幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(70)
幸田露伴「天うつ浪 前篇」に続く後篇の現代語勝手訳です。
勝手訳の通り、必ずしも原文の遂語訳とはなっておらず、自分の訳したいように現代語訳していますので、その点ご了解下さい。
露伴はいわゆる当て字を多用しています。なかなか上手く当てていて、興味深くもあり、この勝手訳においても前篇と同様、すべてではありませんが、できるだけそれを保ったままにしています。
後篇の節の付番は前篇からの数字を引き継ぎ、「其 七十」から始まります。
この現代語勝手訳を行うにあたっては、岩波文庫の「天うつ浪 後篇」を底本としました。
其 七十
お龍はそもそもどんな人物か。
お嬢様お嬢様で育てられた身ではないが、生まれついての心情は人とは異ったところがあって、駿府の叔母のところへ引き取られたその夜、はじめて何もない座敷に寝かされ、自分の家ではこうではなかったと物足りない気持ちがして、翌日自分の荷物の行李を解いたついでに、自分の好きな数多い物の中から、平生お気に入りの永徳斎(*1)の小さい人形を取り出して、そっと小棚に飾って置いたが、堅物の叔母の帝釈様のような三角の眼に睨まれて、そんな大きい形体をして人形何ぞを捏ねくり廻して遊ぶということがありますか、蔵ってお置きなさい、みっともないと、ただ一言の下に叱りつけられ、あぁ余りにもつまらない、情けない叔母様、どうすればそんな乾魚のような気持ちになっていられることかと、恨み疑いながらも争いかねて、その時から徐々に「わたしの好きな物」を身の傍に置かずに日を送ることに慣れていった。
そういうことがあったので、頼りにならない男に人生を台無しにされ、涙の淵に浮き沈んだ後、今は他人の家に居候の身で、長閑に玩具三昧の日々を送ることにはならないけれど、伝といい清といい、勝といい彦といい、出入りする若い男どもが争って気を惹こうと、折々にくれた種々の物品の中、伝が持って来た薄色の瑪瑙細工の小さい兎の、姿もしおらしくふっくりとして、ぽっちりと紅い眼が大層可愛いのが甚く気に入り、あれかこれかと穴糸(*2)の色を選びに選び、そのお気に入りの兎のために敷く蒲団に花やかで美しい縫い付けをしてやった。はじめてそれに載せてみた時、色の映り合いが好く、ますます好ましく愛らしく見えた嬉しさの余りの戯れに、此兎は私の大切な人なの! と独り言を言ったのを、それを人から聞いて勘違いしてか、その頃から伝が煩く付き纏うようになった。それは堪らなく迷惑であったが、未だに兎の可愛さは冷めず、何かある時には「卯之さん」と呼びかけて、心の淋しさの遣る方ない時に、語らう友もいない孤独の憂さを、ほんの一時でも慰め忘れたのであった。
そんなお龍は、今一室の中に、眼を慰め心を寄せて情懐の拠り所とすべき物が一つもなくて、床に挿花瓶はありながら、枯れ花さえもなく、机上に筆架けや水滴の姿もなく、裸硯が淋しく置かれただけなのを見て、なるほど、書生さんとはこうしたものか知らないけれど、余りと言えば面白味のない、何と味気ない室かと、ひそかに室主を疎ましく思っていたが、そんなところに、此家の娘が自分を可厭な人と言ったの対して、自分を優しい人だと言ってくれたのを聞いては、憎く思えるはずもなく、あぁまだ知りもしない人を悪く考えてしまった、と思い返していたその時、無造作にすらりと間の襖を開けて、隣の室から出て来た男は落ち着いた様子で自分の前に坐った。
*1 永徳斎……山川永徳斎 江戸・東京を代表する人形司。
*2 穴糸……撚りのかかった太い絹糸。
明治37年2月の日露戦争勃発により「其 百」でもって、いったん掲載が中断します。その後再開されますが、結局「其 百五十七」までの掲載に止まり、未完となります。




