幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(104)
其 百四
ここは普通古薩摩か古九谷とありそうなところだが、そうではなくて、永楽あたりの稀品と思われる形状も品格も佳よくて、彩釉も快く麗しい京焼の茶器で、それを五指白玉とでも言うべき美しい手でもってお彤は自ら扱い、鎚目の銀瓶の湯を徐々に注し終えた後、茶器に玉露の花香を湛えたものを、今、与えてやりながら、鍋島の菓子皿をこれまたお龍の方へとすっと推し進めた。
お龍は心底悦んで茶を味わいながら、
「いつでも真実にもったいないような佳良なお茶ネ」
「ホホホ、お茶ばかり褒めないで淹れ方も褒めておくれな」
「ホホホ、そりゃぁもう、口へ出して言わなくっても……」
「オヤ、そう、嬉しい人ネェ。じゃぁまぁ沢山お菓子でもお食りなすって」
「厭ネェ、ふざけて! 姉さんは人が悪いわ」
と、お龍はちょっと瞋ったような顔をして言い、
「それにこのお菓子は私は沢山ですよ」
と言う。
「嫌い?」
と女主人は軽く真面目に訊く。訊いてからまた莞爾な表情に戻りなりながら、
「まぁ、そうなの」
と、気の毒そうに答えたのは、お龍が思わず自分の好き嫌いの我が儘を口走った無遠慮を羞じて、今さらどうしようもなく、少し曖昧に言葉を濁したからであった。
「いけなかったネェ。甘味のは嫌いとばっかり思っていたけれど、此品が嫌いだったとは知らなかったよ。もっともネ、大体これはお茶にもあまり賞めたものじゃぁないの。そればかりじゃぁない。鳥貝のお鮨だの玉簾だのというものは、悪く気取った女に食べさせてやれなどというくらいのものだったのに、つい私が気がつかなかったよ、堪忍おし。今他のものを何ぞあげるから」
「何故? 気取った女がどうかしでもするの?」
「ソレ、鳥貝は、お前、直ぐには咬み切れないし、玉簾はホロホロと零れがちだし、辛くもあるからネ。いつまでも口をムグムグさせていたり、だらしなく膝を汚して、そして辛さを辛抱する泣き顔をしていたりするのは見好いものじゃぁないからさ」
「あらッ、私ぁそんな訳で嫌いだって言うのじゃぁありませんわ。姉さんのところへ来てちょっとだって気を置いてなんぞいやしませんのに。好うござんすよ、一人で悉皆いただいてしまって、そこいらじゅう食べ零して、そうして沢山みっともない泣き顔をして、笑っていただきますから」
「ホホホホホホ、ホラ始まったよお龍ちゃんの癇癖が。だがお前がちょいと口惜しいという思いをした時にゃぁ、色艶は好し、眼は清しいし、眉毛は綺麗だし、それが悉皆役に立って顔中が活き活きして来て、ほんとに婀娜で可憐らしいよ」
「好うござんすよ」
今度はますます瞋って、いよいよ言葉も少なく、恨めしげにじろりとお彤を睨んで、つんとしてそのまま横を向こうとしたが、そんなことはとにかくとして、言わなければならない用事がある。しばし時間をおいて顔を上げ、
「ネェ、姉さん、今彼室で言い掛けたのはネ、本当に私にお願いがあってのことなんですから聞いて下さいましな」
と、心配げにお彤の顔色を見ながら、真剣な気持ちを籠めて言い出した。
「あぁ可いとも。お前のお頼みのことなら何でも聞いてあげるとも」
これは何とも軽い口調の答えである。
「ほんとに?」
こちらは力を入れて重ねて訊けば、対手は沈着はらって平気に、
「あぁ、ほんとうにさ!」
と、こともなげである。
「あぁ、姉さんありがとうございます、一生忘れませんよ。じゃぁ申しますがネ。こういう訳なんです」
と説明しようとするのをお彤は抑えて、
「可いよお龍ちゃん、こういうのだろう。あの水野さんていう人が職務を離れてしまったことについて、どうにかしてあの人を困窮らせたくないので、私に口を利いてもらい、家の旦那の方にでも好い口がありゃぁしまいか、出来ることなら好い口を探し出して持って行ってやりたい。と、こういう所がお前のお頼みじゃなくって?」
と、お龍の胸の奥の文をすっかり鏡に映し出したように言い出した。
言われてお龍は驚いて目を睜り、
「まぁ、どうしてそう不残姉さんは知ってて? 姉さんの智慧の深いのは前から知っていますが、ほんとにまぁ、どうすればそんなに人の意が解るの? 私ぁあんまりその通りなので、怖いような気がしますよ。全くそういう訳のお願いでわざわざ来たのですが、どんなものでしょう? 姉さん、聞いて下さって?」
と、真面目になって頼むのを、お彤は憐れむようにとも、そうでないようにとも、冷ややかに見やって、
「頼みを聞くも聞かないもありゃぁしないがネ、お龍ちゃん、お前そりゃぁ詰まらないことだろうよ」
と、いたってもの静かに、先ず一言こう切り出した。
つづく




