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13.お兄様たちの困惑(後編)

 先触れの使者が侯爵家のご子息様たちの訪問を告げ、ベッカー家はにわかに慌ただしくなった。シェフは食料庫をひっかきまわしてお口にあいそうな食材を探し、貴賓を迎えるための緋色のカーペットが敷かれ、わたしも大あわてで身支度を整える。

 

 やがて、庭から、馬のいななきが聞こえた。

 

「クロウディア! いらっしゃったよ! 準備はいいかい!?」

 

 お父様の声が響く。

 よいか悪いかでいえばよいと返せることはたぶん一生ない。わたしもドレスを着替え、お化粧をして、悩んだすえに眼鏡をかけた。眼鏡を外して地味な顔立ちをさらしたほうがいくらかマシかもしれないけれど、お兄様方の顔が見えないのはやはりよろしくない。

 そうこうしているうちに正面玄関の扉がひらく。

 

 訪れたのはニール・ロイヒテン様とオズワルド・ロイヒテン様。

 ニール様はロイヒテン侯爵家の次期当主であり、すでにご自身も伯爵位をもつ。貧乏伯爵家の我が家から見れば同格どころか雲の上のお人だ。

 ――しかも、顔が怖かった。

 

 現れた巌のごとき巨体に、ベッカー家の面々は声を失った。

 

 

***

 

 

「ニールは人見知りなところがありまして、はは、お気になさらず。王都の帰り際に立ち寄らせていただいたのです。無理を言って申し訳ない」

 

 応接間のソファに腰かけ、オズワルド様がにこやかに笑う。

 正面玄関で一瞬硬直したことは思いっきり気づかれていたようだ。内心で汗をだらだらかきながら、お父様とわたしは笑顔をはりつけていた。

 

「弟のセリアンがあまりにも嬉しそうにクロウディア嬢のことを惚気るものですから、どうしても興味がわいてしまって」

 

 挨拶を口にした以外なにも言わないニール様とは対照的に、オズワルド様は饒舌にしゃべりつづけた。

 セリアン様の面影のあるお顔でじっと見つめられ、思わず視線を伏せる。

 

「クロウディア嬢のことをね、かわいいお嬢さんだと自慢していました」

「もったいないお言葉です……」

 

 恐縮しつつ、それならどれほど落胆されただろうかと心の中でため息をついた。

 ご本人がお美しすぎるせいか、セリアン様の美的感覚は一般的なそれとはかなり離れていらっしゃる。期待して我が家を訪れたのに、出てきたのがこんな冴えない娘でがっかりされたに違いない。

 

 ニール様もオズワルド様も、種類は異なっても各々威厳と気品を感じさせるたたずまいだ。

 セリアン様とわたしでは住む世界が違うのだとあらためて思い知らされる。

 

 ――もしかして、お二人がいらっしゃったのは、婚約を解消したいというお申し出のためなのではないかしら。

 

 ふと閃いた推測に心臓がドキンと鳴った。

 我が家と、わたし自身が、セリアン様にふさわしいかどうかを確認にいらしたのでは。

 

 そう考えてしまえばそうとしか思えなくなる。ロイヒテン侯爵家ともなれば、妻となる人間は当然その血筋に迎え入れるだけの価値があるかどうかを問われるだろう。

 セリアン様がどのようにわたしを褒めてくださろうと、家の決定には逆らえない。

 

 ロイヒテン侯爵家からは婚約の挨拶としてお手紙が届いていたが、顔合わせはしていない。

 セリアン様がわたしに婚約を申しこんでしまったためにいったんは許可したものの、あらためて検分にこられた……十分にあり得そうなことだ。

 

 身体にふるえが走り、無意識に握りしめた手には汗が浮かんだ。血の気がひいていくような感覚。……しっかりしていなければならないというのに。

 霞みそうになる視界でそれでも必死にオズワルド様にむきあうと、オズワルド様の蒼い瞳が見ひらかれた。

 

「……もしかして、君もド天然……?」

 

 自身の鼓動の大きさに眩暈すらおぼえていたわたしは、うっかりとオズワルド様の呟きを聞き逃した。

 

「あの……」

「失礼、なんでも」

 

 聞き返そうとしたが、その前に話を打ち切られてしまった。

 ニール様は心配げにオズワルド様とわたしを見つめていらっしゃる。

 オズワルド様は口元に手をあて、視線をさまよわせた。天井の染みを発見したのかもしれない。やはりこんな家とは付き合えないと考えているのかも。

 

 やがて、オズワルド様はゆっくりと口をひらいた。

 

「おれは、他人の恋路に口を出さない主義なんです。本人同士の問題ですからね。でも、今回だけ……一つ、話をしてもよろしいでしょうか」

「もちろんでございます」

 

 お父様がうなずく。

 でもわたしは聞きたくなかった。できることなら耳を塞いでこの場から離れてしまいたかった。

 婚約は解消すべきだと言いつづけてきたくせに、いざそのときになれば毅然とした態度がとれないだなんて。

 

 自分の弱い心に気づいて愕然とする。

 エリナや、レベッカ様のようにはなれない。やはりわたしはセリアン様にふさわしくないのだという悲しみがわきあがる。

 ドキドキと鼓動がうるさい。

 

「クロウディア嬢、どうか、緊張しないで聞いてくださいね」

 

 そんなわたしへ気遣う視線をむけ、口元に笑みを浮かべると、オズワルド様はやさしく言った。

 

「おれたちの弟は――セリアンは、とても顔がいいのです」

 

 一瞬、なんともいえない沈黙が両家のあいだをただよった。

 

