幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(132)
其 百三十二
尻尾でもあれば振って見せるほど悦びかえって、お関は自分の賤しい言葉の端々に下卑た心の隅々まで余す所なく曝け出すのも顧みず、白々しいまでお彤、お龍に諛辞の数々を言い尽くした後、余り長居をして愛想を尽かされてはと思ってか、あるいはお彤が余り多くも物言わず、余り多くも笑わず、いつまでも表情を崩さないでいるので、流石の勝手者も気が置けてか、呉々もこれから後とも疎んじお見棄てになりませんようにと頼み、お富お春にまで無理に捏ね付けたような愛想のある限りを振り撒き、来た時の荒々しさに引き替え、帰る時には畳もそっと踏むようにして漸く出て去った。その背影が見えなくなるや否や、送って出たお春は堪えかねてフフフフと笑い出し、
「マァ、何ていう現金な得手勝手な人でしょう! 来た時にゃぁまるで狂犬みたいに、手でも出したら食いつきそうな怖ろしい顔をして来て、帰る時にゃぁ子犬かなんかのようにころころして悦んで行くんですもの! おぉ可厭なおかしなお婆さんだこと!」
と引き返しながら顔を見合わせたお富に言うのを、これをどこやらに笑いを含みながらも叱るように上眼使いをして制し止め、お富は小声で、
「でもああいうのが正直って言うんで、可愛い性分なんですかも知れませんよ。罪も何もなくってネェ」
と冷やかに罵る。お春はこれを聞いて、なお笑いが止まらず、
「そうネェ、ちっとも奥底がないんですからネェ。じゃぁ、そう言うお富さん何ぞはあんまり可愛らしくない人なの? 何にしても遠慮深くって、慎み深いのですもの!」
などと、小声で語り合っていたが、一方、お龍は訝り糺すように、
「姉さん、あの人をどうなすったの?」
と問えば、お彤は微し笑みを含み、
「何故? 別にどうもしようはありゃぁしないじゃないか」
と澄ましきって言う。
「でも、大層怒って来たというのに、私が下りて見りゃあ、ちっともそんな様子はなくって、怒るどころか莞爾してばかりいるじゃぁありませんか」
「そりゃぁなに、お前、何にも不思議はありゃぁしないわネ。些少ばかり金銭を与ったんで、ああ悦んでしまったのさ」
「金銭を?」
「あぁ」
「あら! 何も姉さんがそんなものお与んなさる理由は無いじゃぁありませんか。そうして姉さんもあの静岡のに、お金は惜しかないけれども、取られるのは癪に障るから、とご自分でちゃんとそう仰ったじゃぁありませんか?」
「そりゃぁお前の叔母さんにはそう言ったけれどもネ、ありゃぁ謂わば叔母さんの気の済むように言っただけのことでネ、何も私ぁあんな欲張りの人と争り合おうという気は最初から無かったのだよ」
「でも理由も無い金銭を」
「取られたって口惜しかぁないじゃぁないか、物事さえすらりッとそれで済んでしまえば! 私ぁあんな人を対手にして争り合うなぁいくら得がいっても可厭だよ」
「そりゃぁそうでしょうけれども、あんまりそれじゃぁ……」
「だって仕方がありゃぁしないやネ、蚊を拍けばお前、掌が汚れるじゃぁないか。蚤を潰しゃぁやっぱり爪が汚れるわネ。下らない人を相手にしていりゃぁ、始終くだらないことをしていなけりゃぁならないようなことになるもの!」
つづく
 




