幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(144)
其 百四十四 眼病み男の四
そういった調子で、彼女の母親は彼女をどうかして栄華の種子にでもしようと思っていたが、主人が高慢なのでそうにはならず、焦躁切っていたし、俺の知っている奴の母親はまた、彼女を好いところへ世話でもして、中に立って暖まろうと内々思っており、双方の考えがそんなものだった矢先、彼女の家はいよいよ貧乏の最低所へ行き着いてしまった。どうにもならないというところに、彼女の父親が患いついて碌に薬も飲めずに死んでしまったものだから、さぁ差し当たっては葬式を出す銭も無いという状況になり、また予てからの思惑はあるので、彼女の母親は俺の知っている奴の母親に、何か方法はありますまいかと、それとなく頼む。その母親は合点して、悴に談して、筑波に彼女を押っつけりゃぁ筑波にも好く思われるだろうし、後々彼女が筑波に長く従いているようならますます都合が好いだろうし、そうでないにしても、あの好色漢の筑波が素晴らしい容貌の生娘で無垢の彼女を見りゃぁ、大唾涎は受け合いだから、中に立ちゃぁきっと甘味があるに違いないと吹き込んだのさ。年齢は若くっても色気より慾気で、金銭にさえなることなら、どんなことでもしようという男だから、早速筑波にこれこれだと話すと、好色漢だから堪らない。身を乗り出してのご執心で、そこで先ず何よりも先に本人を見たいという。宜しいというので、一計を案じて見せたが、あの容貌でウブだったのだから気に入らないはずはない。筑波は本人を見ると、もう全で夢中になってしまったのだ。支度も出そう、手当も好くしよう、住居も買ってやろう、何でも言いなりになろう、ということになって、親は元から承知なのだから、周囲の話は悉皆出来てしまったのだ。ところが本人にそのことを母から談すと、本人だけはどうしてもウンと言わない。高慢な親の気性を受け継いで、おまけに平常から男親の言うことだけを善いと思って聞いているので、いくら母さんの仰ることでも、そんな卑しいことはと、強情に理屈を捏ねてなかなか受け付けない。母はもちろん、中に立った親子二人、都合三人で割っ口説いて、世間というものは『子曰』で済むような、そんなものじゃぁないとか何とか、口を酸っぱくして説いても聞かせても、蓮の葉に雨で、毫も浸み込みぁしないで、言い返されるばかりなのだ。筑波は焦慮ってどうした、どうしたと言う。一方は死んでも厭だと突っ張っている。終いにゃぁ間に立った母子が筑波の機嫌を損ねそうにもなって来たので、さぁ苦しがって色々小細工をして、金子のやり取りのことで責める、義理尽く人情尽くで責める、法律臭いことを匂わせるようなことまでして、どうしても筑波の言うことを聞かなきゃぁ済まない理由があるようにして責めに責め抜いたが、それでも納得せず、唯とは言わなかったそうだ」
「フーム、そりゃぁ偉い奴だ! その意気は買ってやるところじゃぁないか。何も彼女を悪く言う理由は無い。お前の知ってる奴の方がよっぽど悪いぜ。それからどうしたネ」
「それからどうもこうもならないって言うんで、とうとう無理を行ったのだ。もっとも何やかや言っていた中にも筑波の方から金は出ていて、葬式も何もかも其金でしていて、彼女の家じゃぁ悉皆筑波の恩を受けていたんだ」
「ヤッ! そりゃぁ酷い! 憫然に! 筑波も酷い奴だが、お前の知ってる奴も酷い奴だナ。つまりそいつがさせたことなんだろう」
「ウム、そうだ。そいつが阿漕な酷い遣り方をしやがったんだ」
つづく




