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「え?同級生?女の人?」


碧先生がMRIへと慌てて駆けていった出来事の話は、スタッフたちの間で瞬く間に広がった。


「同級生なんだって」

「医師《せんせい》たちも、いつも冷静なあの矢那井先生が!って驚きみたいで、なんとか碧先生と仲が良い咲田先生から情報を仕入れようとしているみたいよ」

「確かに、碧先生は自分では話さないだろうね」

「昔の彼女とか?」

「えー、ショック……」

「でも、昔の彼氏のところに診察に来る?」

「んー、でもこの病院(ここ)って急患以外は紹介状で来るひとばっかりだし、知らなかったんじゃない?」

「昔の彼女に碧先生があんなに慌てるってことは、先生の方が振られたの?」

「えー!?碧先生が振られるわけないじゃない。逆じゃないの?」


同級生としかわからないのに、妄想でみんな好き勝手に話し始めている。

でも……確かにあの時の碧先生、見たことないくらい焦っていた。

本当に昔の彼女なの?




その日の夕方、日勤の仕事を終え着替えていると、同じく仕事を終えた看護師が入ってきた。耳鼻咽喉科の病棟勤務の彼女は、私が「おつかれさま」と声をかけると、入ってくるなり話し始める。


「おつかれ。ねえ、今日の碧先生のこと聞いた?」

「患者さんがMRIで具合が悪くなって、碧先生が慌てたって話?」

「そう。彼女同級生だったみたい。今日入院したんだけど、碧先生が甘いもの持って病室に行ってたの!」

「碧先生が?」

「そうなのよ。碧先生優しいよね~」

「昔の彼女かも?って話してる人もいたけど…」

「あ、それはわからないみたい」

「そうなんだ」


彼女じゃないかもしれないということに、少しだけホッとする。


「すっごく綺麗な(ひと)でね。名前に“ちゃん”付けで呼んでるから、昔の彼女じゃなかったとしても、仲は良かったんじゃない?

じゃないと、わざわざお菓子買って持って行ったりしないよね」

「そう…綺麗な人なんだ…」


名前に“ちゃん”付け……そういえば、矢那井先生は茉莉のことも“茉莉ちゃん”って呼んでた。あれは、小さいころからの知り合いだから?

その人とも、小さいころからの知り合いなのだろうか?


「そうそう、その同級生の人ってピアニストなんだって。綺麗でピアニストなんて素敵よね。でも、聞こえが悪くなるなんて可哀そうよね。碧先生も病室で長いこと話していたみたいだけど……」

「ピアニスト?」


胸がズキンと撥ねた。

ピアニスト……そして、綺麗な人……

胸がドクドクと音を立てているのを感じる。


「早く回復するといいよね。今日はMRIで具合が悪くなったから念のための入院みたいよ。明日には退院……って、ちょっと!水田さん大丈夫!?」

「…あ……うん。平気。今日はちょっと忙しかったからかな」

「顔色悪いよ。疲れているのに引き留めて話しちゃってごめんね。

明日も日勤?帰ってゆっくり休んでね」


心配してくれる彼女に「またね」と言って部屋を出たけれど。


ピアニスト……綺麗な人……

“ちゃん”付けで呼ぶほどの仲の良さ……

あのピアノ教室に、碧先生と同じ年齢の女の人は……

覚えていないけど、茉莉のコンサートの打ち上げにそれらしい人は来ていなかったはず。


茉莉も可愛くてピアノが上手……

前の職場の那賀医師(せんせい)も綺麗でピアノが弾けて……

ピアノ……ピアニスト……


職員用出入口へと足を進めているものの、私の頭の中は混沌としていて、碧先生や茉莉、那賀先生の顔が次々に思い浮かんでくる。


あ…碧先生!


少し前の通路を碧先生が横切っていくのが見えた。

急ぎ足で向かっている先は……ロビー……ピアノ……?


私は憑かれたように碧先生の後を追う。

予想通り、碧先生はグランドピアノの蓋を開けてピアノを弾き始めた。


―――この曲、知ってる。『月の光』っていう曲。


大きな柱の陰から、ピアノを弾く碧先生を伺うと、東側の全面ガラス張りの窓からは満月の光が差し込んでいて……

大切なものにそっと触れるかのような碧先生の指先と音色に、心がキュンとなる。


ピアノの発表会を聴きに行っていたあの頃は、住む世界が違うと思っていた。

大人になって、偶然同じ病院で再開して。

最初は憧れていた碧先生に少しでも近づきたかった。

覚えてもらって、時折話せるようになって。

誰にでも優しい碧先生と近くなればなるほど、いつの間にか自分を見てほしい、特別になりたいと思うようになっていた。


ピアノを弾き終えた碧先生は、譜面台にもたれかかるように両腕を置き、頭を載せている。

満月の光が碧先生の横顔に射していて、はっとするほど美しかった。

でもその表情は憂いが見えていて……


「さて、もう一度病室をのぞいてから帰るかな」


碧先生の声が私のところまで届く。


病室……もう一度………

碧先生に、あんな顔をさせている女の人……

綺麗な人、ピアノが弾ける人……私とは違う、住む世界が違う人……


碧先生が立ち去る足音を聞きながら、私の頬を涙が伝った。



*♪*♪*♪*



【月の光】

「月の光は恋の歌」(https://ncode.syosetu.com/n3866hl/)の中で触れていますが、『月の光』はフランスの作曲家ドビュッシーが初期のころに作曲した『ベルガマスク組曲』の中に入っている曲です。全4曲中、第3番目の曲です。『ベルガマスク組曲」は、トビュッシーが印象派と呼ばれる色彩を見せ始めた頃の作品となっています。


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