18.レベッカ様の思慮
カラディア商会で楽しいひと時をすごし、レベッカは胸をはずませながら帰路につこうとしていた。
「まさかクロウディア様があれほど語れるお方だったなんて」
生地の特性――この生地はシャンデリアの光の下では青みがかって見えるでしょうとか、ドレープが美しく作れますとか、刺繍にも耐えられますとか、そういったことをクロウディアはすべて教えてくれた。
ドレスのデザインを決め採寸を終わらせたあとは、展示室を見てまわった。そのときには説明役を買って出、レベッカの質問にも言いよどむことなく答えるので、最後には店中の顧客が彼女の周りに集まっていた。
お茶会に招いたときからクロウディアはほかの令嬢たちとは違う空気をまとって、セリアンが目を止めただけあるとは思ったが、まさかここまでとは。
セリアンの妻になるのならばこれからも交流が持てるだろう。今度はエリナと三人で親密な会にしたい。エリナもなかなかに野心家で面白そうな子だった。
「……けれど」
と、レベッカは馬車にむかいかけていた足を止めた。手をかしていた従者がレベッカを見る。
「クロウディア様は、なにか心配事がおありのお顔でしたわ……」
おかしいといえば、クロウディアがエリナの店を手伝っていること自体おかしいのだ。
セリアンは婚約者にメロメロで、おれたちもいますぐにでも結婚してほしいくらいだ、たしかにあの子はいい子だ――とクロウディアを大絶賛する手紙がオズワルドから届いていた。
オズワルドがそう言うなら、長兄ニールもおなじ意見だろう。
二人の仲は順風満帆そうに見えるし、ならば結婚の準備が進んでいてもおかしくない時期だ。
そんな時期に新しい仕事を始めるとは。
花嫁修業の一環と思えなくもないが、ロイヒテン家の新事業に備えてというわけでもなさそうだった。
「ロイヒテン家のお屋敷に寄ってちょうだい」
突然の訪問は不躾だが、シークレスト家とロイヒテン家は懇意にしている家同士。なにせ一時はセリアンの妻にレベッカを……という話まで持ちあがったほどだ。その場にいたセリアンの「えぇ……レベッカと一生暮らすのはちょっと……」という一言で三十秒でポシャったが。
「こっちの台詞よ!」と激怒した記憶はまだ鮮やかだ。
まぁそういった過去もあるので、レベッカはロイヒテン家に対して我儘も言える立場である。
馬車は命令どおり、ロイヒテン家へむかって動きだした。
四半刻ほどの道を、石畳の凹凸に揺られつつクロウディアの不安げな表情の理由はなんだったのだろうとレベッカは考えた。
屋敷に入れば驚きの光景が広がっていた。
古いよしみで、と通されたセリアンの自室では、婚約者にメロメロのはずの男がズタボロの格好で寝込んでいたのだ。
「セリアン坊ちゃまは、先ほどお目ざめになられたばかりで……この数日、食事も喉を通らず、起きあがることもできず」
爺やが小声で言うのにうなずく。
けれど、ただの体調不良ではあるまい。
予想どおり、呆然と天井を見上げるセリアンの唇からこぼれた呟きは、さらに深刻だった。
「クロちゃんに、嫌われた……」
「あぁ……」
そうだったのか。
セリアンの一言で瞬時にかつ完璧に状況を把握し、常に完璧な淑女であるレベッカの口からも呻き声が漏れた。
セリアンはクロウディアに婚約を解消されたのだ。
やはりこのド天然常識外れ男では、いくら顔がよくてもだめだったか。婚約者をクロちゃんなどと呼んでいては当然だ。
「ぼくは女性の気持ちがわからないのかな……」
「そうね、顔がよすぎたせいかもしれないわね」
「……だったらこんな顔じゃなくてもよかった……」
いまにも泣きだしてしまいそうなセリアンの声は、腐れ縁の幼なじみの胸をも締めつけた。クロウディアを想う気持ちは本物だったのだ。
「……あら、でも……」
セリアンとともにため息をつきかけて、ふと、レベッカは大切なことを思いだした。
クロウディアはセリアンに恋をしている顔だった。嫌っていたら、あんな表情はしない。セリアンを思いだすのがつらい、という顔だった。セリアンを思いだすのが腹立たしい、ではなく。
首をかしげて数秒ののち――聡明なレベッカはさらなる真相に到達した。
「あなたたち、こじれているのね」
馬車の中で考え続けていた問題の、最後のピースがはまる。
いきいきと工芸品のよさを語る記憶に上書きされてすっかり忘れていた。クロウディアは自分に自信がないのだ。
お茶会のときだって、レベッカに話しかけるのに戦々恐々といった顔だった。それに、自分の容姿にも引け目を感じていそうだった。ぶあつい眼鏡が重たいかのようにうつむきがちなクロウディア。
そんな娘の隣に外見は完璧で中身はぶっとんだ男を置いたら、こじれるに決まっている。
レベッカは肩をすくめて従者の用意した椅子に腰をおろした。
「嫌われてなんかいないわよ」
セリアンがさぐる目つきでレベッカを見る。
「あなたの大切なクロちゃんはあなたのことを考えているみたいだったし、あなたよりも前向きだったわ」
「クロちゃんって呼んでいいのはぼくだけだから呼ばないで……」
息もたえだえな風体でなにを言っているんだこの男は。
「面倒くさい男ね。わたしが言いたいのは、彼女はちゃんと自分の想いを伝えてくれるはずよっていう励ましよ」
「クロちゃんに会ったの?」
「今日ね」
おりしもそこへ、大量の封筒を携えて執事が入室してきた。
セリアンの元には晩餐会への招待状やご機嫌うかがいの手紙も含め、毎日たくさんの書状が届く。寝込んでいたためにそういったものが取り次げなかったのだと執事は弁解した。
「遅れてしまい申し訳ありません。セリアン坊ちゃま、お手紙です。婚約者のクロウディア・ベッカー様より――」
「クロちゃんっ!?」
毛布を蹴り飛ばしてがばりと跳ね起きたセリアンの必死の形相に、隣で見ていたレベッカは半笑いの表情を浮かべた。
この男でもこんな顔をすることがあるのだ。
むしろ、このド天然男にこのくらいの顔をさせることができなければ、結婚など難しいだろう。
「あなたの婚約者はジェイク伯爵家にご逗留中。日中はカラディア商会にいらっしゃるみたいよ」
「ありがとう、明日にでも行ってみるよ」
急に生きいきとしはじめたセリアンの顔色を見、レベッカはため息をつくと帰り支度を始める。
いろいろとまわり道の多そうな二人だが、おそらく大丈夫であろう。
おそらく。