メメント・モリ*3
礼拝式が、『手段』ではなく、『目的』。
そうだとすると、確かに納得できることが多いのだ。
まず、聖女モルテが集めた信仰心が何に使われているのかが、分かる。……即ち、会場の移動もしくは、会場の幻影を生み出すことに使われているのだろう。
信仰心を集めることが目的なのではなく、あくまでも礼拝式を開くこと自体が目的なのだとしたら、集めた信仰心を全て礼拝式で使ってしまっても問題ない。
また、魔物の活性化についても、教義である『世界の終焉を共に迎える』ことを人々に強く意識させるためのものであったなら、それはそれで納得がいく。
あれ以降、特に何もしてこないことについても、『礼拝式を開き、信者を集めること自体が目的だから』とすれば、それで十分に説明がついてしまう。
「成程、確かに、礼拝式は手段じゃなくて、目的なのかも……」
「あらぁ……じゃあ、お金は?結構意地汚くお金を集めてるっていう話だったけれど」
「あー、あれも、のめり込ませるための手段の1つって考えられるんだよ」
お金は、使えば使うほど、使った対象にのめり込む。『あれだけお金を使ったのだから、今更ファンを止められない。今までの分を無駄にしたくない』という心理が働くためだ。
「それに、流石にお金も無いと、礼拝式を開くことはできませんから。蝋燭も聖餐も、消耗品です」
握手券で稼いだお金も、全て次の礼拝式につぎ込んでいるとするならば、それもまた納得がいく。信仰心もお金も、持続可能な礼拝式づくりに役立てられているのだから。
パディエーラとランセアはその後、すぐ大聖堂へ帰った。『礼拝式を開き、信者を集めること自体が目的なのではないか』『聖女モルテの宮殿は幻覚によるものでは』という推測を持ち帰るためだ。
「うーん……どうしようかなあ」
「どうしましょうねえ」
そして、残った澪とナビスは、ぽふ、とベッドに腰掛けながら、話す。
「聖女モルテが布教したいだけっていうなら害は無いように聞こえるけれど、その実、布教してるのがアレだからなあ……」
「確かにアレは、布教するだけで世界に一定の混乱を招くものですよね」
そう。聖女モルテが、信仰心を何かに使うつもりが無くとも、礼拝式を開いているだけで危険なのである。何せ、聖女モルテの教義は、『世界の終焉を望み、世界の終焉を共に迎える』なのである。世界に終わられたら困る澪やナビスとしては、布教されるだけで少々困る代物だ。
澪にはあまり馴染みがないが、世の中には宗教が自分や他者の命よりも大切で、宗教に従わないと生きていけない人達がいることは知っている。合理的ではない戒律を守り、理性的とは言えない理由で人を殺すことも、宗教というただそれだけで理由が付いてしまう。
……そう。その教えを守るだけで、自分や他者が不利益を被る宗教というものも、存在するのである。
「聖女モルテ教の敬虔な信者だったら、世界を終わらせようとするよねえ……」
「ええ。それも、1人や2人ではなく、10、20となっていけば、世界を終わらせることは難しくとも、町1つ、村1つ程度、滅ぼせるかと」
澪にも想像が付く。小さな村であれば、10人程度で囲んで火を付けるだけでも十分に壊滅的な被害を与えることができるだろう。ましてや、火を付ける側がそれを『正しい行い』として認識しているのならば、尚更躊躇が無いはずだ。
そして、火を付けられた村人はどうなるだろうか。自分達の財産や健康や住処や、様々なものを失い『持たざる者』となってしまったならば、彼らもまた、聖女モルテ教の信者になり得るのでは。
「やっぱり、放っておくのは危険だよねえ……」
「ええ。間違いなく」
危険だ。聖女モルテの教えは、間違いなく危険だ。
絶望して沈み込んだ人々をより深みへと落として、より多くの人を絶望させようとしている。
聖女モルテにとってはそれが正しい行いで、それが彼女の救いなのかもしれないし、聖女モルテの教えに心地よさを感じる者が居ることは紛れもない事実だ。悲しみが悲しみを癒し、苦しみが苦しみに寄り添うということは、澪も知っている。
だが、人はそれだけではいけないと、澪は思っている。
月と太陽の祭典で、澪の演奏を聞いていた人。彼が、『元気になっちまった』と笑っていたことを、澪は忘れはしない。
あの人達が、また絶望に沈むことを良しとしたくない。
絶望は、絶望と向き合うための手段であって、目的ではない。
……澪は、そう信じている。
「よし……となると、直接会うしか無いかな?」
「私も、そう思います」
そして、ナビスもきっと、澪と同じように信じている。
強く優しく微笑むナビスを見て、澪は、にへ、と笑い返す。
方針は決まった。心も、決まった。そして、共に進む仲間が居る。それが、澪を元気づけてくれる。
「……じゃ、今日のところは寝ておこっかー」
「ええ。そろそろ眠くなってきてしまいました……」
むにゅ、と欠伸をするナビスを見て『やっぱうちの聖女様かわいいなあ』と強く強く思いつつ、澪はベッドに入る。ナビスも、もそもそ、と実に可愛らしい動作でベッドに入っていくのでますます可愛い。
そうして、ほやん、とナビスが光る横で、澪はゆっくり眠ることにする。
……絶望に対抗する、もっとも単純で簡単な方法は、よく食べて、よく寝ることなのだと澪は知っているのだ。
翌朝。
