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5.お茶会への呼びだし(前編)

 セリアン様のウサギ仮面事件でいだいた危惧が現実のものとなったことを、それから数日後にわたしは知った。

 

 どうやら社交界で、わたしの名前はトレンドのトップを張っているようなのである。誰もが知るセリアン・ロイヒテン様と、誰も知らないクロウディア・ベッカー。

 それにくわえて囁かれているのは、セリアン様がわたしにメロメロであるという噂……いえ、顔面の美しさに毎回失神しているのはわたしのほうです。

 そんなありもしないことを騒ぎ立てるとは、人の噂は恐ろしい。

 

 これは早いところ婚約を解消していただきたい――と思うのだが、セリアン様は次の策を考えていらっしゃるようだった。つらい。

 

 そしてついに、ベッカー家に一通の招待状が届く。

 超・上流階級シークレスト公爵家御令嬢、レベッカ様主催のお茶会である。

 

 内々のお茶会ですから堅苦しいことは抜きで、お友達もつれてきてよろしくてよ――要約するとそんなことが、招待状には書かれていた。

 意外にもこちらを気遣う様子の文面に、わたしは安堵の息をついた。

 

「やさしいね」

「そんなわけないでしょ! 〝内々〟っていうのは『なにがあっても外に漏らすな』、〝堅苦しいことは抜きで〟は『笑ってすませろ』。後半も『怖かったら応援でも連れてこい』……立派な宣戦布告よ」

 

 隣のエリナが目をつりあがらせて叫ぶ。

 

「え? うそ、シークレスト公爵家だよ? レベッカ様といえば品行方正な才女として有名なお方じゃない」

「でも婚約が決まった途端に会ったこともないのに声をかけてくるなんて、面白がっているのは確実でしょう。シークレスト家とロイヒテン家は家族ぐるみの付き合いがあるというから、検分のつもりなのかしら」

「そんなぁ……」

 

 わたしはがっくりとうなだれた。

 突然セリアン様の婚約者になり、大変でしたわね、といういたわりのお茶会かと思ったのに。

 

「いいじゃない、セリアン様と結婚したら社交は必須よ。練習よ、練習。家で本ばかり読んで暮らすわけにはいかないわ」

 

 だから、婚約を解消したいのだけれど……とは、エリナには言っていない。

 

 胃がきりきりと痛む。着飾るのも苦手なら、人前に出るのも苦手。晩餐会などにも極力呼ばれないように、逆方向に気をつかって生きている。

 好きなことは読書。

 

 断れるなら断りたいお茶会だが、断れるわけはなかった。

 おとなしく見世物になりに行くしかない。


 こちらの応援を連れていくとしたらもちろんエリナである。

 わたしと同じ伯爵家の娘とはいえ、エリナの実家はうちのような貧乏貴族ではない。領地経営を軌道にのせたと思ったら急速に事業を拡大し、ここ数年で一目も二目もおかれるようになった存在である。

 家風もあってか才気溌剌としているエリナにわたしはいつも助けられていた。

 

「ねぇエリナ……」

「行くわ。なにか言われたらかわりに言いかえしてあげる」

「えっと、お手柔らかにね」

 

 いっしょにきてほしいと口にする前にエリナは二つ返事で同行をひきうけてくれた。

 こうしてありがたいことに、お茶会へのエリナの参戦が決まった。

 

 

***

 

 

 二週間後の日曜日。

 わたしは、シークレスト公爵邸の応接間で硬直していた。

 

 頭上にはシャンデリアが煌めき、壁にもふんだんに金や銀の装飾が施され、板張りの床は磨きあげられて照り輝く。

 あ、あれはヨクスージャの羽衣と呼ばれる繊細な彫刻技法でつくられたドア飾り。あちらの家具は南方黒檀に千年杉の組み合わせ。花を活けているガラス瓶には最上級の切子。本で図画を見たことしかない品々があまりにも無防備に置かれている。

 この先一生見ることのかなわないかもしれない芸術品の数々にわたしは心の中で感動の涙を流したが、同時に自分からこれから対峙する相手の巨大さに青ざめた。

 

