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幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(100)

 其 百


 疾病(やまい)が徐々に()くなっていく様子を、薄紙を剥ぐようだと誰が言い始めたのか。あれほど一時は危うかった五十子であったが、天寿(じゅみょう)がまだ尽きていなかったとみえ、そこに人の力の効もあって、実際、この頃は薄紙を剥ぐように、日に日に少しずつ()くなって行った。年齢(とし)の勢いもあり、また投薬の効能もここに現れて、一陽来復(いちようらいふく)(*1)の機会を待ちに待っていた若樹(わかぎ)が、なお雪には閉じ籠められ、氷には(とざ)されながらも、既に(ようや)く芽をも蕾をも含んでいて、やがて春風が渡ろうとする(あした)に誇ろうと、(やつ)れ果てた中にも近い将来には健康が戻りそうな色が(ほの)()えるに至った。

 とすれば、(うれ)いの雲が厚く(おお)って、火の消えたように陰気になっていたこの家も、五十子の顔色が()くなって行くにつれ、一室(ひとま)の中は日が出たように賑やかになり、先ず年少の松之助が何かにつけて笑声(わらい)を洩らせば、元気溢れるばかりの看護婦も時折は高笑いして、此家(ここ)は人々の機嫌も好く、談話(はなし)(ごえ)()()きとした陽気な家に打って変わった。

 体温の上がり下がりは少なくなり、(ようや)く平常に戻ろうとする傾向を示し、脈拍はまだ弱いけれども、走らず渋らず、危険の恐れは既に遠退(とおの)いたことを示していた。怖ろしいまでの熱に悩んだ日が少なくなかったので、肉は落ち、骨が立って、今なお一人では何をすることも叶わないほどに衰え果てたが、一昨日(おとつい)より昨日(きのう)、昨日より今日と確乎(しっかり)して来た。病勢が烈しかったため、繊弱(かよわ)婦人(おんな)の身であり、衰弱は尋常(なみ)ではなく、甚だしいものであったが、今から五、六週間も経てば、必ず元気な往日(むかし)の健康体に戻って、日々(にちにち)職務(つとめ)を執ることも出来るだろうとの相良、尾竹の言葉も嘘ではないように思われた。

 五十子の様子がこのようなので、ある(あさ)、松之助は自分でこしらえた熱い牛乳を薦めつつ、その姉の顔をつくづく見守りながら、

「もう大丈夫だ、もう大丈夫だ! ほんとに怖いと思った時もあったけれども、そうとう僕の姉さんは僕の姉さんになった!」

 と無邪気に叫びだして笑い悦んだ。相良が手配してくれた看護婦の芳野は、ある夜体温表を(しる)し終えた(ついで)に、その表をつくづく眺めながら、

「マァ良かったこと、もうこういう様子になって来れば心配はない。一時はほんとにどうなるかと思ったけれど、マァ患者さんも幸福(しあわせ)、私も幸福(しあわせ)で、患者さんは辛抱のし甲斐があり、私は看護のし甲斐があったことになって、相良さんに対しても面目が立つ!」

 と独言(ひとりごと)を言い、また、吉右衛門に命令(いいつ)けられて、お澤の(もと)に居て、人々(みんな)のために雑事を任されていた下女のお塩も、

「水野さんの念力(おもい)だけでも治癒(なお)ると人が言っただが、ほんに可怖(おっかな)いもんだ! とうとう治癒(なお)っただぁ。病が高じた時ぁハァ、どうやってもあの世へ滑り込みそうな顔をしていなすったあの人――あの危なかった人の生命(いのち)を取り止めることが出来たかと思うと不思議でならない。おらぁハァ初めて人の念力(おもい)という可怖(おっかな)いものを目の前に見て魂消(たまげ)ただ。医者(わざ)じゃぁないだ。ほんとに医者(わざ)じゃぁないだ!」

 と、教養のない者の常で、言葉こそ多いが、これもまた五十子の恢復を悦ぶ者の数に入るというものだが、ただあの強慾のお澤婆だけは、

「生きたって面白いとも()まっていない世の中に、とうとうあの人も生き残ったようだ! まだ(ごう)が滅しないので死ねないと見えるだ! 水野の世話で死ななかっただけに、(かえ)って今後(これから)が面倒になるぞ。無銭(ただ)で買えるものは一つも無いだ! 借りは返さずにはきっと済まないだ! 物を取れば代わりを()る。借りた茶は茶で返す。酒は酒で返す! 人の親切は何で返す? 生命(いのち)の恩は何で返す? 生きたのがあの人に幸福(しあわせ)だかどうだか! 病気(やまい)はなくなっただろうが、可厭(いや)なものが残ろう! 死に損なって気の毒なような! 治ってからあの人はどんな気持ちになりなさるかサ! (ごう)が尽きないだ、(ごう)が残っただ! ナニ(なお)ることが芽出度(めでた)いに決まるかい!」

 と、(しき)りに松之助やら看護婦やらの後に()いて悦んでいるお塩に(むか)って、例のごとく、憎々(にくにく)しく冷笑(あざわら)って言い聞かせた。


*1 一陽来復……よくない事の続いた後にいい事がめぐって来ること。

★ 明治36年(1903年)9月21日から讀賣新聞に掲載されたこの「天うつ浪」は掲載中である明治37(1904年)年2月4日に始まった日露戦争により、同年2月10日までで、一時中断された。

露伴は明治37年3月1日号の讀賣新聞で、「天うつ浪愛読者諸君に」と題して、まず前月2月初旬から流行性感冒に罹患し体調を崩していたことを伝え、その後恢復して、再び筆を執ろうとしたところ、運悪く日露戦争が始まったことに触れている。本来なら作家は戦争とは関わりなく、その仕事をすべきなのだが、と断った上で、

()りながら予の腹中の秘を打明けて申せば、「天うつ浪」の是より描写せんとする一大段は、彼のお龍といへる一婦人の上に渉りて、比較的に脂粉の気甚だ多き文字を為さざるべからざるところに臨み居り候」とこれから描く内容が艶っぽく、戦時下には相応しくないと述べ、

「是の如き訳合にて、「天うつ浪」の第百一回以下新に描写し初めんとするお龍、及び其の友にして富人の妾たる容貌(きりょう)自慢智慧自慢侠気自慢の一佳人おとうといへるものの上に就いての稿は既に其の幾分を成しあるにも関わらず、恰も満一百回にして談話の一大段を五十子の回復といふに卒れるを機をして、当分掲載の中止を乞ひ申候」と続けて、一時中断を宣言した。

 そして、

「予は決して「天うつ浪」を半途にして抛擲せず。されば、戦争の状況愈々佳良にして国民の心や忡々たらざるを得るあるの時に至らば、直にまた本誌に掲載して読者の瀏覧を乞はんと存じ居る事に御座候間、右様御承知相成りて「天うつ浪」の掲載を聊か繰り延ぶるに過ぎぬ暫時の間を作者に与え、作者をしてまた自ら悦んで筆を執るに至らしめられん事を希望致し候」と書き添えている。

 また、この時期、露伴の兄である郡司成忠大尉が捕虜となったことも筆を折る大きな要因ともなったようである。


 とりあえず、この「其 百」をもって、私もしばし時間をいただき、次回に備えたいと考えている次第です。



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