幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(92)
其 九十二
親しい仲間同士が久しぶりに会ったことで、痛飲快談が弾み、帰るのを忘れている日方を、羽勝は何度か促し立てて、ようやく二人が暇の挨拶をした時は、日は既に暮れ果てて後、一時間余りを経た頃であった。
お濱、お鍋は後片付けに忙しく、水野は独り机に寄りかかって酔いを吐きながら、飲み慣れない酒に少しばかり苦しみ、頻りに微温い茶で渇きを癒しながら、羽勝が話していた海上の生活がいかに趣味あるかを想像し、あるいはまた翻って、日方が自分を撲った時の勢いの烈しかったことなどを思い巡らしていた。と、日方が引き出して、散らかした自分の雑記が自分の膝近くにあって、その裏面に自分が落書きした万葉集の幾首かの歌が、横に、縦に、逆さまになって自分を慰めるように偶然眼に入った。
唐詩が好きでよく誦えるけれども和歌には疎い日方は、どれもこれが古い歌であるとは知らず、自分が詠んだと思い込んで自分を罵ったが、言い解くのも煩わしいのでそのままにしたために冤罪を負ったことになった。考えてみればそれもどこか厭わしい思いがする。歌は皆他人の歌ではあるが、詠まれた思いは自分の抱いている思いであると、凝然と見詰め入って文字を辿り、『久方の天みつ空に照れる日の亡せなん日こそ我が恋止まめ』と心の中で自ら読んだ。
酔いに心は蒸されるようで、身の筋は弛み、骨節は和らいで、気持ちよくだるさを感じ、精神は何かに憧れるようにつかみ所のないくらいにふわふわと浮いて、ただただ自分を微笑ませるものが生じ、面白く笑い出したくなるような気がする水野は、明らかにこれは酒のせいだと知りながら、なおも自分の心が自然と動くに任せて、何をするともなく恍惚とした状態になっていた。
珍しく水野の顔は暖かげに微紅色に、その眼は優しい光を湛えたけれど、例の癖で物思いに耽っているかのように見えて、身動きもしないので、やって来た吉右衛門は、
「お酒の後ですから考え事は毒になります。些とお話しでもなさいませんか。日方さんと仰る方は結構な方ですが、軍人でいらっしゃるだけに荒い方ですネ。しかし羽勝さんと仰る方でも彼の方でも、皆心底から貴下を思っていらっしゃる、真実に好い方々です。お気に入らないことも仰ってでしょうが、何もかも皆ご親切から出たことですから、お気にお留めなすって悪くなんぞお考えなさらないのがようございます」
と言った。
吉右衛門は水野が身動きもせずに物を思っているのを、心の中で羽勝や日方の振る舞い、物言いが忘れられずに、繰り返し繰り返し思い起こしているのだろうと推測したのだが、そう言われて水野は我に復ってハッと驚いた。まさに自分としては今この老人が言ったように、本当なら、羽勝や日方が自分に与えた数々の言葉について物を思うべきなのに、自分は今そもそも何を考えていたか。羽勝が言っていた海の上の生活についてか。違う、海の上のことなど既に思ってはいない。日方が自分に加えた鉄拳についてか。違う、日方のことなど既に忘れていた。では、自分はこの胸に何を思っていたのか。自分は今日、日方や羽勝に会う前、大士堂の前で思いがけず出会った例のもの優しいお龍を思い出していたのだ。どんな人からの憐れみも受けないだろうと思われる愚かなこの自分のために、我が思える五十子の病が早く癒るようにと、毎日足を運んで祈ってくれたという優しくも優しいあのお龍のことを考えていたのであった。その親しい友達という驚くほどの美人――齢は既に三十に近いだろうと思われるが、人を驚かすほどの美人で、扮装も極めて立派な『おとう』とやらから、お龍の悲しい身の上を朧気に聞いて、終に堪えきれず涙を注いで泣いてしまった。自分は今、その憐れなお龍だけを思い起こしていたのだった。美わしく清らかな恋の誠が、人の偽りによって情けなく廃ってしまい、狂いに狂って悲しみに悲しんだ末の、その女が、苦しい思いに疲れている私を憐れと見て、なおもあり余る優しい情を傾けて自分に寄せてくれるその行為だけを、楽しみの無い今の自分を自ら慰めてくれる薄命なお龍をだけ思っていたのである。自分で自分の迷いに泣き、苦しみ悶えた心の闇に、優しい光の線を投げてくれる星を見つけた心地がして、その人に会えたことを心の底から悦び、嬉しく思いながら、自分は今、その会いたかったお龍を思っていたのである。
つづく




