3.あなたはだぁれ(後編)
謎の男は「うん、そうしよう。ぼくがこれを君に贈るよ」と勝手に納得した様子でうなずき、わたしの斜め後ろへ視線をやった。
「君、贈り先を教えてくれる?」
たぶんそこにはわたしに付き添ってきたメイドがいた。「は、はいっ」と焦ってうわずった声が背後から聞こえる。
「え、そんな、見ず知らずの方にそんなことをしていただくわけにはまいりません。それなら自分で買いますから……」
本当のことをいえば手持ちでは買えないけれど、この場ではそう言うしかない。
「見ず知らず? ぼくのこと、知らない?」
「はい。……どこかでお会いしましたか?」
「いや、ぼくははじめて君の顔を見たよ」
ならやはり見ず知らずの方だ。やけに含みのある言い方をする理由はこのときのわたしにはわからなかった。というか、そこまで頭がまわらなかった。
知らない男性から贈りものを受けとって、悪いということはない。むしろ光栄なことだ。でもそんなロマンチックなイベントが自分の身に起こると思うと逃げだしたくなってしまう。
呆然としているあいだに謎の男はわたしのメイドと店の主とに挟まれて贈りものの手はずを打ち合わせはじめた。どうやって梱包するとか、誰の名でどこに届けるとか。
その際にちらりと聞こえた名に、わたしはフリーズした。
「セリアン・ロイヒテンだ」
男はたしかにそう言った。
わたしのメイドはものすごく挙動不審になっているけれど、名前を聞いて驚いた様子はない。それはそうだ、セリアン・ロイヒテン様といえば王都にいて知らない者はないと言われるほどその美貌で名の通ったお方。彼女もひと目見て気づいただろう。声もうわずるはずだ。
ふと気づいてエリナをふりかえる。エリナは腕で大きく丸をつくっていた。いや、○じゃないわよ……。
ロイヒテン家といえば、家柄も資産もなにもかも上。
その御子息から贈りものの申し出をされて、断れるわけがない。メイドがほいほいと身分を明かしてしまうのも道理だ。
そういえば、互いに名乗っていなかった。
話がまとまってもどってきたセリアン様に、わたしは精いっぱいの辞儀をした。
「ありがとうございます。申し遅れました。わたし、クロウディア・ベッカーと申します」
「うん。ぼくは、セリアン・ロイヒテン」
思ったとおりの名が返された。
「これでよかった。君にとってもよく似合うよ」
セリアン様のお声は明るいが、話はそれだけだった。
わたしがまごついているあいだに、セリアン様は手配をすませると、用はすんだとばかりに手をふって店を出ていかれてしまった。
「……結局、贈りものの理由がわからなかったわ」
美貌で名をとどろかせているお方だ、もしかしたら数寄者……まぁなんというか、その方面に風流を解する人なのかもしれない。
「女性に髪飾りを贈るくらい、パンを食べるようなものなのかも」
そんなわけはないと思いながらもわたしは無理やりそう自分を納得させた。さもなくばどう対処したらよいのかわからない。
だって王都でいまを一番ときめく美形に出会い、贈りものをされた――なんというロマンス。令嬢なら誰もが憧れそうなシチュエーションだが、自分の外見に誰よりも期待のもてないわたしは浮かれることなどできない。
「家に帰ったら、お礼状の準備をして、なにかお返しを考えないと――」
「クロウディア! そんな色気のないことを言ってないで。セリアン様とお近づきになれたのよ!? ここからグイグイと……!」
「ちょ、ちょっと、はしたないわよ、エリナ……」
駆けよってきたエリナに揺さぶられ、わたしは眉を寄せた。しかしエリナはまったく意に介さない。
「はぁ……本当に麗しいお顔だったわね、セリアン様。あのお顔を見られただけで王都に来たかいがあったというものよ」
「わたしはお顔を見られなかったわ」
ほうっとため息をつきながら夢見るように告げるエリナに、わたしは少しだけ羨ましく思った。
眼鏡をあきらめたからこそ、いまをときめくセリアン様にお会いできたのだけれど。そのかわりにお姿をよく見ることができなかった。
***
――話がここで終われば、よくわからないけどラッキーだと思っておきましょう、で終われた。
混然としはじめたのは、その三日後。
真鍮の髪飾りが届けられた。
と思ったら、それ以上に豪奢なドレスや宝石や、屋敷に溢れかえりそうなほどの花束が運びこまれ、おまけに当のセリアン・ロイヒテン様までおでましになり。
「クロウディア・ベッカー嬢を、妻として迎えたい」
あの日ぼやけていた輪郭のすべてからみなぎる気品を放ち、セリアン様は告げた。
やっと見つけた眼鏡で、わたしはその後光の差すほど尊いお姿を直視してしまった。
目の前が真っ白になって、真っ暗になった。
あまりの美貌に失神し、そんな方が自分の婚約者になるという現実を受けいれられず、熱をだして寝込む羽目になったわたしがようやく目覚めたのはさらに三日後のこと。
そのときにはもうすべてが決まっていた。
「いや……無理でしょう!? 顔を見ただけで倒れて寝込むのに、夫婦として暮らせるわけがないでしょう!?」
わたしの指摘に両親はハッとした顔になったが、時すでに遅し。
こんな幸運は二度とないと確信した両親が、わたしがベッドでうなっているあいだに婚約手続きを進めてしまったのである。どうやら両親もセリアン様の魅力に心を奪われきっていたようだ。
「それに――それにたぶん、セリアン様がわたしを選んだのは……」
初対面のわたしが、セリアン様の顔に反応しなかったからだ。
それは眼鏡がなかったせいなのだけれど、たしかにあのときセリアン様を遠巻きに見ていた店のなかで、わたしだけが態度を変えずに品物を見ていたから。
こんな貧乏かつ貧相な娘がセリアン様に結婚を申しこまれる理由はそれしかない。
きっとセリアン様が求めているのは、平穏な夫婦生活。
ならば、セリアン様のお顔を見て失神してしまったわたしには、妻になる資格なんてないのだ。