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幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(121)

 其 百二十一


 色鮮やかな(かさ)の、大層(つや)っぽく美しい電燈の下、上座(かみざ)にお彤、その少し隔たったところにお龍の叔母、それからまたもう少し下がって座るお龍の三人は、つい先程夜食の膳が引き去られた(あと)、心静かに茶を頂いていた。

 三人三様の心に思いがあれば、顔にもそれが現れている。お龍は自分が頼もうと思って来たことが自然(おのず)半分(なかば)余所(よそ)にされて、思いもかけなかった自分の身が彼家(あそこ)を出て、此家(ここ)に居るように定められたことに、可厭(いや)というのではないけれど、何となく心弾まない心地がするのか、(いつも)とは違って沈んでいるようであった。お龍の叔母は、すべて自分の思い通りになったというのではないが、とにかくお龍を自分が嫌うお関の(もと)から移し奪って、以前お龍から聞いていたことと違わず、裕福で美しく、智慧深いこの家の主人(あるじ)(もと)に居させてもらうようになったので、心も安堵(おちつ)き、莞爾(にこ)つき勝ちになれば、根は善人の(しるし)として、顔に曇りなく、例の小さな三角の眼さえ、その目尻(まなじり)に寄る小皺も(かえ)って可愛らしく見える。ただ、お彤だけは心は動くことはないのか、()く笑い、()く語るけれども、悦んでいるでもなく、楽しんでいないでもなく、今もなお、前刻(さっき)と同じように澄まし返っている。

 お龍は何を思っているのか、沈黙(おしだま)って頭を垂れ、(しき)りに訳もなく自分の衣服(きもの)の袖や膝からはみ出た綿を()んでは()り、()んでは()りしながら、人の話だけを聞いていた。叔母はそんなお龍の様子などへ眼をくれもせず、

「どうも誠に種々(いろいろ)有り難うございます。お陰様で私も安心いたしました。では、私は直接(じか)にはお関には会わずにこのまま国へ帰りまして、恐れ入りますが、お関の方のことは、一切こちら様次第にお任せいたします。もしも、また全然(まるまる)何も無しでは済まないようなことでもございましたならば、悪い奴に関わり合ったのが運の尽きと諦めまして、三十や四十の金は出し惜しみはいたしません。お話しさえございますれば、直ぐにでも差し出します。何もかも此女(これ)のためによかれと思うからでございますので忍耐(がまん)も致します。まったくあんな奴に鐚錢(びた)一文(いちもん)くれてやる因縁(いわれ)はないと思いますけれども、少しばかりのことで(うるさ)関係(ひっかかり)を残すのも可厭(いや)ですし、此女(これ)とあの婆とが往来で出会いました時、此女(これ)に気の()けるような思いをさせるのも可厭(いや)でございますから、それくらいのことなら出しもいたしましょうと思っております。其辺(そこいら)はお含み下さいまして、どうにでも宜しいようにお計らいを願います。此女(これ)のことは改めて今日私からお(すが)り申してお願い申します。至って我が儘な無分別者ではございますが、(しん)から底から悪い奴というのでもないようでございますから、どうか十分に手加減なくお使いなすって、そして、その(うち)相応なものでも見つかりました折には、お鑑識(めがね)で夫でも持たせてやって下されば、もうそれ以上のことはございません。私はこんながさつ者でございましても、姪一人叔母一人でございますから、此女(これ)を棄てる気はございません。どこまでも好くしてやりたいのはやまやまでございますが、とても私には制道(コントロール)できかねる気まぐれ者めでございますので、こちら様へ願うより他には願うところもないような訳でございます故、ご迷惑でもございましょうが、どうかお世話をなすって下さいますように、汚い婆ではございますが、これでも人様のご恩を忘れるような獣畜(けだもの)でもございません田舎者が、折り入ってこの通り、お願い申します」

 と言いさまに頭を下げて、しみじみと真心をもって頼み、

「帰りましたら早速衣類も送りましょうし、また、当人の小遣いなんぞはご厄介にならないようにいたしましょう。万々一当人が不都合なことでもしでかしましたら、決してご迷惑は掛けませぬように必ず私が引き()けますから、何卒(どうぞ)奉公人同様にお扱いなすって、これから先を宜しくお願い申します。ほんとに小さい時からお馴染みであったのが当人の幸福(しあわせ)とは申しながら、これという訳もないのにこんな我が儘者をお願い申しまして、そして快くお引き受け下すって頂くというのも、思えばあまりに有り難過ぎまして、何だか不思議なような気がいたしますくらいでございます」

 と、真顔になってその恩に感謝するのを、お彤は嫣然(にこり)と打ち笑って、

「なぁに、そんなに恩にきて下さることはありゃぁしません。人は各自(めいめい)の気性で種々(いろん)なことをするのですもの! 好いた盆栽(うえき)の世話をしたからって、盆栽(うえき)にお礼を言われたいって思う人は一人もありゃぁしません。ただその樹が好くなりさえすりゃぁそれが嬉しいので、不思議なことも何もありゃぁしませんわ。私ぁお龍ちゃんが好きなんですもの! ただお龍ちゃんが好くなっておくれならそれが本望なので、どんなにか嬉しく思うか知れやしません」

 と軽く答えれば、何不足の無い人の気の持ち方はまた違うもの。世の中にはこのような人もいるのだと、田舎者の自分の心が狭く堅苦しいのに比べて、つくづくと感じ入っている時、

「あの、お富の親父(おやじ)でございますって、妙な老夫(おじい)さんがお台所口へまいりました。お杉さんも知っている人のようですが、どういたしましょう」

 と、そのやって来た客がどんな人なのか、小さい胸に危ぶむような眼色(めいろ)して、年若く可憐(かわい)らしいお春が取り次いだ。

「いいよ。あちらへ行って会うのも面倒だから、ここへ連れておいで!」

「お富の親って、あの私の好きなお富さんの?」

「アァ、彼女(あれ)の」

彼女(あのひと)退(さが)ったの?」

「いいえ、そう()まった訳じゃぁないが、大方それで来たのだろう」

 お龍とお彤との間に問いと答えが交わされる間もなく、お春に導かれて(かが)みながらこちらへ来た男は、お彤の顔をまともに見るか見ないか、(へや)の内に入ることも出来ず、恐れ恐れて敷居の外に座り、まずその痩せ(から)びた大層薄く長く見える手を畳に並べ着けて、頭をその上に摺りつけ、丁寧に挨拶した。電燈の鮮やかな光は光沢(つや)のない細い毛が(けむり)のようにほやほやと薄く残っている頭を照らして、悲しい老いの有様をさらけ出し、それ程見苦しい衣服を(まと)っているとは言えないが、肩がすぼんで、何処となく寒気(さむげ)な様子は、見るものをして、この人は貧しさに(やつ)れて苦しんでいるのではないかと思わせた。


つづく

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