幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(151)
其 百五十一 眼病み男の十一
「オッと、他人の談話を聞きながら時計を見るなんて、他人行儀なことをするない。談話は次回にするからお前も出掛けねぇナ」
「ハハハ、お前も悪く細かく気が廻る男だぜ。まだ可い。それから」
「じゃぁ、もう掻い摘まんで話してしまうよ。奴さんも生一本の未熟な男じゃぁないから、千円儲けたのに八百円しか儲けていないような顔をしたり、五百円の損を八百円損をしたと虚言を言ったりして、時々女を買ったり、酒を飲んだり、自分勝手なことを陰ではしていたのだが、何と言っても、今に、今にの大慾に釣られて、『あれだけの女が幾ら幾らになった金子を持って来りゃぁ何もかも自由だ』と、そこのところばかりに気を取られていたところを、風船玉みたいにふわりと天へ上がられてしまったような具合に、巧く脱けられてしまったので、今まで楽しみにしきっていたことが夢になって脱力したのと、悉皆巧く欺されて馬鹿にされた口惜しさとに、居ても立っても居られないような気がして、おまけに筑波には見限られて、生活も苦しくなって行くという始末なので、可怖いものだ! 怜悧な男で冷やっこいところのある奴だが、少し焼きが廻ったようになって、口惜しくて、忌々しいから他のことをしようという気にもなれず、毎日のように彼女を忌々しがっていたが、到頭お前、無い知恵を絞って巧く招び出しを掛けて、彼女を某所へ釣り出し、膝詰めで談話をした」
「出て来たのかい、招び出しに乗って?」
「そりゃぁ出て来ずにゃぁいられないようにしたのだから、彼女も出て来たネ」
「フーン」
「さぁ、証拠は何一つ無くっても、言ったことしたことに記憶はあるだろう。よくも男児一人を口頭で欺して、馬か牛のように働かせて、その挙げ句に知らん顔が出来たものだ。さぁ、約束通り一緒になるか、それとも謝罪を入れて若干金か寄越すか、どれもこれも可厭だというならただでは置かないからと、責めたのだ。すると対手の方がどうしても役者が一枚上なんで、お前を使ったのがどうしたのだい、欺して下僕のように酷使ったとお言いなのかい、欺して使ったと言うのなら、欺したのがどうしたのだい、欺されるのは鈍いからじゃぁないか。恨みを言ゃぁこっちこそ女の一生をお前のせいで廃りものにされているのだ。知らないだろうと思っていても、お前の細工でどういうことをされたかというのは、既に知っていたのだよ。こっちにゃぁ死んだってどうしたって、忘れられない恨みがあるのだ、お前のような廉価男を何人殺したって飽き足らないのだから、嚙んで吐き出したのだが、それがどうしたぇ、手ぐり糸を出して奴紙鳶を上げて玩弄にしてみたんだが、お蔭で大いに面白かったよ、些とは胸が空いたよ。怖そうな顔をして、お前、私をどうおしの心算だ、出刃でも懐中から出してご覧な、ケリはこちらから付けてあげる心算だ、と怖ろしい女だぜ。短銃の頭を八ツ口(*1)から出していたって言うぜ」
「担いじゃぁ不可ねぇぜ、嘘だろう、冗談じゃぁねぇ」
「ナニ、嘘なものか、談話をはぐらかすなよ。危険物をちゃんと構えていたっていうのだ。もっとも発端は野郎の方が甚く悪いのだからナ」
「フーン」
「奴も男児だから、まさか殺す気は無かったんで、刃物も持っていなかったが、そう出られちゃぁ退めないから、何を! たかが女一匹! と、思わず立ち上がろうとすると、お前、やっぱり対手が上手なのだ。筑波のところに古くから出入りしている仙太とかいう頑丈爺が突然物陰から飛び出しやがって、拳骨を振る舞って、取っ捉まえて、外へ引き摺りだしたのさ」
「恐ろしい奴だ、恐ろしい奴だ。本当の談話かネ」
「本当だ。さぁそれで、奴さんいよいよヘンテコなものになってしまったネ」
「そりゃぁそうだろう、それこそ出刃でも出そうな話になって来たナ」
*1 八ツ口……女性の着物の袖つけの下にある、脇縫いを縫い合わせずにあけてある部分。身八ツ口。
つづく




