幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(113)
其 百十三
お彤と我が叔母とは知り合いではないはずなのに、此家で叔母に会おうとは夢にも思わなかったお龍は、主人の言葉を聞いてもなおも信じられなかったが、まさかと疑う間もなく、早くもお春に導かれて叔母が現れた。身体全体が小柄な上に齢老いているので小さく見えるけれど、石のようにこっつりと堅そうに緊り切った小さい顔、薄くなった癖毛がぴったりと地にかじりついた小さな頭、負けん気が尖って露われたような小さい三角の眼、総てが小振りな中にも毫も緩みのない我が叔母のお近が直ぐに現れたのである。
藍の味噌漉縞の衣を襟元窄く着て、畳み皺の見える黒の紬の羽織に、古ねて堅くなった茶色の細帯を少し胸高にきっちりと結び、妙に角張って座り、畏まって挨拶する様はどう見ても静岡の地方から出て来た田舎婆のようで律儀臭い。しかし、明治の初年に両親に連れられて東京を離れたまま、茶畑、麦畑の間であくせくしながら齢を取りはしたが、根っからの田舎者ではないので、言語だけはそれほどおかしくもない。
「どうも昨日はまことにお喧しゅうございましたでしょう。老年ではございますし、我の張った婆ではございますし、それに田舎におりますので、自然と馬士かなんぞのような大声になってしまいまして、自分の勝手ばかり饒舌り散らしましたから、さぞかしご迷惑でございましたでしょう、とこれでもまた少しはしおらしく、後になってお気の毒に存じましたのでございます。どもう種々何やかやご親切様に有り難う存じました。それにご馳走にまでなりまして、夜分までお邪魔をいたしましたりなんぞして、まことに既年甲斐もなく自分勝手な婆だとお蔑視のことだと思うと、お羞しゅうございました。もし、万一さてさて勝手者だとお愛想尽かしもあろうかと、宿へ帰りましてから些と心配いたしましたが、ナァニ馬鹿にゃぁ怜悧な方のことは分からなくっても怜悧にゃぁ馬鹿なもののことはよく分かるだろうから、こっちが何程か有り難く思っているくらいのことはお分かりだろうから、まぁ安心だ、きっと馬鹿婆だけれど、腹の中は人並みだくらいには思っていて下さるだろうから、とこう先ず勝手に決めてしまって、安堵いたのでございます。ハハハ、どうかご恩には必ず着ますから宜しくお願い申します。では、此女ももう貴女様が今日お招び下さいましたので?」
と、人の言うことはあまり聞かずに独りで饒舌って、お彤には語を挿む間さえ与えないほど、身体には似合わない大きな力強い声でもって先ず話立てた。
つづく




