幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(123)
其 百二十三
「どうも何と申し上げましても相済みません不調法で。ハイ。口ばかりで何を申し上げましても実際相済みません訳で、ハイ。お羞かしいことを申し上げなければ言い訳も出来ませんが、実は段々と不幸は続きますし、私は病身で商売は止めておりますし、少しばかりの土地で作ったもので細々とやっております。そんなところを不幸者めの悴に台無しにされまして、まことにはやどうにもこうにもならないようになっております。ただもう明け暮れ、悴めの碌でなしの考えが直りますようにと、信心をいたすのを今日の勤めにいたしておるような意気地のない次第でございまして、それで、何とも恐れ入ります身勝手な申し分ではございますが、今が今どうにかいたそうといたしますれば、私一人住んでいるところへ夫婦一組を置きまして、その貸間の料金だけで食べております住家をでも、どうにかいたして算段いたすより他はございませんが、それではどうも後々のところが……」
貧相な顔をますます貧相にして、困り果てている様子を話し、哀れみを乞おうとする、その物言いは、人の同情を引くに足るほどの気合いさえ乏しいけれど、そのくどくどしい悪丁寧さで愚直さはよく分かった。
お彤はもはや聞くのに堪えかねてか、言葉が澱んだところに口を入れ、静かにまた爽快に、
「まぁ、それは大層に心配をおしだったねぇ。お前さんは今どきにゃぁ珍しい律儀な気性だこと! なぁにあんな鉢の一つや半分、粗忽で毀したものをなんで私が償えなんぞ言うものですかネ」
と言い出せば、老人は何と聞き取ってか、慌てて遮り、
「ど、どういたしまして貴女、伯爵様のお邸でさえ」
と、身に入みていたことでもあり、伯爵邸の定規を例に引こうとするのを、二の句を続かせず、お彤は冷ややかに笑った。
「まぁお聞きなさいよ。伯爵様のお邸は伯爵様のお邸、私の家は私の家ですよ。いい身分の方の真似を私等がしちゃぁなりませんからネ。金属ででもありゃぁしまいし、根が磁器ですもの、破れることもありましょう。その磁器が粗忽で破れたのをどうしてまぁ酷く咎め立てをしましょう!」
「ハ、ハイ、ハイ、ハイ」
その言葉に激しく感じたのだろう、気息が詰まったように老人は急き込んで返事をした。
「それも平常の勤め方でも悪いというのなら、叱言を言わないこともありませんが、何もかも悉皆好くしてくれているあのお富のした過失ですもの!」
「ハ、ハ、ハイ、ハイ」
「少しくらいの品を毀したからって何を言いましょう! 使っている中に器物が毀れるのは当然のことで、それが厭なら箱の中へでも蔵っておくより他ありゃぁしないと思いますよ。器物をいたわって人をいたわらないようなことは私ぁ大嫌いで、あんな磁器を十個集せたって、百個集せたって、お富が出来るのじゃぁないんですもの。いくらお富の方を大切に思っているか知れやしません」
「ハ、ハ、ハイ、ハイ」
「だから過失は過失で、一言詫びを言われりゃぁそれまでで済ましてしまうがネ。それよりゃぁ、お富には大いに済まないことがありますよ」
「ハハッ、ハイ、ハイ、ヘイ」
「それぁ、そのまま黙って此家を出て行ってしまって私に不自由をさせたことです。何もかも彼女にさせているのに、急に出て行かれちゃぁどんなに不自由に思ったか知れません。ちょうど好い代わりがあるにはあったようなものの、真底詫びる気があるなら帰って来てちゃんと勤め続ける方がいくら好いかも知れやしません」
「ハハッ、ハイ、ハイ。で、では粗忽をいたしましたのはお免し下さいまして、そ、そして今まで通りお使い下さいまするので?」
「使ってやりますとも、使ってやりますとも! あんな忠義者の気立ての好い児が、磁器の三つや四つ破したって何が何とも思うもんですか」
「ハァーッ、有り難うございます、有り難うございます。早速彼女にただ今の有り難いお考えを申し聞かせなくては」
老人は嬉しさに泣かんばかりの顔になって、許しさえ得られれば立とうと、追立尻になった。
「お富に話すって、近所にでも連れて来ているの?」
「ハイ、イエ。一緒に連れては参りましたが、お裏口の戸外に立たせておきましたので」
「ホホホホ、愍然に! 何だって戸外になんか立たせておくのだろう、早くこっちへ連れておいでなさい」
つづく
 




