21.対決(後編)
「まだわからないの? 以前に言ったでしょう? 毛色が変わっていてものめずらしいだけって」
「楽しくすごしているだなんて虚勢をはっているつもりなのでしょうけれど、こんなところで働いていること自体、セリアン様のご寵愛がなくなったことを示しているのではなくて?」
「……!!」
マリー様、ついでウィナ様から浴びせられる言葉の刃に目を見ひらく。
そんなふうに思われるなんて考えてもみなかった。けれど、彼女たちの推測は当たっている。わたしはセリアン様を拒絶してしまった……セリアン様がいまわたしのことをどのように感じていらっしゃるのか、わたしにはわからない。
嫌われているのかもしれない。それを忘れたくて、カラディア商会へ働きにきた。
ちらりとうかがえば、針子はどうしてよいかわからずに部屋の隅で目に涙を浮かべている。
ごめんなさい、と心の中で謝った。
わたしはまた対応を間違えてしまった。そのせいでほかの人を巻きこんでしまっている。貴族同士の諍いなど、平民である彼女にとっては店の評判を揺るがすだけの問題の種。
呆然とするわたしにウィナ様は口の端をつりあげた。
顔色のすぐれなかったユイーズ様も、いまでは頬を紅潮させ、わたしを睨みつけている。
「本当に……見れば見るほどわからないわ。こんな眼鏡女のどこがよかったのか」
「セリアン様も変わったお人だと思っていたけれど、ここまでだなんて、ねぇ」
「遊んでいたのでなければ、セリアン様も少し……趣味が悪いわ。そういえばウサギの仮面をかぶって出歩かれていたこともありましたわね……」
わたしを囲み、くすくすと笑いを漏らす三人。
「完璧なセリアン様にお似合いなのは、美しい淑女よ。レベッカ様のような……」
「いえ、ウィナ様もお似合いですわ」
「同じ侯爵家ですもの、お家柄もぴったりですわ」
「あらそう? ふふ、侯爵家でセリアン様と同じほどの年頃といえばわたくしだけですものね」
「セリアン様も目が覚められたのなら、きっとウィナ様のところへ……」
かわされる会話にぞっとした。
不意に呼吸が苦しくなって口元を押さえる。わたしの様子に針子はますます顔を青ざめさせたが、目の前の三人は表情を変えなかった。
わたしへと視線をむけているくせに、その実誰もわたしを見てはいない。わたしという人間を知って、非難しているわけではない。
そのうえ、セリアン様すらも、彼女たちは見てはいないのだ。
「……セリアン様と……お話をしたことがおありなのですか」
思わず問えば、ウィナ様は目つきを鋭くしてわたしを見下ろした。
「そうやって、自分が特別だとおっしゃるつもり? お話の機会などそうそうあるわけがないでしょう、淑女は殿方が声をかけてくださるまで待つものよ」
「それならなぜわかるのですか、セリアン様が完璧な方だと」
もちろん、セリアン様は立派な方だ。
でも同時におやさしくて、どこか抜けていてマイペースで、レベッカ様に心配されて。
わたしが気絶しないために、ウサギの仮面をかぶってくださって。
「セリアン様も人間です。完璧などということはありません」
理想どおりにはいかないどころか、斜め上を走っていったりする。
でも、だからこそ、好きになったのだ。
じっとウィナ様を見つめかえすと、ウィナ様も片眉をあげた。
「あらいやだ。捨てられたからってセリアン様を貶めようと?」
三人が笑い声を大きくする。
わたしは、自分の胸の中にふつふつとしたものがわきあがってくるのを感じていた。
熱いそのなにかは、鼓動とともにどんどん大きくなって、握りしめた拳をふるわせている。
「セリアン様は完璧なお方よ」
「ロイヒテン家の皆様は立派な方々だわ。その中でも〝美貌の貴公子〟と呼ばれるセリアン様は、王族からの覚えもよろしいの」
うなずきあうマリー様とユイーズ様。
そして、最後の一言を、こともなげにウィナ様は告げた。
「そんなの、あのお顔を見ればわかるじゃない」