「おはよ、ナビス」
「おはようございます、ミオ様」
2人は起きて、ベッドからもそもそと抜け出す。
冬の朝は、寒い。ベッドから出るのは中々勇気の要ることだ。だが、なんとか2人はそれぞれにベッドを抜け出して、身支度を整えて……そうして、出発の決意を固める。
「じゃ、行こっか。……会えるかなあ」
「ええ。きっと会えると思います」
澪とナビスは宿を出る。向かう先は、例の森の中。聖女モルテの宮殿が『あった』という、その場所である。
道中、色々な話をした。信仰、宗教、絶望、希望……実に様々なことを話した。まるで、神官同士の討論のようでもあった。聖女モルテと話す前に、あれこれ話しておきたかったのだ。
「メメント・モリ、って知ってる?」
揺れる馬車の中で、澪はそんなことを言ってみる。
「めめんともり、ですか?いえ、聞いたことがありませんが……」
首を傾げるナビスに、澪は笑って説明を重ねる。
『メメント・モリ』。直訳するならば、『死を想え』。
人々の暮らしが豊かになり、その日を享楽的に過ごすようになったことで、『現世の享楽の空しさを思い出すために死を想え』という、そうした趣旨で使われることが多い言葉である。いずれ訪れる死を想うことで、今ある生を正しく生きろ、と。そういうことらしい。
「人はいずれ死ぬのだから、その恐怖を忘れずに今を享楽的に生きることを止めよ。そういう考え方、だったらしいよ」
「成程……少し、聖女モルテの教えと重なる部分がありますね」
死を想う、という点では、確かに聖女モルテの教えに近い。だが、『メメント・モリ』が『生』を正そうとするのに対して、聖女モルテの教えは『死』を迎え入れようとしている。最終的に目を向ける先が生か死か、というのは大きな違いだろう。
……そして、『メメント・モリ』にも、色々あるのだ。
「でも、元々は『どうせ死ぬんだから楽しくぱーっとやろう!』だったらしいんだよね」
「あらまあ」
ナビスの『あらまあ』も尤もである。澪としても、『どうせ死ぬから楽しくぱーっとやろう!』は中々に享楽的というか、少々馬鹿っぽく思えなくもない。だが、その一方で『どうせ死ぬから今死んでも変わらない』よりはずっとずっと健全だとも思うし、どちらかと言えば澪自身はこのタイプだ。
「死を恐れるか、恐れないか。生を、諦めるか、諦めないか……難しいですね」
まるで順列組み合わせの問題のようだ。
死を恐れ、生を諦めないのが、『メメント・モリ』。死を恐れ、その上で生を享楽的に楽しむのが『旧メメント・モリ』こと『どうせ死ぬから楽しくぱーっとやろう!』の考え方。
そして、死を救いと見て、生を捨てて死を望むのが、聖女モルテの教義なのだろう。
……だから、もう1つ。2×2の、最後の1つについて、澪は考えてしまうのだ。
「或いは、どうせ死ぬんだから。死んだら、救われるから……だから、今を頑張ろう、って。そういう考え方も、できるのかもしれないよね」
死を恐れるのではなく、死を救いと見て、それでも生きることを諦めない。
そういう生き方も、人間にはできるはずなのだ。
「……『死』は、必要なものでは、あるのですね」
馬車の揺れに合わせてゆらゆら揺れながら、ナビスがそう、言う。ナビスが幌の隙間から見上げる冬の空は青く透き通って、明るい。のどかで優しくて、少し寂しい。
「救いがあるから、そこに逃げ込むか。はたまた、救いがあるから、まだ頑張れるのか。……人によってその点は異なるのでしょうけれど、でも、結末は同じ」
ナビスの言葉は、それが聖女の唇から発されていることも相まって、至極重い。
『死』は、必ず全ての人に訪れる。それはある種の理不尽だが、同時にある種の平等でもあるのだろう。
「人は必ず死に、その結末は変わらない。けれど……そこへ至るまでの道筋は、変えられる」
そして、死が皆に等しく訪れるとしても、それまでの過程は人それぞれに異なる。それが楽しさでもあり、苦しみの元でもあるのだろうが……。
「まあ、本人が納得できる道を、選べればいいよね。誰かと比べてどうだとか、そういうんじゃなくて」
「はい。どんな道を選ぶのも、その人次第ですけれど……聖女モルテが何故、彼女の道を選んだのかは、聞いてみたいです」
「うん」
澪は相槌を打って、少し考えて、やはり自分がナビスと同じように思っていることを確かめる。
聖女モルテが何を考えて礼拝式を行っているのか。何故、世界の終焉を望むのか。聞きたいことは、山のようにある。
……そうこうしている内に、森が、見えてきた。
森の入り口に馬車を停めて、澪とナビスは森へ降り立つ。
「……お城っぽい建物は、無いねえ」
「無いですねえ」
案の定と言うべきか、前回、礼拝式の会場となっていた建物は見当たらない。
一応、きょろきょろと辺りを見回しながら森の中を進んではいるのだが、礼拝式の痕跡すら見つからない。
手掛かり無しかなあ、と思いつつ、澪とナビスが森の中を進んでいくと。
「……あら?」
ナビスの足元に、何かがある。
覗き込んだナビスにつられて、澪もそれを覗き込む。
それは、半ば下草に隠れているものの、文字が彫り込まれた石板のようであり……。
「触らないで」
そこへ、鋭く声が飛んできた。
……振り返れば、そこには黒髪の美女。
甘やかで神秘的なかんばせに緊張を走らせた、聖女モルテが、立っていた。