幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(154)
其 百五十四
島木が何を思い付いたのか、その計画は今知ることは出来ないけれど、以前から男児はただ運だけに頼る投機の類いのことは長く続けるべきではない、一山当てたなら、足を洗わないまでも、それはそれとして他の事業をするべきだと自ら言っていたその言葉通り、先ず一つには羽勝に事を当たらせて、自分はただその資本を出し、また他には筑波まで味方に引き入れなくては叶わないほどの計画をし、これは自分自らその任に当たることとする。それはまったく投機めいたものではないけれども、かといって十分の一の利鞘だけで満足するというありふれたことでもなく、いずれは新しく何々の社を起こして何々の事業を創めるといった類いの事であった。
取り広げられた幾多の書類の中で、筑波と島木とが随分長い間何かを話していることだけは分かっているが、それがどんなことなのかはお彤も知らないし、茶を運んだりして部屋を往き来しているお富も知らない。ただ二人がひたすら精力的に厭くこともなく、根を詰め、沈着いてもの静かに問いつ答えつしているのが蔭から分かるだけである。その談話がどういうものなのかは聞こうともしないので分からず、また聞こえもしないので分からない。
やがてその談話が一通り終わったか、それとも一区切り着いたのか、朗らかな筑波の平常の声が初めて起こり、人が身動ぎする様子や物を取り片付ける様子などが判然と洩れ伝わってきた。
「マァ、大概は可い、今夜はこれで置こう。大体は既定まったようなものだから、余の話はまたにするとしよう。寛いで法螺話でもして、一盃飲って行って下さい。私も退屈だから相手が欲しいのだ。ナニ、碌な下物もありゃしない、却ってご迷惑だろうが」
堅苦しいことは置いて、ぐっと砕けて話す中に、自然と尊大な調子も出るが、そうかといって丁寧な言い方で、下手に出るような言葉つきもあって、何となく人を無下に反目させにくいところもある。
筑波のこの声が開いた襖から室外に洩れれば、予てからの準備は万端で、たちまちにして酒席が調えられた。
島木は筑波の家には何度ともなく既に訪れたが、今宵を加えて此家には三度来ており、酒を振る舞われるのは二度目である。
二人の若い下女は好く立ち居振る舞い、筑波は既に先ず自ら杯を取り上げた。
島木が書類の類を一々整えて手革鞄に蔵い終わり、この饗応に謝辞を述べ、初めて杯を取る時、下女等が出入りする通い口とは異なった上手の襖がするりっと開き、衣の音もさせないようにして、大層穏順しやかに、少しも仰々しいところもなく、静かにその女は姿を見せた。伊東が舌を疲れさせてその因縁由来を説いた彼女が現れたのである。
つづく




