幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(75)
其 七十五
島木は莞爾と笑いながら酒を注いでやり、
「また直ぐそうやってムキになって突掛かってくるよ。いくら酒の勢いがあるからといって、野暮な男だナ」
「何も決して怒るのじゃかない。しかし、俺がしようと思うことを下らないとは何だ。智慧が足りても足らなくってもそれは仕方がない。黙って知らん顔をしてはおられんから訪ねようというのだ。それを単に止めたらよかろうと言われては面白くない。何が下らない? 何故智慧が足らん?」
「何故と言って、考えてみりゃぁ分かることだ」
「いや分からん分からん、考えてみても分からんに定まっている。たとえ俺のすることが智慧が足らんにしろ、その効がないのなら、貴様が智慧を添えて功があるようにしてくれてもいいではないか。水野は俺だけの朋友ではない。貴様にとってもやはり朋友ではないか。朋友の道はどうするのが正当だ。互いに気に入るようにだけしていればそれで可いというのか、そんな理屈がどこにあるのだ。もちろん、朋友が助け合うのは当たり前のことだが、剣術を習えば遠慮なしに竹刀で引撲き合うのが朋友の真実だ。碁の一目、弓の一射に歯咬みをして争い合うのも朋友の面白味だ。だから欺かない心もなくちゃならんし、競り合う気持ちもなくちゃならん。まして、眼に余ったり腑に落ちなかったりすることがあれば、忠告もしようし、争いもしようし、歯に衣を着せず罵ろうとも、互いに他人の物笑いにはさせないように、またならないようにと、男児を磨き合うのが朋友の甲斐というものではないか。それを何だ、貴様のこの頃の仕方は。ただ水野のいう通りにばかりしてやっている。そりゃぁ貴様の侠気ある振る舞いには俺も感謝しているが、それほどに水野のためを思うなら、何故もう一歩進んで諫めてはやらんのか。あの男の迷いを解いてはやらんのか。諫めても聞かなければ、何故争ってはやらん。『士に争友あれば令名を離れず』(*1)という孝経の語は、たとえその語を知らんでもその意味合いが判らんような貴様ではないのに、何故貴様は水野の争友になってやらんのだ。言ってみれば貴様は水野を愛して、贔屓にし過ぎて間違ったことをさせているのだ。いや頭を振ってもそうでないとは言わさん。あの見晴らしでの貴様の言葉(*2)といい、羽勝から聞いた事実といい、先刻からの貴様の話し具合といい、貴様は水野の争友となって、あの男に間違いを起こさせないでやろうという考えは持たずに、却って庇い立てをする気味がある。そんな下らんことがどこにあるものか」
「オイ、大上段に振りかぶって睨み廻すなぁそこいらでおいてくれ。下らなくっても俺は構わねぇ。貴様のいうことくらいは乃公だって分かっているが、諫めたって争ったって役に立たねぇことだから、乃公ぁ意見も言わずに打棄っておくんだ。迷うな迷うな、思い切れって言ったって、考えの方が煙管の羅宇(*3)のようにすげ替えが出来るものじゃぁなし、川柳が巧ぇことを言ってらぁナ、「極無理な意見魂魄入れ換えろ」って。よくある奴だが、いくら魂魄を入れ換えろって言ったって、出来る相談じゃぁねぇ。しかし水野に意見をするなぁ貴様の勝手だ。止せと言ったなぁ大きなお世話だった。芝で会った時言った通りだ。乃公は乃公だから乃公は行かねぇ。貴様は貴様だから行くなら行くがいい」
「よしッ、貴様が行かんでも俺は行く! これから直ぐに行って諫めてやる。力の限り大いに争ってやる。憫然に、みすみす好男子の水野をこせこせした恋愛に悶死させて堪るもんか。日方は彼のために争友として向かってやる。智慧の足らん男がすることの結果を見ろ」
「ハハハ、乃公の言ったことが気に入らなかったって、激しちゃぁいけねぇ。出かけるなぁ可いが、その猛勢で行って、水野と喧嘩をしちゃぁ貴様いけねぇぜ。あの男も温和しいけれども、虫持ちだからナ」
「ハハハ、しかし俺の言うことを聞かなかったら攫み挫ぐかも知れんぞ」
「戯談じゃぁねぇぜ、人が真面目で言っているのに」
「大丈夫だ、日方は粗暴でもまさか喧嘩はせん」
「いいかい大将、きっとだぜ、釘を刺したぜ」
「ウン、よしッ。ところで島木」
「何だ」
「貴様が平生飲んでいるこの葡萄酒はなかなか佳いナ」
「それ程じゃぁないが、まぁ飲めるよ」
「手土産にして持って行って、久しぶりで水野と談しながら飲むのだ、些細なご用だ、二本ばかり徴発(*4)するぞ」
「ハハハ、他人の物を徴発して土産にするたぁ此奴ぁ虫がいい。可い可い。持って行け。今縛らせよう」
*1 士に争友あれば令名を離れず……大成した人間になっても厳しい指摘をしてくれる友人がいれば、その名声を失うことはない。――士有争友、則身不離於令名――孝経 諌諍
*2 あの見晴らしでの貴様の言葉……前篇「其 五」参照。
*3 煙管の羅宇……煙管の雁首と吸い口を繋ぐ細長い竹の部分。ヤニがたまると掃除をしたり、取り換えたりする。
*4 徴発……軍需物資として民間人の物品を強制的に取り立てること。
つづく