 王家の方々へのご挨拶に一度だけ入った王宮と勝るとも劣らない豪華さ。公爵家といえば王家の血筋に連なる方々、当たり前のことなのかもしれない。けれども家格だけではない身分の違いを見せつけられて、急上昇したのちに急下降した心はすでに折れかけていた。

 

 おまけに招待客の皆様も、本当に同じ年齢なのかと思うほどに艶やかで美しい方ばかり。

 身につけているものも一級品。目の前を横切っていくのは東部メティエの繊細なデザインを施された七宝のペンダント、その隣の方のドレスの刺繍はきっとオルエランドの交易品……。

 

 くずれ落ちてしまいそうになるわたしの腕をとり、エリナがそっと囁いてくれる。

 

「ほら、いま入ってこられた黒髪の、薔薇のドレスの方。あの方がレベッカ様よ」

「あ、ありがとう……」

 

 ちらりと見たレベッカ様はとても麗しいお姿をされていた。

 メリハリのついたお顔立ちを、黒い眉や髪がいっそう惹きたてる。大胆に薔薇のモチーフをあしらったドレスもとてもお似合いで、これだけの豪華なお部屋の真ん中にいてなお、存在感で周囲を圧倒していらっしゃる。

 

 一方のわたしは、セリアン様からいただいたドレスと髪飾りに今風の髪型とお化粧とはいえ、すべてを台無しにするぶあつい眼鏡。

 王都にはレンズを圧縮してフレームもできるかぎり取りはらい、かけているとはわからないくらいの眼鏡もあるそうだけれど、貧乏令嬢に許されるのはぶあついレンズとごついフレームの眼鏡だ。

 

 わたしはおっかなびっくりレベッカ様の前にでた。

 

 ご挨拶をせねばならない。果たしてなにを言われることか……あなたなんかにセリアン様はふさわしくないわ、なんて言われたらどうしよう。そのとおりですと跪いてしまう気がする。

 

「お初にお目にかかります、クロウディア・ベッカーと申します。このたびはこのような場にお呼びいただきたいへんな光栄です」

 

 足、右をひくんだっけ、左だっけ。スカートはどのくらいもちあげるんだったかしら。家で何度も練習してきたのに緊張でうまくいかない。

 ぷるぷるとふるえながら礼をした。ひと仕事終えた気持ちだわ。もう帰りたい……。

 

 泣きそうになりながら顔をあげると、そこには笑顔のレベッカ様。

 歳はわたしより二つ上と聞いた。けれどその年齢差だけではない、紅をひいた唇におとなびたほほえみをのせ、レベッカ様は優雅な会釈をかえしてくれた。

 

「こちらこそ、突然のお呼びたてにもかかわらずおこしいただき、たいへん嬉しく思いますわ。今日はごゆっくりすごされてくださいませ」

 

 ……やさしい。

 想像したような手荒い歓迎はなかった。嫌味を浴びせられるとか高笑いをされるとかドレスに水をこぼされるとか、そういったことはなにも。

 それどころか、レベッカ様はわたしの手をひしと握ってくださった。

 

「実は、今日お呼びしたのは、なにかお困りではないかと思ったからですの。囀る小鳥もゆきすぎれば喧しいですから」

「もったいないお言葉です……!」

 

 さすが、超上流階級の方は性格まで上流だった。

 わたしの手を離したレベッカ様は、笑顔のまま、眉を少しだけ下げた。

 

「それに……セリアン様は……なんというか、あの人は、ほほえんでいらっしゃれば完璧なのですけれど」

 

 あ、レベッカ様、セリアン様の素の性格を知っているんだわ。エリナも言っていたとおり、シークレスト家とロイヒテン家は親しいのだ。

 レベッカ様は、周囲のうわさ話よりも、セリアン様とわたしの関係を心配してくださったようだった。

 

「セリアン様のお美しさは、浮世離れしておりますから……まだ慣れないことばかりです」

 

 妙な台詞だと思うが真実なので仕方がない。

 

 わたしはあいまいにほほえんだ。

 レベッカ様も当意即妙な笑みを浮かべられた。

 

 ふたりのあいだに言葉はいらなかった。

 

 

 わたしは心の中で安堵の息をついた――しかし、当然、これでお茶会は終わらなかった。

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