に死んでしまったら、それが一番理想的ってかんじかな」
「……どうしてそう思うの?」
「いや、1人だけ遺されるのとか、悲しいじゃん?なら、どうせ死ぬんだったら、全員一緒がよくない?……え?そういうかんじでもない?」
澪が『そういう解釈でもないのか』と首を傾げていると、聖女モルテは長い睫毛を揺らして目を瞬かせ、それから、ころころと笑い出した。
「あなたは随分と、この世界に未練があるのね!」
「うん。まあ、そりゃ当然」
澪はなんとなく、『これで笑われるってことは、聖女モルテ的にはこの世界に未練とかは無いんだろうなあ』と察する。……布教自体が目的なのだとしたら、と薄々感づいてはいたが、聖女モルテも彼女の言う『持たざる者』側、なのかもしれない。
「私にはね、好きなものがあるから。だから、この世界に未練アリアリだし、終焉は迎えてほしくないなー、って思ってる。……あなたには、無い?」
それでも一応聞いておこう、と澪が尋ねると、聖女モルテは、くす、と笑って小首を傾げて答える。
「未練はないわ。理不尽を排するためには、死が、唯一の救いとなるのだから」
さらり、と黒髪が揺れるのを見て、澪は、『手強い……』と感じていた。
聖女モルテはどうやら、この世界に未練など無く、特に好きなものも無く、苦しんだことがあり、それ故に世界の終焉を願っているようである。
改宗させよう、などと傲慢なことは言えないが、世界の終焉を望まない澪やナビスからしてみれば、どうにかしなければならないところではある。
だが、方法が無い。
まだ、聖女モルテ本人よりも、その信者達の考え方を変えていく方が簡単なように思える。月と太陽の祭典を開いた時のように、絶望しきった人々を掬い上げることは可能だろう。そして、そうした取り組みがあれば、世界は少しばかり、終焉から遠ざかりはするのだ。
……だが。
それでは、聖女モルテ自身は、救えないのである。
ここから宗教についての論争へ持ち込んでもいい。『メメント・モリ』をはじめとして、『死』を真っ向から見据えた教義の例も、幾らかは考えてきた。
だが、どうにも、澪もナビスも、無理矢理に聖女モルテを捻じ曲げることはしたくなかった。論争しても、お互いがお互いの信じるものを確認し合って終わるだけだろう。
「ところで、先程の石板について、お伺いしてもよろしいでしょうか」
それならば、とばかりナビスがそっと、控えめに草の茂った一角……先程、澪とナビスが見つけた石板の方を示して、問う。
聖女モルテは、あれに触れられたくないようだったが、それだけに、こちらとしては気になる。
「……あれは、墓よ」
やがて、聖女モルテはそう、ため息と共に言った。
「ああ……成程」
「お墓かあ。えーと、誰の?っていうのは、聞いたらまずい?」
納得するナビスの横で、澪はそう、聞いてみる。だが、聖女モルテは答えない。曖昧に微笑むばかりで、ついでに、その目は笑っていない。これ以上踏み込むな、ということだろうか。その割には、今までの質問には答えてくれていたが。
……他者について聞かれるのは、嫌なのだろうか。或いは、自分の信仰の話だけは特別に、話してくれるのか。後者のような気がするが、澪はもう少し、嫌がる相手に対して踏み込んでいくことにする。
「じゃあ、あなたは、誰?」
澪がそう問えば、聖女モルテは、じっと静かに、澪を見つめていた。
「モルテ、って、流石に偽名でしょ?本当の名前は?」
澪が問うも、聖女モルテは曖昧に、どこか寂し気に笑うだけだ。
「……ミオ様。恐らく、違います」
そこで、ナビスがそう、半ば茫然としながら言った。
「本当に、彼女は……死なのでは、ないでしょうか」
……ナビスの言葉に答えるように、聖女モルテの髪の毛先が、まるで空気に溶けるかのように、ゆら、と揺らめいた。