「……存じて、おります」

 

 返答に困っているお父様を視界の隅に映しながら、どうにか言葉をしぼりだす。婚約者として、それ以外に言えることがあるかしら。

 オズワルド様は今度は少し眉をさげ、申し訳なさそうな表情をされた。

 

「ただ、性格が……すっとぼけたところがありまして」

「わたくしがお会いした際にはお話のとおり、貴公子然とした立派な方と感じました」

 

 復活したお父様がフォローを入れる。けれど、おそらくそのフォローは不要なものだ。

 案の定オズワルド様はわたしに力強い視線を投げる。

 

「クロウディア嬢は()()()()おられるかと思います」

 

 お父様もわたしを見る。ニール様だけはそっと視線を逸らしてくださった。

 なぜか室内に満ちる重苦しい空気。

 

「は、はい……」

 

 やはり、婚約者として、それ以外に言うことはなかった。知らないなどと嘘はつけない。絶世の美男子にウサギの仮面をかぶらせてしまった元凶はわたしなのだから。

 そうだ、そのことを思えば、ロイヒテン家が婚約に難色を示すのも当然だ。

 

 オズワルド様はうなずき、話を続けた。

 

「あの性格の原因は我々にあります。あの子は昔から驚くほどにマイペースで、しかもあの見た目なので多少のヤンチャをしても叱るに叱れず……かわいがりすぎたのです」

 

 目を閉じてため息をつくオズワルド様に、わかります、と心の中で同意した。

 セリアン様との交際はまだふた月しかないけれども想像に難くない。

 

「社交界に出たセリアンを、周囲の人間はほうっておきませんでした。口々に容姿を褒めそやし、中身のほうまで好きなように決めつける。セリアンに近づく女性はあとを絶たなかった。しかしその誰もがセリアンに勝手な理想を押しつけては、勝手に失望して去っていきました。貴方こそ私の運命の人と言った同じ口で、そんな人だとは思わなかったとセリアンをなじるのです」

 

 わたしは眉をひそめた。

 レベッカ様のお茶会で聞こえた陰口を思いだしたからだ。いずれ目が覚めるでしょう――などと、セリアン様にまで誹りはむいていた。

 

 現実が思いどおりにならない苛立ちを、人は驚くほど傲慢に誰かのせいにしてしまえるものだ。

 

「……まぁ、セリアンはほとんど気にしていませんでしたが……でも少しはしょげていたのです。可哀想でしょう。ねっ? セリアンのためになにかしてやりたいと思いますよね?」

「はい、セリアン様のお心を思うと……おつらかったでしょうね」

 

 ソファから前のめりになるオズワルド様に、わたしはうなずいた。

 やはり、セリアン様は安息を求めていらっしゃるのだわ。セリアン様のおそばにふさわしいのは、外見に惑わされない、強い芯をもった女性。

 ならばわたしがセリアン様のおそばにいることはできない。

 わたしだってセリアン様を見た目で判断している。……お顔を見ただけで失神してしまうのがなによりの証拠。

 

「クロウディア嬢は彼女たちとは違うと信じています」

 

 オズワルド様はわたしをひたと見据えた。

 

「セリアンにはあなたの()()が不可欠です」

 

 わたしはその言葉の意味をきちんと受けとった。

 

 ――もうこれ以上、セリアン様のおそばにはいるな、と。

 

 オズワルド様は遠まわしにそうおっしゃっているのだ。

 

「はい、心得ております。セリアン様ともきちんとお話いたします」

 

 頭をさげるわたしに、オズワルド様がほっとした表情になる。

 

 望んでいたことのはずなのに、胸がひき裂かれるように痛かった。

 

 

***

 

 

 ベッカー家の見送りを受けて馬車に乗りこむと、オズワルドは深いふかいため息をついた。

 この男がここまで気を落とすのは久しぶりだとニールは思ったが、口には出さなかった。そのことはオズワルド本人が一番よく知っているだろう。

 

「ニール兄さん……まずったかも」

 

 長髪の先をもじもじと弄りながら、オズワルドは肩をすぼめた。

 激励のつもりが、要らぬお節介の果てに妙な波紋を広げた気がする。

 

 ニールとオズワルドは、〝クロウディア嬢〟がセリアンの性格をすべて知り尽くしたうえで受けいれてくれる、おちつきをそなえた懐の深い女性だと想像していた。

 しかし実際には、ぶあつい眼鏡のむこうに見えたのは、母親にすがる生まれたての仔鹿のような目。

 

 おそらく彼女はセリアンの恋心になど気づいていない……どころか、セリアンに対する自分の恋心にも気づいていないような雰囲気だった。

 そしてなぜか異常なまでにおびえていた。怯えの原因がどこからくるのかニールにもオズワルドにもわからなかった。

 

 セリアンの過去の話をしてこれまでの令嬢たちと彼女がまったく異なる存在であることを知らせたが、怯えは拭い去れなかったようだ。もしかしたら単純にニールが怖かったのかもしれない。そうであったらどんなにいいか。

 

 協力してほしいという願いにうなずいてはくれたから、セリアンから離れてしまうようなことはないと思うが――。

 

 ニールは厚みのある手のひらをオズワルドの肩にのせた。

 

「大丈夫だ」

 

 先だっての彼の言葉をくりかえしながら。

 

「うん、そうだね……セリアンの選んだ子だもん。セリアンに『絶対逃がすな!! 押して押して押しまくれ!!!』って手紙を書いて念を押すよ」

 

 自分たちのできることをやろう、と兄たちは誓いあった。

 そして、セリアンの心が彼女に届きますように、と祈ったのだった。

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