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その年以降、私は発表会に行くと保護者の人たちの近くの席に座るようになった。

同じ苗字で華のある顔立ちの男の人は、思っていた通り彼のお兄さんで、その人のこともよく話題に出ていて、兄弟ともに他の保護者には人気者のようだった。

耳を澄ませていることに少し罪悪感を感じつつも、保護者の人たちの会話のおかげで、私は彼のことをたくさん知ることができた。


お医者様の息子だということ。

美人の母親は音楽大学を出ていて、このピアノ教室の先生と同級生だったこと。

華のあるお兄さんも、弟である彼もとても優秀だということ。

このピアノ教室の生徒は演奏レベルが高いのに、音楽の道を目指す人は1~2割程度しかいないこと。もちろん優秀な佐久間兄弟は、本人たちの希望もあって、将来は父親の跡を継いで医者になるだろうということ。


昨年は受験生だという話を聞いていたけれど……無事合格しているのだろうか?

私は会場の椅子に座ると、早速、保護者の人たちの会話に耳を澄ませる。


「碧くん、○○高校でもトップクラスに入ったんですって」

「やっぱりね。ここの生徒さんたち、皆さん優秀だけれど、碧くんは飛び抜けているものね」

「そういえば、3つ違いのお兄さんは無事××大学の医学部に入学したそうよ」

「まあ、お父さまと同じところね。本当に優秀ね。羨ましいわ」

「やっぱり、頭がいいからピアノも上手なのよね」

「ええ、先生も仰っていたわ。頭が良くないとピアノは上手になりませんって」


頭が良くないとピアノは上手にならないの?

じゃあ、ピアノが上手にならないのは頭が良くないってことなの?


母親たちにとっては他愛のない話なのかもしれないし、それは本当のことなのかもしれない。それでも当然のように話される言葉に、ズキリと胸が痛む。

心がザワザワと揺れるのを感じた。


確かに、思い当たることがないわけではなかった。

よく『天は二物を与えず』というけれど、それは嘘だと思うことは、たかが中学生の私ですら思い当たることがあったのだから。


私は………その逆。

二物どころか、一物だって与えられていない。


茉莉のように小柄で華奢でもなければ、背が高くてスタイルがいいわけでもない。太っているわけでもないけれど。

顔は悪くはないとは思うけれど、美人でもなければ、特別可愛いわけでもない。

成績は平均くらい。

得意なこともない。

自慢できることもない。

習っているピアノだって、そこそこにしか弾けない。

両親共働きだが、どちらも普通のサラリーマン。

弟がいるけれど、彼も元気すぎるところがあるが、突出した何かがあるわけではない。

平均(アベレージ)とは私のためにあるような言葉。


幼なじみの茉莉は美人系ではないが、とっても可愛くてピアノも上手。

彼女はピアノが大好きで「ピアニストになりたくて、ほとんどの時間をピアノに費やしているから、勉強は最低限しかしてないわ」と言っているのに、学校の成績は私と同じくらい。本当はとても頭がいいのだと思う。

家にはグランドピアノが置いてあって、いつでも弾けるようにと防音設備がされた部屋がある。見たところ、裕福な家庭なのだと思う。


比べていたら、何だか惨めになってきた。

ここのステージで演奏している人たちは、ひとつひとつが輝いている高級果物。だとしたら私って……ザル盛りの果物みたいなもの?


今日だって、受験生だというのに学校の宿題も、塾の宿題も後回しにしてここにいるし。

せっかく楽しみにしていた年に一度の日なのに、気持ちがささくれ立って、ひどく惨めな気持ちになってきた。


「あら、次は茉莉ちゃんね」


その声に、ハッと我に返る。


「茉莉ちゃんは小さいころからピアノ一筋よね」

「小学生の夏休みに、2時間を1サイクルとして毎日4回やっているってお母様から聞いた時には敵わないわと思ったわ」

「本当。うちの子も茉莉ちゃんの半分でいいから練習してくれるといいのに」


その言葉を聞いて、自分を卑下していた私は、冷や水を浴びせられたかのように心臓がドクンと鳴るのを感じた。


茉莉ってそんなに練習していたの?

