幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(150)
其百五十 眼病み男の十
彼女の指揮がどうも巧い。もちろん時機を見てすることなので、のべつ幕なしに手を出すのではないが、大抵十のものなら七、八まで彼女の言う通りになる。いくら神示だってそう巧く行くはずはないから、奴さんも随分考えていたけれど、長い中のことなので終に悟ってしまった。何と悪狡猾奴じゃぁないか、こういう理屈なのだ」
「ン、どういうやり方なのだ」
「その時分は筑波は株でも米でも随分と手を出したもので、いわば一方の大関というものだった。だからいくら筑波が偉くたって何も物の相場が筑波の思う通りになるというのじゃぁなかったが、彼奴が買い煽ったり、売り叩いたりすりゃぁ、とどの終局はとにかく、先ず差し当たっては眼に見えて幾らかずつは上を向いたり下を向いたりはしたものだ。それだから、もしどうかして筑波の腹の中を早く知ってしまって、先へ廻って準備をして置いて、大きく取ろうとしないで、利さえ乗りゃぁ喰ってしまうという遣り方にすりゃぁ、筑波は大得もする代わり大損もする日もあろうが、先へ廻って早く立ち回っている奴は、筑波が大きく得をする日にも、些少な得しか取らない代わり、筑波が損をする日にもやっぱり幾らかの得を取ってしまう理屈で、それでも十度に十度、利運にばかり乗るという訳にゃぁ行くまいが、まぁまぁ失敗よりゃぁ成功の方が多かろう道理じゃぁないか。普通の提灯を付ける(*1)という野郎等とはまた仕方の変わった、何のことはねぇ、親分の小股を掬う(*2)という悪狡猾い理屈の仕方だ」
「妖怪ッ! なるほど、可厭な奴だ! 白蝙蝠だ、古蝙蝠だ! ハハハ、だが、どうして筑波の腹がそうそう解めたのだろう? まさか臥房の中で聞きもすまいし、言いもすまいが……」
「そこが彼女の眼から鼻へ抜ける恐ろしい怜悧なところなんだ。きっと何か辻占でもできるような能力があって、これぁこうするんだナってところを見破ったものとみえる」
「フーン、馬鹿に眼端の利く奴にゃぁ見破られるものかナ。まさか人相でもあるまいが、ちょっとした言葉の端や身体の動きで腹の中を出してしまうことはあるからナァ」
「そうだ、それに縁起船乗り博奕打ち(*3)という諺通りで、どんな奴でも験を担ぐからナ。わざと縁起くさいことを匂わされて鎌を掛けられた日にゃぁ、思わず知らず悦んだり腹ぁ立てたりして、思わず腹ん中を見せてしまうち違ぇねぇ」
「違ぇねぇ! 鎌まで掛けて、それとなく探ろうという奴に、自分の臥床に居られちゃぁ、こいつぁ読まれてしまいそうなことだ。それに違いない。おぉ、恐ろしく可厭な奴だナ。だが、そんなに大騒ぎをして金を拵えて、それからどうしたぇ?」
「さあ、話はそれからだが、なんと恐ろしい奴じゃぁないか。もう大概十分というところまで出来たところで、悉皆巧いことを言って見事に巻き上げておいて、お前は知らない人だと言わんばかりに、ポンと突放してしまった。それから筑波に何を言ったか知らないが、筑波の命令でもって、その男にはこれこれの用事のために九州へ行け、ということなんだ」
「それとはなしの島流しなのかい」
「そうなんだ。堪らないじゃないか、島流しじゃぁ! だから何だかんだとか言って駄々を捏ねると、筑波めが大いに怒って、大雷を落下して、それっきりの出入り禁止だ」
「ヤ、奴さん、意気地がなさ過ぎるナ」
*1 提灯を付ける……有力な投資家の売買をまねて、同じ銘柄を売り買いすること。
*2 小股を掬う……他人のすきを利用して自分の利を図る。
*3 縁起船乗り博奕打ち……船乗りや博奕打ちは縁起を担ぐという意。
つづく




