15.エリナの励まし(前編)
目覚めれば、自室のベッドだった。
そばについていたメイドが「お嬢様の意識が戻られました……!」と大あわてで出ていく。どうやらわたしは寝込んでいたようだった。
すぐにお父様が駆けつけてきて、わたしの想像が正しかったことを教えてくれた。
「お前はまた熱を出して眠っていたんだよ。婚約指輪をいただいたんだろう? よほど嬉しかったようだね」
安堵半分、呆れ半分といった表情でお父様は笑った。わたしの昏睡はセリアン様のお顔をはじめて見たあの日と同じものとして受けとられたようだ。
セリアン様から事情は伝わっていないらしい。
「お腹はすいていないかい? すぐに食事の用意をさせよう」
「はい……」
ベッドに身を起こし、なにげなく視線を落とせば、右手の薬指は拒絶したはずの婚約指輪で飾られていた。
「……!!」
息が詰まりそうになって口元を覆う。
「セリアン様はまた近いうちにお会いしたいと言っていたよ。そう恥ずかしがることはない。クロウディアはわたしたちの自慢の娘だからね」
わたしの肩にやさしく手をおくと、お父様はしずかに部屋を出ていった。わたしをおちつかせるために配慮してくださっているのだ。
お父様は、セリアン様が会いたがってくださっていると言ったけれども。
わたしはそうは思えなかった。
これまでのご様子からして、会いたいと思ったならセリアン様はすぐに訪問の手はずを整えてくださる。けれどもテーブルには言伝も手紙もなにもない。
「怒らせてしまったんだわ……」
わたしを家まで送り届けてくださったときには、きっとまだ心配のほうが勝っていたのだろう。
けれど時間がたって冷静になれば、あれほど失礼な態度をとられたのだ。わたしのことが嫌いになって当然だ。
やさしいお方だから、言いだせないのかもしれない。
もともと婚約の解消を申し入れたのはわたしだ。わたしからセリアン様のご意向をきちんと確認し、執事に言って目録を出させ、いただいたものを返して――。
最後に見たセリアン様の表情が脳裏をよぎる。
わたしは両手で顔を覆った。
確認だとか、返却だとか、わたしがやらなければならないのはそんな形式ばったことじゃない。
傷つけたことを謝ることだ。わたしの身勝手でセリアン様をふりまわしてしまった。
わかっている。
わかっているけれど、自分の気持ちを自覚してしまったいま、怖くてたまらない。
思えばずっと、身勝手だった。
自分に自信がもてないせいで、セリアン様のお言葉からも、自分の気持ちからも逃げつづけた。
自分はふさわしくないのだと、結婚できないのは仕方がないことだと諦めようとしていた。
その結果、セリアン様のおそばにも、セリアン様からの贈りものが飾られたベッカー家にすら、わたしの居場所はなくなってしまった。
***
わたしが逃げた先は、エリナのいるジェイク伯爵家だった。
ドレスに隠れた胸元には、セリアン様からいただいた指輪が、細い金鎖に通されて揺れている。真鍮の髪飾りとともに、しまっておくための小箱をいただけなかったから、失くしてしまっても困るから……と自分へ言い訳を重ねて身につけてきたものだ。
未練がましい、と思う。
けれど、この二つだけは残していけなかった。
わたしを出迎えてくれたエリナに頭をさげる。
「急にごめんなさい、エリナ」
突然の訪問は友人関係でも不躾にあたる。なにかあったことに気づいただろうに、エリナは一切の詮索をせず、それどころかにんまりと笑った。
「ずっと前から思っていたのよ、クロウディアの博識はまたとない儲けの種だって!」
事情を知りたがるはずのエリナの口から出たのは、思ってもみなかった言葉。
「エ、エリナ?」
「実はいま、うちの商会最大の繁忙期なのよね! 人手が足りないの、うちにいくらでもいていいから、仕事を手伝ってちょうだい!」
「ちょっと!? どこへ行くの!?」
「だから、カラディア商会よ!」
泊まりのための荷物を解く暇もなく、わたしはエリナに手をひかれ、ジェイク伯爵家から王都にあるカラディア商会の店舗へと連れこまれた。
エリナの真ん中のお兄様は、十年ほど前に大規模な出資をし、カラディア商会を立ちあげた。香辛料や絹織物といった異国の輸入品からはじまり、カラディア商会は徐々に扱う品目を増やし、貴族の中にもたくさんの顧客を得ている。
カラディア商会の目玉ともいえるのが、王都の中央通りに位置する本店だ。なにも買わなくとも店を訪れるだけで入店料が必要で、できた当初は話題になった。
店内の半分には王都でもなかなかお目にかかれない舶来の品が多く展示され、残りの半分は商談スペースとなっている。訪れた客人は実際に商品を目で確かめ、商人たちとやりとりをする。
または、入店料を払い滅多にお目にかかれない異国の美術品を見るだけでも価値があるということで、カラディア商会へ出向くことは貴族たちのステータスとなっていた。
わたしはエリナの厚意で何度かはいらせてもらったけれども、目玉が飛び出るほどの価格帯に気疲れしてしまう場所でもあった。
そんな場所へ、なぜ連れてこられたかといえば。
「これ! 南方からとりよせた絨毯なんだけど、どれがどれだかわからなくなってしまって……」
エリナが指さしたのはまだ店頭に並ばない商品を収めている部屋の一角。
たしかに数々の絨毯が、どこか雑然と放りだされていた。聞けば、搬入中のミスで荷が解けてしまったのだという。
「クロウディアならわかるんじゃないかと思うの」
眉をさげて手をあわせるエリナにわたしはうなずいた。
絨毯は図柄に特徴がある。実物を手にとって見なければ同定できないというものでもない。
「えぇ、絨毯なら本にも図柄の違いがたくさん載っていたから……そうね、これはマーリン産、こちらはベレルイユ産、それからこの赤い房飾りのあるものはネケマ産だわ」
「さっすが! ちょっと、誰かきてちょうだい!」
いくつかを示して産地の違いを示すと、エリナは手を打ってよろこんだ。すぐに使用人たちがやってきて絨毯の仕分けをはじめる。
小一時間ほどで、雑然としていた絨毯は値札をつけられ、意気揚々とした使用人たちによって運びだされて行った。
エリナがわたしをふりむく。
「ほかにも手伝ってほしいことがたくさんあるのよ。もちろんきちんと謝礼は出すわ」
「……大丈夫なの?」
部外者のわたしを入れてもいいのかとも思うし、間違っているつもりはないが、わたしにこんな仕事を任せてもよいのだろうか。
「いいのよ。お父様にも言ってあるし、本当に人手が足りないのよ。物は増えるのに頭のほうがついていかないの。だから、ね。友達を助けると思って!」
「それなら……」
手をすりあわせて拝まれては、断れない。
「ならさっそく、むこうのもお願い! 最近地方の工房とも取引をはじめたから、クロウディアの好きな真鍮細工もあるわ。見ているだけで楽しいわよ」
エリナの指さす先には、彼女の言ったとおり、硝子棚に飾られた金属細工があった。
見たこともない造形をしたそれらは、たしかに心がはずむものだった。
これはエリナ流の励ましなのね。
わたしが悲しいことを忘れ、好きなものを見て少しでも気持ちが癒されるように。
「ありがとう、エリナ」
「なんのこと?」
それに気づいてお礼を言ったけれども、エリナは笑ってはぐらかすだけだった。