幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(149)
其 百四十九
「奴さんもその時は分からなかったのだが、後になってから、なるほど、女の癖に一六勝負(*1)を試ってみようと言ったのも理屈があるなと悟ったくらいなので、俺にも最初はその話ぁどうしても呑み込めなかったのさ。まぁ黙ってもうちょっと聞いていてみな。そこで奴さんが正直に言うにゃぁ、なるほど、勝負事は金を掬うにゃぁ早道のようなものの、思うようにばかり行くと定まっているものじゃぁないから、と言うと、だって、他のことでどうして二人が楽々とやって行けるだけのことが出来るのか、何でも宜いから相場をやってくれ、その代わり売るのも買うのも悉皆私の言う通りにしてくれれば、どんなに負けても愚痴一つ言うまい、私ぁ私の信心しているものがあって、その神示通りに試ってみたいから、という馬鹿げた話なのだ。話は余りにも馬鹿げきっているけれども、相場でも試ろうと言う奴の腹のどん底をたたいてみりゃぁ、見込みだの何だのと道理らしく言ったって、大抵はやっぱり神示みたいなようなものを、己の慾と屁理屈との間から捏ね出して、それを有り難がって振り廻しているようなものだから、何もそりゃぁ不可と遮って言うにも当たらないし」
「フフフ、物は言いようだなぁ、違いねぇ、そんなものかい」
「また、どう転んだところが自分の損になるのじゃぁないし、奴さん、根が小怜悧で、冷やっこいところもあるのだから、うんうんと聞いていて、それじゃぁお前は兵糧を工夫して寄越せ、戦は俺がするから、ということになったのだ。すると彼女めがそれから四、五日経つと、どう工夫したか強請ったか知らねぇが、千円という金を奴に渡して、最初だからまぁ吾夫の見込みで試ってみろって言うじゃぁないか。さぁ、奴さん悉皆もう情夫になりすましてしまったぁ可いが、最初じゃぁあるし、少しでも手際の好いところを見せて悦ばせなくちゃぁ体裁も悪いように思われるから、色々と考えて遂に手を出したネ。筑波に使われて、あれこれには精通してはいるし、自分だからって随分それなりの思惑を試ってみている男で、なかなか頓痴気でもなけりゃぁ卑小でもないんだから、それくらいのことでまごつく奴じゃぁないのだが、あんまり巧くやろうと思ったせいか、見事に失敗ったネ」
「ハハハ、面白い! そう来そうなところだ。そう行かなくちゃぁ面白くない!」「大体そんなものさ。だが、失敗ってしまったよと冒頭からそのまま言うのもあんまり体裁も悪いし、第一意気地がなさ過ぎて男子らしくもないので、そうなると最初の考えとは違ってきたが、痩せ我慢をして、自分の金で適当に取り繕って話をしたいような気になって、何日かは取り返す心算じゃぁあるが、詰まらない死に金を使ったそうさ」
「ハハハ、こいつぁ好い! 好色子ぁ辛いなぁ、人知れずの腹切りかい」
「それからは彼女の指揮通りに試ると、それぁ厳しい商売だから損をする時もあるのだが、ぽつーりぽつーりと稀に試るのが、まぁ十度に六度七度は中って、雪だるまを転がすように段々と太って来たそうだ。しかし、どっかりと大外れに外れて本も子も無しになったことも何度かあったそうだが、それでも懲りずにまたどうかして彼女が工夫をして、お前さん萎げちゃぁ不可い、何でも二人が楽々とやって行けるだけのものを拵えなけりゃぁ、と励まし立てたそうで、そればかりじゃぁない、運に乗った時は必ず些細じゃぁあっても幾らかの金を『お捻り』だと言っちゃぁ小遣いにくれたそうだ。そこで奴さんは明けても暮れても他のことは胸の中にありゃぁしないで、ただもう早く金銭を拵えて彼女と一緒になるぞの一念で身を粉にしていたのだ。彼女もまた思いは同じというもので、甚い奴じゃぁないか、筑波から金はのべつ強請って取りながら、初めの間は頭上の飾り物でも、持ち物でも何でも悉皆偽物尽くめにして置いて、表面だけを飾って、少しでも本錢の足しにして勝負を試ったそうだぜ。化物だなぁ」
「ウム、化物だ!」
「その化物に慾と色とで縛られたので、奴さん今に今にとばかり逆上がってしまって、あれをしろ、これをしろって、言われれば一々言われる通りに、知恵も精力も使えるだけ使い切って一年半ばは全然夢中で働いたというんだ。あれだけ骨を折って働きゃぁどんな酷い主人にだって大した褒美をもらうだろうって、後での話なんだが、そうして到頭三万ばかしのものは拵えた」
「そりゃぁ運さえありゃぁ出来もしようが、話がちっと甘過ぎるナァ」
「なぁにどうして、運じゃあない、確乎と抑えたところがあってでこそなんだ。そこが彼女の恐ろしいところなんだ。
*1 一六勝負……サイコロ博奕のように、伸るか反るかの運まかせの勝負。
つづく




