表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/88

幸田露伴「天うつ浪」(後篇)現代語勝手訳(70)

幸田露伴「天うつ浪 前篇」に続く後篇の現代語勝手訳です。

勝手訳の通り、必ずしも原文の遂語訳とはなっておらず、自分の訳したいように現代語訳していますので、その点ご了解下さい。

露伴はいわゆる当て字を多用しています。なかなか上手く当てていて、興味深くもあり、この勝手訳においても前篇と同様、すべてではありませんが、できるだけそれを保ったままにしています。


後篇の節の付番は前篇からの数字を引き継ぎ、「其 七十」から始まります。


この現代語勝手訳を行うにあたっては、岩波文庫の「天うつ浪 後篇」を底本としました。


 其 七十


 お龍はそもそもどんな人物か。

 お嬢様お嬢様で育てられた身ではないが、生まれついての心情(こころもち)は人とは(かわ)ったところがあって、駿府の叔母のところへ引き取られたその夜、はじめて何もない座敷に寝かされ、自分の家ではこうではなかったと物足りない気持ちがして、翌日(あくるひ)自分の荷物の行李(こうり)を解いたついでに、自分の好きな数多い物の中から、平生(ひごろ)お気に入りの(えい)(とく)(さい)(*1)の小さい人形を取り出して、そっと小棚に飾って置いたが、堅物の叔母の帝釈(たいしゃく)様のような三角の眼に睨まれて、そんな大きい形体(なり)をして人形何ぞを()ねくり廻して遊ぶということがありますか、(しま)ってお置きなさい、みっともないと、ただ一言(ひとこと)(もと)に叱りつけられ、あぁ余りにもつまらない、情けない叔母(おば)(さん)、どうすればそんな乾魚(ひもの)のような気持ちになっていられることかと、恨み疑いながらも争いかねて、その時から徐々に「わたしの好きな物」を身の傍に置かずに日を送ることに慣れていった。

 そういうことがあったので、頼りにならない男に人生を台無しにされ、涙の淵に浮き沈んだ後、今は他人(ひと)の家に居候の身で、長閑(のどか)玩具(おもちゃ)三昧(ざんまい)の日々を送ることにはならないけれど、(でん)といい(せい)といい、(かつ)といい(ひこ)といい、出入りする若い男どもが争って気を惹こうと、折々にくれた種々(いろいろ)物品(もの)(うち)、伝が持って来た薄色の瑪瑙(めのう)細工(ざいく)の小さい兎の、姿もしおらしくふっくりとして、ぽっちりと紅い眼が大層可愛いのが(いた)く気に入り、あれかこれかと(あな)(いと)(*2)の色を選びに選び、そのお気に入りの兎のために敷く蒲団に花やかで美しい縫い付けをしてやった。はじめてそれに載せてみた時、色の映り合いが好く、ますます好ましく愛らしく見えた嬉しさの余りの戯れに、此兎(これ)は私の大切(だいじ)な人なの! と独り言を言ったのを、それを人から聞いて勘違いしてか、その頃から伝が(うるさ)く付き纏うようになった。それは(たま)らなく迷惑であったが、(いま)だに兎の可愛さは冷めず、何かある時には「卯之(うの)さん」と呼びかけて、心の淋しさの()(かた)ない時に、語らう友もいない孤独(ひとりみ)の憂さを、ほんの一時でも慰め忘れたのであった。

 そんなお龍は、今一室(ひとま)の中に、眼を慰め心を寄せて情懐(おもい)の拠り所とすべき物が一つもなくて、床に挿花瓶(さしはないけ)はありながら、枯れ花さえもなく、机上(つくえ)(ふで)()けや水滴(みずいれ)の姿もなく、(はだか)(すずり)が淋しく置かれただけなのを見て、なるほど、書生さんとはこうしたものか知らないけれど、余りと言えば面白味のない、何と味気ない(へや)かと、ひそかに室主(あるじ)(うと)ましく思っていたが、そんなところに、此家(ここ)の娘が自分を可厭(いや)な人と言ったの対して、自分を優しい人だと言ってくれたのを聞いては、憎く思えるはずもなく、あぁまだ知りもしない人を悪く考えてしまった、と思い返していたその時、無造作にすらりと(あい)(ふすま)を開けて、隣の()から出て来た男は落ち着いた様子で自分の前に坐った。


*1 永徳斎(えいとくさい)……山川永徳斎 江戸・東京を代表する人形司。

*2 穴糸(あないと)……()りのかかった太い絹糸。


明治37年2月の日露戦争勃発により「其 百」でもって、いったん掲載が中断します。その後再開されますが、結局「其 百五十七」までの掲載に(とど)まり、未完となります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