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16.エリナの励まし(後編)

 数日のあいだ、わたしはカラディア商会で働いた。

 

「この風景画はセザールのものではありません。サインが異なります。たぶんこれは……ポーレの作ではないかしら」

「なんと! セザールの作という触れ込みで買い付けたのですが。しかしポーレならば愛好家の方がおられます。その方に商談をもちかけてみましょう」

「それからこの陶磁器のヒビは貫入といって、瑕疵ではなくデザイン上のものです。使っていくうちに色が入ってきて味わいが出ます」

「そうなのですね。では苦情を入れるのはやめておきましょう」

「こちらは瑕疵ですね。メーン地方の香油壺は持ち手の部分に三つの突起があるはずですが、二つしかありません」

「たしかに欠けたような跡がありますな……言われなければ気づきませんでした」

「ほかのものは、大丈夫そうですわ」

 

 わたしの隣には商会の副理事と言われる方がついて、わたしの言葉を手元の帳面に書き留めていく。

 その様子を、エリナがしげしげとながめていた。

 

「……クロウディア、想像以上にすごかったのね」

「そんなことないわよ」

「とーっても生きいきとしているわ」

 

 たしかにそう言われると、この仕事は天職かもしれない。

 わたしの頭の中にある知識は、本を読んで身についたものだ。本には美術品や工芸品の特徴が詳しく描かれていて大好きだったけれど、実物はほとんど見たことがなかった。だから本の知識と現実の物品を重ね合わせる作業が楽しくて仕方がない。

 

「クロウディアが来てから検品や仕分けの効率がぐんとあがったの。これまでこの知識を活かしてこなかったのが純粋にもったいないわ。輸入業をする家なら誰もほしがるわよ」

 

 感心した声をあげるエリナに、わたしは苦笑を返した。

 

「小さいころから本ばかり読んでいたから……おかげでこんなぶあつい眼鏡のお世話にならなくちゃいけないの」

 

 お母様も眼鏡をかけていらっしゃるから、遺伝の部分もあるのだとはいう。けれどもここまで悪化したのは積み重ねた読書のせいだろう。

 自業自得とはいえ眼鏡をかけた顔はコンプレックスで、だから人の顔もあまりおぼえられず、余計にいくら一方的にながめていてもよい本や美術品にのめりこんだ。

 

 そのおかげでセリアン様に出会えたのだけれど……。

 

 ふと頭をかすめた考えにずきんと胸が痛んでわたしは服の下の指輪を握りしめた。

 

「こういうのは付け焼き刃にはできないことだから、自信を持っていいのよ」

「左様です。部下にも勉強させておりますが、クロウディア様のようになるには何年もの時間がかかりましょうな。クロウディア様が我が商会で働いてくださるのであれば、給金は月に――」

「……!」

 

 考えても見なかった言葉に目を見ひらく。すぐにエリナが割ってはいり、腰に手をあてて副理事を見た。

 

「セバスチャン! それはさすがに急すぎるわよ。今回のことはわたしがお父様と話をしたの。お父様から謝礼をだすわ」

「ややっ、それは失礼いたしました」

 

 エリナに咎められて副理事は白髪まじりの頭をぺこりと下げる。

 

 わたしはといえば、目の前に提示された選択肢に雷に打たれたような衝撃をおぼえていた。

 

 給金。

 爵位や領地を継ぐのは限られた人たちだけだ。娘たちは不自由のない暮らしをさせてくれる家に嫁ぐか、働きに出て稼ぐしかない。

 わたしのような者をもらってくれる家などないと信じていたから、いずれは家を出て働くことになるかもしれないと考えてはいた。

 もしカラディア商会で自分の知識を活かして働くことができるなら、一人でも生きていけるかもしれないのだ。

 

 貴族のなかには、商業に手をだす貴族を蔑む人々もいる。だからエリナは気をつかってくれたのだろう。友人に頼まれて手を貸すのと、実際に雇われて働くのでは周囲の目が変わる。

 貴族とは貴い一族であり、先祖伝来の土地から得られる収入によって働かずとも暮らしてゆける富が本懐だ。商取引はさらに嫌われた。同じ貴族や、ましてや金を持つだけの庶民に頭をさげて商品を売るなど――というのが、一部の人々の主張である。

 

 でも、わたしはそうは思わない。

 見ているだけで心はずむ品々を、適切な説明を添えて誰かの手に渡すことができるとしたら、それはすばらしい仕事でしょう。貴族だからしてはいけないということもないはず。

 

 副理事が去ったあとで、エリナとむきあう。

 

「ごめんなさいね、本当に人手不足なのよ」

「謝ることじゃないわ。とってもありがたいお申し出よ」

 

 エリナは頬に手をあて、考える仕草になった。

 

「わたしも、クロウディアがカラディア商会にきてくれたらうれしいとは思うけど……」

「けど?」

 

 言葉を濁すエリナに首をかしげると、エリナはわたしをまっすぐに見つめて笑う。

 

「ロイヒテン家も工芸品の輸入業を始めたの。あちらは貴金属専門だけど、クロウディアの知識はきっと役に立つわ」

 

 わたしは息をのんだ。

 

 この数日、エリナはなにも言わなかった。

 わたしが仕事に自信を持てるようになってから伝えてくれようとしていたのだ、とようやく気づく。無理に事情を聞きだすことをせず、まわり道をして教えてくれた。

 

 エリナはそっとわたしの手をとり、やさしく握りこんだ。

 言葉にはしなくとも、それだけでエリナの思いやりは伝わってくる。

 

 わたしにも、セリアン様のお役に立てるようなことがあるかしら。

 なんのとりえもないわたしを妻に迎えたせいで、セリアン様がご家族や社交界の皆様から白い眼をむけられるのは嫌だった。もしわたしの知識がロイヒテン家にとってプラスになるなら……。

 

 わたしも、セリアン様の妻として、認めていただけるだろうか。

 

 目を閉じ、胸元の指輪をドレスごしに握りしめる。

 以前セリアン様から尋ねられた。

 結婚したいのか、と。

 

 自信がなくて逃げつづけてしまったけれど、叶うのであれば、わたしの願いは――……。

 

 目をあけて、エリナを見つめる。

 

「ありがとう、エリナ。わたし……セリアン様にお手紙を書くわ」

 

 今夜、ジェイク家のお屋敷に戻ったら、紙とペンを貸してもらいましょう。

 そして自分の非を詫び、きちんとお話がしたいことを告げるのだ。

 もう嫌われてしまったかもしれないと思うと胸が痛むけれど、それでも謝るだけはしなければ。このままなにもせずに知らないふりをするなどできない。

 

「その調子よ、クロウディア!」

 

 エリナが抱きついてきた。ぽんぽんと肩を叩かれて、わたしもあたたかな気持ちになる。

 

「――あ、でもね」

 

 ふと、身体を離したエリナは、思いだしたように言った。

 

「明日もまだいてくれる?」

「えぇ、どうして?」

 

 セリアン様にお会いするとして、まず日程を決めるところからはじめなくてはならないから、手紙のやりとりに数日はかかるだろう。

 二時間かかる自宅に帰るよりも王都の中心地に近いジェイク家に泊まらせてもらったほうがいい。

 

 そう言うと、エリナはニッと笑ってピースサインをした。

 商人の笑顔で。

 

「明日、ドレスをご予約のお客様がくるのよ」

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