表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/88

幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(141)

 其 百四十一 眼病み男の一


「オイ、オイッ、どこかへ出掛けるのか?」

 跫音(あしおと)にそれと気づいて呼びかける声は伊東である。(ふすま)はぴったりと閉まっているので姿は見えないけれども、この秋頃からやることなすこと当り(どお)しで、勢いは大潮が満ちるほどであったが、一旦運が衰えてからは、自分が差し昇る日のように輝き照るのに引き替え、彼は傾く月が光り弱まって、何ともし難いほどの窮境に陥った挙げ句、この頃ではそれに加えて眼さえ患って苦しんでいる。何をするにも金がないので、何も出来ず、それでなくとも気が滅入る上、見ることの不自由さに籠もりがちで、面白いことなど何もなく、繃帯(ほうたい)をした片眼を抑えて、打ちのめされてはいないものの、不樂(わび)しく焦燥(じれ)ている様子が見える気がして、島木は出掛けようとしていたが、迷惑とは思いながらも、(あし)を止めて、

「ン、どうだ? 少しは()いか。退屈するだろうナ」

 と答えれば、伊東は優しく言われて嬉しかったのか、(へや)の入り口をがらりと引き明け、

「ナァ()いだろう。ちっと話して行かないか」

 と言ったが、島木がよそ行きの服装をしているのを見て、少し遠慮気味になり、

「ヤァ、(よろい)()けてるナ、どこへ行くんだ? お(めぇ)のことだから、女を捉まえようっていうんでもあるまいが、時刻はちょうどそんな頃だナ、飲酒(のみ)にでも行こうというのかい? 随分当たったから裕福(あったか)になって、いくらお(めぇ)でも美麗(きれい)なのが眼につき出したかェ?」

 と笑えば、

「ハハハ、馬鹿を言え、まだ色気何ぞが出て来るほどにゃぁ慾が(ゆる)みやしねぇ! でも何だなぁ、片眼(かたっぽ)は繃帯、片眼(かたっぽ)は色眼鏡という憫然(かわいそう)(ざま)でも、眼鏡の下から何でも何かが見られるようになったようで、マァ有り難いことだナ。みんなお美代のお蔭だぜ、お美代大明神だぜ」

 と、こちらも笑いながら室中(なか)に入って、むずと胡座(あぐら)を組む。

「ナァニ、お(めぇ)のお蔭だ。お(めぇ)の恩は忘れねぇ。お美代ん畜生(ちきしょう)は騒ぎやがるばかりで、十円の工面も直ぐには出来やがらねぇのだから」

「だって、まだ若いんだもの、そんな無理を言いなさんな。お(めぇ)も大分愚痴っぽいことを言うぜ」

(ちげ)ぇねぇ! そりゃそうだ。あんまり貧乏をしたんで、つい卑劣(けち)なことを言い出すようになった」

「ほんとにそうだ、お美代のことを悪く言ったりなんぞしやがると女運が尽きてしまって罰が当たるぜ、好男子(いろおとこ)! だが悪くねぇナ、目星を付けた山が外れて無一文になって、ちょいと眼を患って大いに困っても、大騒ぎをやってくれる女の子がいて、そいつがまだ囲われの身っていう可愛らしい身の上でいながら、無理矢理に種々(いろいろ)の算段をして貢いでくれるなんていうなぁ! 名古屋者(おきゃぁせ)(*1)が天下を取ってる今時(いまどき)にある話じゃぁありゃしねぇ。(ちっ)とぐらい貧乏しても乃公(おら)もあやかりてぇや」

「ハハハハハハ、馬鹿にしやがる、篦棒(へらぼう)め、こっちゃぁ所望(のぞみ)ならあんな奴の一ダースや二ダース()ってしまっても貧乏はしたくねぇ(ぐらい)に思っているのだ! フン、お(めぇ)意中人(あて)でも出来たのだナ、それで今出掛けようっていうんだナ」

「変に勘を付けやがったが、お生憎様、(あた)らないや。ナァニ、やっぱり慾心(よくごころ)一点張りなのさ」

「だって今頃……解った! お(めぇ)、筑波と一緒になって何か企んでいるんで、奴のところへ出掛けて行くんだナ。吃驚(びっくり)しなくっても好いよ。眼は悪くっても早くから睨んで知ってるのだ」



 *1 名古屋者(おきゃぁせ)……徳川家康を指すのだろうか? それとも当時の有力者が名古屋出身だと言うのだろうか? 


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