幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(135)
其 百三十五
「いやですわ、姉さん、またそんなことを言って! 私ぁ何もあの人をどうのこうのとそんなことなんか胸の中で思ってやしませんて言ったじゃぁありませんか」
「あぁ、そうだっけネェ」
と言った限り、後は何とも言わずに終わったけれど、お彤はお龍の言葉を信じているのか、疑っているのか、その顔を見やって、納得したようでもなく、かと言って嘲る風でもなく、ただにやりと笑った。
素直なお龍はお彤の言葉を言葉通りに受け取って、
「またそんな戯談なんかお言いなすったって、そりゃぁ姉さんみたいに何もかも能く出来て、おまけに世の中のほんとのことが悉皆解っていて、容貌も百人千人以上に勝れて美しいというんなら、私でも出来るか知れませんけれど、男子は選り好みで、だなんて、まぁそんなことは生まれ代わってでもなきゃぁ到底出来やしません。私なんか畑の中の蛮南瓜か茄子だって、ほんとに叔母の言った通りの下らない生まれなんですもの。出世しようと思ったって、運に乗ろうと思ったって、何がどうなりましょう。そしてもう、亭主を持とうなんて、そんなことはつくづく厭に思っているんですから。持つくらいなら、虚言じゃぁありません、蛮南瓜や茄子に相応な何首烏玉(*1)に手足の生えたようなお百姓さんでも持ちましょうが、それもやっぱり可厭ですから、一生一人でいます。気の利いた男を持ちたいの、出世をしてみたいのと、そんな虫の好いことを考えているほどに身の程を知らなかなぁありません。ですから前途のことを思うと心細くなってしまうんです」
と言えば、
「オホホホ、どうにかしておいでだよ、お龍ちゃんは。そんな老けたことばかし言ってどうするつもりなんだろう。虫の好いことを考えてるからこそ人間は生きていられるんじゃぁないかぇ。お前みたいにそんなことを言ってた日にゃぁ終局にゃぁ坊さんにでもならなきゃぁ追付かないことになるわネ。いけないよ、いけないよ、そんな弱い気じゃぁ。何もかも一生だわネ。面白く生活すが可いじゃぁないか。選り好みして、取れなくたって元なんだもの! また、選り好みを繰り返していりゃぁ、その中気に入ったので縁があるのも出て来るかも知れないじゃぁないか」
「あら!」
「ホホホ、どうだぇ? 私にゃぁ愛想が尽きるかぇ?」
*1 何首烏玉……かしゅういもの塊茎。暗褐色の球形でひげ根がある。
つづく