「……!!!」
ぐっと歯を食いしばって叫びだしたくなるのを抑えこむ。全身の血液が逆に流れていきそうな感覚。
これは怒りだ、と遅れてわたしは気づいた。
「つまり、ウィナ様は……セリアン様がロイヒテン家のご出身で、お顔が美しくて、高貴な方々のおぼえがよくて。セリアン様とお話をしたことはないけれど、それだけでセリアン様が完璧なお方だと、そうおっしゃるのですね?」
まるで、産地を特定し、品質を鑑定し、得意先を思い浮かべて、品物に値段をつける商人のように。
そのくせ、一つ一つの品物をじっくりとながめ、来歴を深く知ろうとしないのなら、その商人は上辺だけを見て愛情に欠けると言わざるをえない。
――昔から家柄や顔のことであれこれ言われたし……。
――誰もがセリアンに勝手な理想を押しつけては、勝手に失望して去っていきました。
セリアン様のお声と、オズワルド様のお声が、脳裏に響く。
「そうよ」
ウィナ様の冷たい声が落ちた。
「こんなところで商人ごっこをしているあなたにはわからないかもしれないけれど、それが貴族の誇りというものよ」
「いいえ!」
大声をあげたわたしに、ウィナ様は驚きの表情を浮かべる。
もしかしたら、ウィナ様もいろいろなご事情があるのかもしれない。ウィナ様なりに貴族らしくふるまおうとした結果なのかもしれない。
それでも、そんな理屈でセリアン様を我がもののように扱われるのは許せなかった。
ぼろぼろと涙がこぼれる。
淑女にあるまじき行為だが、みっともないと笑われてもかまわない。眼鏡は曇って視界を悪くするし、鼻水も出そうだけれど、これだけは言わなければならない。
「少なくともわたしは、セリアン様をお慕いしております! セリアン様がロイヒテン家のお生まれでなくても、お顔を見ることができなくても!」
「……あなた……!」
思いだすのはいつも失神する直前に見る、セリアン様の笑顔――それに最後の、悲しそうな表情。
セリアン様と話がしたいと思う。なにを考えているのか知りたいと思う。
許されるなら結婚だってしたいし、いっしょに暮らしたい。楽しい思い出を重ねたい。
――クロちゃん。
すぐそばで、セリアン様のお声が聞こえた気がした。
その声に励まされ、わたしは思いのたけを叫ぶ。
「あなたよりはわたしのほうが、セリアン様を幸せにできます!」
「――うん、ぼくもそう思う」
間をおかず。……背後から、想定外の声が応えた。
「え……?」
よくよく見れば、ウィナ様は青ざめた顔で硬直していて、わたしを見てはいない。わたしの背後……いましがた誰かが同意を示してくれた声の聞こえたあたりを凝視していた。
そして、聞き間違いでなければ、わたしはその声の主を知っている。
おそるおそるとふりむけば、そこに立っていたのは、想像どおりの――この場にいないはずの人物。
「ギエエエエエ」
「あはは、その顔ひさしぶりだね。……あ、ごめん……」
セリアン様がしゅんとした顔になってわたしをさしていた指をおろした。
いや、そうじゃなくて。
セリアン様だ。そう、セリアン様がいらっしゃるのである。わたしが待ち焦がれていたのは手紙であって、ご本人ではなかったはずなのに。
「どうしてここにいらっしゃるんですか!?」
「レベッカが教えてくれてね。返事を出すより早そうだったから」
レベッカ様のお名前に、背後の気配がびくりと揺れた。
「レベッカ様が……?」
ウィナ様の呟きが漏れる。
セリアン様はそちらへと視線をむけた――あきらかに、怒りが含まれているとわかる視線を。
感情を表さないお顔は作りもののように冷徹で、アイスブルーの瞳は冷えびえと底の知れない色をたたえている。
美形は、怒っても怖くないのかと思っていた。
わたしはそれが間違いだったことを知った。
「君たちがクロちゃんを泣かせたの?」
怒りをたたえた美形は、身ぶるいするほどに美しく、身体の芯から凍りつきそうなほどにおそろしかった。