幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(112)
其 百十二
お龍はお彤が水野を評することに心穏やかではなかった。反駁すのも何となく気後れし、その言うことの多くは当たっているだけにどうすることも出来ず、ただ僅かに、
「あら姉さん、私ぁ端から全然そんなことを思ってやしないのですから、あの人が貧乏性だって、無粋だってどうだって宜いじゃありませんか。不足でも過ぎていても関係のないことですわ。随分酷いことネェ、姉さんの言も」
と、知らないことを粧って、自分に聞き辛い談を少しでも早く外そうとした。
「そうさネェ。ホホホ、関係のないものをとやかく言ってもしょうがないのだがネ、これぁまぁ無意の話だと思って聞いていてご覧よ。お前はどうせあの人をどうのこうのとなんぞ思ってはおいででないというのだから、別に何にも心配はないがネ、ここに気が優しくって、そして侠気のあるような若い女がいて、どうかした心の機勢からあの人を思うようなことがあるとするとネ、早く気がついて引返してしまえば其限で済むけれど、田舎道なんか歩いてもよくあることで、二十丁、三十丁も間違った路へ踏み込んでしまうと、あぁ間違ったと気がついても後へ返る気にはなれないで、どうにかして出抜けよう出抜けようっていうんで、余計な変な路へ入って、下らない苦しみをすることが得てしてあるものだが、ちょうどそんな風に下手に人を思って、少しずつ少しずつ深みへ入って行くと、終いにゃぁ飛んだ目を見なけりゃぁならないような、馬鹿なところへ行って突き当たりもするよ。何でも前途の知れない怪しい路へ入ったら、一、二丁しか歩かない中に立ち止まってネ、じっと考えるか、人に聞くかして引返すのがまぁ肝心で、無闇に歩いて行くのは一番危ないことだよ。あの水野っていう人は一目見ても分かる、性は良い、真人間だよ、不実な人じゃない。だからあの人が別に人を思ってるのでなけりゃぁ、あの人を好いたという女がありゃぁ好いたで宜いのさ。そして、その女の思いもきっとあの人に分かって、小説ならまぁめでたしめでたしということにもなるのだろうがネ、あの人が他の人を一心に思ってるからにゃぁ、性の良い人だけに傍からの思いは受け付けまい。真人間だけに二心は持つまいよ。そうすりゃぁあの人を思うなぁ死路へ向かっていくようなもので、行けば行くだけ草臥れ儲けだから、そんな路へもしちょっとでも歩が向いていたなら、そっちへ踏み込んだか踏み込まない中に後へ引返してしまえばさほど苦にもならないし、損もしないで済むという訳なのだよ。誰しも損路をしないで世の中を歩いて来るものはなかなかいない。お前はお知りではないが、私だって損路を沢山して来ている。お前は私も知っているが、既に一度甚い冗道を歩いて、踏み抜きもしておいでだし、生爪も剥がしておいでだし、散々な目にお遭いだった人だから、今さらまた前途の知れない怪しい路へなんぞ、無闇に入っておいでではあるまいから宜いがネ」
お彤がそう言い終わって黙れば、お龍も聞き終わって黙り、互いに言葉が絶えたところに、小間使いのお春が次の室から現れ、
「あの、昨日お出でなすったお婆さんの方がお出でになりました」
と言えば、
「おぉ、ちょうどいいところへ。こちらへとお言い。お龍ちゃん、お前、吃驚おしでないよ。お前の大嫌いな静岡の叔母さんだよ」
とお彤は笑みを含んで言った。
つづく




