幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(118)
其 百十八
「解ったかェお龍、まぁ何という有り難いお優しいお気持ちだろう。小児の時から可愛がってくだすった上、お前がご恩に背いて犬猫のようなことをしても、別に愛想づかしもしてくださらないで、お前が稽古事をしたければそれもさせてやろう、家に居たいなら家に置いてやろう、後々の身の終結も頼むなら考えてやろう、とこんなに親切にしてくださる方が何処にあるとお思いだ。早く考えを入れ替えて真人間になって、しゃんと一人の女として羞かしくないような毎日の送り方をする身になって、ご恩返しは出来ないまでも、ご親切を無にしないようにしなければ、叔母のこの私にやきもきと余計な苦労をさせるその罰は、たとえお前に当たらないまでも、こちら様の罰が最後にはきっと当たって、お前は碌な死に状は出来ますまいよ。花が綺麗だ、蝶々が可憐い、人形が気に入ったなんぞと、そんな下らない浮かれたことを言っていて暮らせるものじゃない世の中だから、いい加減に目を覚まして確乎とした気になって、どんな男でも構わないから食うに困らない男を持って、そして子でも生んで将来安堵いた生活ができるようにしなくっては済まないじゃぁないか。自惚れていたって可けはしない。情夫に棄てられるくらいの容貌しかなくて、飛び抜けて何が一つ出来るでもない天稟のお前なんぞは、自分で理屈を付けりゃぁ理屈もあるだろうが、世界から言ってみりゃぁ圃中の蛮南瓜か茄子か白瓜で、どうせそこら中にある数物なのだもの、いい加減に熟きた時分にどうかなってしまうのが当然のことで、早速と縁のあるところへ行って、一生働いて、種子でも遺すより他にどうこう言うこともないのだよ。だから私がそのつもりで世話を焼いてやったのに、何だのかだのと駄々を捏ねて人をお困らせだったが、それもまぁ縁が無かったのだとそのことは済ましてしまったところで、大切に大切に蛮南瓜を真綿に包んで蔵い通したって何になるものでもない。やっぱりどうかして片づくところへ片付けてやって、持って生まれた役を済ませなけりゃぁならないから、そこで私がお願いをして、それでは静岡に連れて帰ることは廃案にしまして、お甘え申して済みませんが、どうかこちら様でお使いなすって頂きとうございます。手や足に皹垢切れのきれますくらい何でもこき使って下さいまして、その中に破れ鍋に綴じ蓋で、あんな奴でも貰ってやろうという方でもございましたら、こちら様のお鑑識次第で豆腐屋でも炭団屋でも何でも宜しゅうございますから身を固めさせて頂きとうございます、とこう言って私がお願い申しているのですよ。もう可けません、我が儘は言わせません、何でもかでも私の言う通り、こちら様にお世話をお願いなさい。朝は暗いうちから起きて、夜は遅くまで、火も焚き水も汲み、炊事雑巾がけ、何から何までご奉公人と励み合って働かなくってはいけません。嫌だ何ぞと言ってももう承知しません。さぁ、ちょうど宜い。私と一緒に、判然と改めて今後のお世話をお願いなさい。考えることなんて何もありはしません」
つづく




