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幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(143)

 其 百四十三 眼病み男の三


 釦紐(ボタン)だけはまだ()めていないものの、外套を(はお)り、出掛けるためにその身を調(ととの)えていたが、ちょっと座ったのをそのままに、今は早くも腰を落ち着かせ、日は()り、燈火(あかり)に代わる夜となってもまったく気にもせず、ひたすら談話(はなし)を聞こうとする島木の様子を見て、伊東はまた笑いを含み、

「だがナンだなぁ、何も出る船の(ともづな)を引っ張るようなことを俺がすることもねぇ。談話(はなし)はまた何日(いつ)でも出来るだろうから、マァ行ったらどうだぇ」

 と、わざと戯れて言えば、島木も笑って、

「そんなに談話(はなし)にもったいを付けて(はな)し惜しまないでも()いじゃねぇか。何でも()いから早く肝心な所を()()けて聞かせてくれ。下手な骨董商(どうぐや)が有り難みを付けようと思って幾重にも鬱金(うこん)(きれ)で物を包んでおくようなことをするない」

 と軽く罵る。

「ハハハ、じゃぁ仕方がない、無造作に鬱金の巾を取ってしまってご覧に入れるかネ。ハハハ。そもそも彼女(あいつ)(おふくろ)上方(かみがた)芸妓(げいこ)だったとか。上方のものでこっちで芸妓(げいしゃ)をしていたことのある奴だとか何とかで、何でもあんまり素性の好い方の女じゃぁないのだが、(おやじ)ぁ、まだ(そう)任官(にんかん)(*1)で、大層幅が()いた時分に、ちょいと好い地位(ところ)を勤めた官員上がりで、懐中(ふところ)(あった)かい時、自己(おのれ)が好きで引摺(ひきず)り込んだその(かかあ)に産ませたのがあの女なんだそうさ。ところが彼女(あいつ)が育っていって女っぽくなって来る時分にゃぁ、(おやじ)はもう年齢(とし)()る、貧乏になって来る、変に高慢で頭が高い偏屈な奴なので、何一つ出来ず、やっと根岸とかで児童(こども)に『()(のたまわく)』か何か教えて小遣い稼ぎをしているくらいで、その実は串柿の抜き食い(*2)という情けない有様。――土地を売っちゃぁ食う、貸家を売っちゃぁ食う、骨董(どうぐ)を売る、書画を売る、(ほん)を売る、衣服(きもの)を売るという始末だったそうなので、毎日々々の夫婦喧嘩に、(かかぁ)はつまり亭主の働きの無いのを忌々(いまいま)しがりゃぁ、老夫(じじぃ)はまた嬶の言うことすることが鄙劣(けち)だとか卑しいとか言って腹を立てるという、謂わば人生の冬枯れの頃、その近所にいたのが俺の知った奴なのだ。そいつは初めは筑波に使われた奴だったが、金子(かね)をどうかしたかという(まず)いことがあって、一旦()い出された末、漸く謝罪(わび)が叶って、子分(こぶん)扱いになり、何やかやと筑波の気息(いき)を掛けてもらって賢く暮らしていたのさ。そいつはその時分、二十四、五の生意気盛りでもあったろうか。やっぱり(かかあ)は持たないでいる方が面白くって()いぐらいの考えで、独身だが景気よく暮らしていて、金の慾だけで動いていた。そいつの母親(おふくろ)とあの女の母親(おふくろ)とは近所つながりの知り合いで、そして馬が合っていたのだ。そこでそいつの母親(おふくろ)がこれも金にばかり目の行く奴だから、お前さんのところは金の生る樹を持っておいでだから羨ましい、吾家(うち)のなんぞは野郎ですから碌なことはしません。働くようでも皆使ってしまいますから、と言うと、相手はまた、いいえ、吾夫(うち)が頑固でなけりゃぁ徐々(そろそろ)楽しみにもなって来るのですが、吾夫(うち)厳格家(やかましや)の唐変木ですから、女だけに損をしているようなものです、というような訳で、始終話し合っていて、先方(むこう)母親(おふくろ)の腹の中は知りきっていたのだ。


 *1 奏任官……明治時代の官吏の身分の等級。

 *2 串柿の抜き食い……干し柿は甘くなってきたものから少しずつ抜かれて食べられて行くことから、物が少しずつ減っていくという喩え。


つづく

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