2時間を4回って8時間じゃない……


私、どれくらい練習した?

いろいろ理由をつけて、練習しない日だってあった……


茉莉がステージに上がって、ピアノの横で一礼をする。

可愛い茉莉。ピアノが上手な茉莉。

「私にもそんな才能があったら良かったのに」って言うと、「才能はないんだけどね」といつも言っていた。


そんなにピアノを弾いていること、友だちなのに知らなかった。

だから、いつも誘っても遊べなかったんだ。

それだけの時間をピアノに使ったから……だから、上手になったんだ。


私……そんなに一生懸命にしていること、何かあるかな………

努力することすらできない私……


会場に向かっていた時の楽しい気持ちは、すっかりしぼんでしまっている。

ステージから聴こえてくる茉莉の演奏が遠くに聞こえる。

何の取り柄もない、努力もできない自分が居ていい場所ではないように思えてくる。

照明が落とされた薄暗い客席は、冷房が効いているのか肌寒く感じた。


大きな拍手が会場を満たす。

茉莉が一礼し、ステージを降りていくところだった。

スポットライトがあたるステージを見つめたまま、意識が別のところに飛んでいたらしい。


「次は碧くんね」

「リハーサル聴いた?」

「いえ。どうして?」

「碧くん、今年は別人みたいに生き生きとピアノを弾いていたのよ」

「え?ということは、今年が最後?」

「いえ……あ、始まるわ」


え?今年が最後?

その言葉に、覚醒したばかりの私の心臓がドクンと大きく鳴った。

同時に、手には汗が滲んでくる。


そんな。彼を見れる唯一の機会がなくなるなんて……。

ステージに上がった彼は、これまで見せたことのないくらい、にこやかな笑みを客席に向けて一礼し、ピアノを弾き始めた。


軽やかに回転するような曲がはじまる。

ピアノが楽しくてたまらないというのが伝わってくるように鍵盤の上を自由に跳びまわっている。途中、光がキラキラと降ってきて、ピアノの音って綺麗だなと思っていると、重くて少し寂し気な音楽がはじまった。でも、それさえも愛おしいと言わんばかりの表情を見せる。


そんな彼に見とれてしまうけれど……

もっと聴いていたいのに、今年が最後?


最初の音楽が戻ってきた。自由になった鳥が飛び立てる喜びを感じているかのように、彼も笑みを浮かべながらピアノを弾いている。

最後は小さな音で同じ動きを繰り返して、名残惜しそうに演奏を終えた。


大きな拍手に包まれて、少し照れ臭そうな顔を客席に向けている。

でも、その顔は満足感に溢れていた。


「はじめて碧くんの本気を聴いたわ」

「本当に。惚れ惚れするわね…」


後ろからため息混じりの感想が聞こえてくる。

何の曲だろう……初めて彼の演奏する曲に興味を持った私は、プログラムに目を落とした。


『即興曲 変イ長調 作品29』(F. ショパン)


ショパン……知ってる。

茉莉が「難しいの。でも大好きなの」って言ってた。


難しい曲をあんなにかっこよく弾けて、頭も良くて。

手の届かないとても遠くにいる人、住む世界が違う人。

天からたくさんのものを与えられた人……


【ショパンの即興曲】

ショパンは即興曲を4曲作曲しています。一番有名なのは最初に書かれた「幻想即興曲」で誰もが耳にしたことのある曲かと思います。物語に出てくる「即興曲 変イ長調 作品29」

はショパンが「幻想即興曲」の次に作った曲ですが、出版されたのが最初だったために即興曲第1番となっています。ちなみに「幻想即興曲」は最初に作曲されたものの出版されたのは全即興曲中で最後だったので即興曲第4番なのです。


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