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22.素顔と本心

 セリアン様の怒った顔を見つめて呆然としていたら、なぜか視界がぐるりと回転した。

 腰と肩に腕がまわされて、目の前には仕立てのよいジャケット。ふんわりと馥郁たる香りまで鼻に届いてくる。

 

 ……これは、セリアン様の腕のなかでは?

 

「クロちゃん、いま泣いてたでしょ? だからぼくの顔がよく見えなくて気絶しないんでしょ。あんまり見てると気絶しちゃうよ」

 

 状況を把握しようとつとめているわたしの頭上から、そんな言葉が降ってきた。

 うぅ、すべてを把握されている。

 セリアン様のお顔がわたしから見えないように、ということらしい。

 

 いえ、あの、これはこれでセリアン様がお話をされるたびに声がすぐそばで聞こえてしまうがゆえに密着している実感が頭を直撃してくらくらするので、えーっと……。

 

 肩ごしにのぞくと、エリナがいた。

 笑顔で小さく手をふってくれる。

 きっとカラディア商会にやってきたセリアン様に出会って、この部屋に連れてきてくれたのね。タイミングがよかったといえばいいのか悪かったといえばいいのか……。

 

「ウィナ嬢、それにマリー嬢、ユイーズ嬢。クロちゃんの言うとおりだよ。クロちゃん以上にぼくを幸せにしてくれる人はいない。だからぼくはクロちゃんと結婚する」

 

 ものすごくいたたまれない気持ちでセリアン様の胸元に身を小さくしているわたしとは対照的に、セリアン様は堂々と言いきった。

 これは、きゅんとすべきシーンだとは思うのですが……。

 

「クロちゃん……」

 

 ぼそっと呟かれたウィナ様の一言にいたたまれなさが増す。

 

「ぼくの婚約者の、クロウディア・ベッカー嬢のこと。クロちゃんって呼んでいいのはぼくだけだから君たちは呼ばないでね」

「……」

 

 セリアン様の真面目な返答に誰もが黙った。

 セリアン様、エリナがうしろでものすごく微妙な顔をしています。数十秒前まで笑顔だったのに。

 

「あの……離してください」

「え、どうして?」

「どうしてもです」

 

 いたたまれなさが限界を超えたのでわたしはセリアン様のお身体を押し、腕から抜けでた。

 

 ウィナ様、マリー様、ユイーズ様は青ざめた顔に困惑の表情を浮かべていた。セリアン様の怒気に威圧されながらも、なにかがおかしいことに気づいたのだろう。

 ……たぶん、ウサギの仮面がセリアン様の心からの策だったことを悟ったに違いない。

 

 すぐに、ウィナ様は顔を伏せて頭をさげた。ウィナ様にならって、マリー様もユイーズ様も。

 ロイヒテン家を敵にまわすことは、彼女たちにはできない。

 

「……失礼いたしました、ご無礼をお許しください。セリアン様」

「わたくしも、失礼いたしました」

「お許しくださいませ」

 

 セリアン様とわたしの隣を抜け、三人はエリナの立つ扉へとむかう。

 エリナがなにごとか声をかけようとして、口をつぐんだ。

 かける言葉などないのかもしれない。わたしと彼女たちは敵対したのかもしれない。

 

 でもやっぱり、こんなふうに終わるのは不本意だった。

 

「あの……ウィナ様、マリー様、ユイーズ様」

 

 お名前を呼ぶと、三人はふりかえらぬまま足をとめる。

 

「本日は、ドレスのお話ができませんでしたから。またぜひいらしてください。わたしもそれまでにもっと勉強しておきます」

「……なによ、それ」

 

 ウィナ様がわずかに顔をうつむけた。けれどやっぱり、その表情はうかがうことができない。

 わたしに伝えることができるだろうか。手紙でも失敗してしまったわたしに。

 

「好きなもののお話をするのって楽しいんです。だから商会で働くのも楽しいのです。皆様はドレスがお好きだから仕立てにいらしたのでしょう? わたしも……そのお手伝いがしたいのです」

「……ごきげんよう」

 

 今度こそ、三人はしずかに部屋を出ていった。

 

 わたしの言葉がウィナ様に届いたかどうかはわからない。けれど、届いているといいと思った。

 わたしが寂しいと思った貴族の社会。

 もしかしたら、ウィナ様も寂しいと思っていたのかもしれない。

 

 ひとつ、深呼吸をすると、わたしは顔をあげた。

 さて、まだ伝えなければならないことが残っている。

 

「セリアン様、エリナ――」

「クロちゃん……!!」

 

 感謝と謝罪を伝えようとして。

 お顔を見ないようにふりむこうとしたわたしは、逃れたはずの腕のなかへ逆戻りしていた。

 

「セ、セリアン様!?」

「ごめんね。クロちゃんに嫌われたのかと思って……怖くて、会いにいけなかったんだ。手紙をくれてありがとう」

 

 先ほどとは違う、守るためではなく、離さないとでも言いたげに力いっぱい抱きしめられる。

 髪に頬をすりよせられ、まさかそんなことをされるとは思っていなかったわたしはうっかり叫び声をあげた。

 

「ギエエエエエエ」

「ふふふ」

 

 乙女の悲鳴も意に介さず、セリアン様は――なんだかものすごく陶酔感と艶のあるお声で、わたしに尋ねた。

 

「ねぇクロちゃん、ぼくのことが好きなの?」

 

 耳元で囁かれた言葉にひっくりかえりそうになる。

 

「き、聞いていたのですか!?」

「うん、ばっちり」

「ヒエエエエエエ」

「もう一度好きって言ってよ」

「いや……っ、だって、あれは……っ」

 

 ご本人に聞かれていないと信じていたから言えたのだ。

 

「クロちゃん」

 

 セリアン様の指先が髪をすいてゆく。きつく抱きしめられていた腕はやさしくわたしを囲うだけになったが、それでも逃がす気はないというようにしっかりと腰にまわされている。

 嬉しそうにはずんだお声が耳を撫でていく。

 

 ――変だ。

 セリアン様のお顔を見ていないのに、空気が煌めいているような気がする。

 

 セリアン様がどんな表情をしているかわかるような気がする。

 きっと蕩けそうな笑顔を浮かべていらっしゃるのだ。だって、お声がいままで聞いたことのないほどに甘い。

 

 どうしてそんなに甘いのかといえば。

 わたしの恋心を知られてしまったからで。

 

 ならば、セリアン様がわたしにむけるお気持ちは……?

 

 セリアン様に抱きしめられながら、心臓が早鐘を打つ。頭に血がのぼってきて、頬が熱い。

 お顔を見ていないのに。

 

 どうして――。

 

「セリアン様、クロウディアが気絶しています」

 

 真っ白になる意識の最後に、エリナの声が聞こえた。

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